国立能楽堂 普及公演 胸突 三井寺

普及公演
解説・能楽あんない 狂気と詩狂  馬場あき子(歌人
狂言 胸突(むねつき) 丸石やすし(大蔵流
能  三井寺(みいでら) 前田晴啓(宝生流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2507.html

前々から観てみたかった「三井寺」。なかなかドラマティックなお話で、歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」を彷彿とさせるような場面もあり、楽しく拝見しました。


解説 馬場あき子

馬場さんのお話で面白かったのが、物狂いが持つ狂い笹のこと。あれは、別に笹でなくても良いらしい。要するにあの笹は神の依代なのだとか。お能に出てくる物狂いは何かを捜し求めてさまよっている人だけれども、彼女達は、誰も行方を知らない人を捜し求める故、神に頼るという、狂っている割には全く合理的な行動をとっているのでした。

それから、この「三井寺」のシテである千満の母が高い教養の持ち主という指摘も面白かった。三井寺の僧との問答などに、漢詩等の知識が出てきて、物狂いだから狂うのではなく、「詩狂」なのだと答える。

なお、三井寺の鐘の由来に関しては、「太平記」に記載があるそう。俵藤太(藤原秀郷)が竜宮からもらって三井寺に奉納したということになっているそう。そういえば、サントリー美術館三井寺展を観たとき、何故、善女龍王図が三井寺にあるのか不思議に思ったが、ひょっとすると太平記を読むと分かるのかも。文楽、歌舞伎には「太平記」の世界を借りた話がいくつもあるし、そのうち、「太平記」にもチャレンジしてみたい…。


胸突(むねつき) 丸石やすし(大蔵流

お金を借りるなりちっとも返さない男(丸山やすし師)に業を煮やした貸し手(網谷正美師)が、男の家まで支払いの催促に行く。どうしても今日返すと言わない男と貸し手はもめた末に押し問答になる。男は急に声をあげると胸を打たれて痛くて死にそうだと言い出し、貸し手は困ってしまい…というお話。

普通だったら、借り手の男は酷いなあと思うところだけど、最近、ドバイ政府のデフォルト危機宣言なんてあったりして、グローバル版、実録「胸突」(シテ:ドバイ政府、アド:ドバイに出資している各国政府およびグローバル企業)みたいなことがあったりすると、このお話も「ちょっといい話」ぐらいに思えてくるのでした。いやはや。


三井寺(みいでら) 前田晴啓(宝生流

千満の母(前田晴啓師)は、いなくなった子供を探し京の清水寺に参籠し、「三井寺に参れ」という霊夢を得る。そこで三井寺に行くことにする。この始まり方は面白い。普通、他のお能のパターンであれば、三井寺に着いたところから始まることになるのだろうが、このお能では清水寺から三井寺に行くという形になっている。当時の人からみると、京の近くまで来ていながら清水寺等に参籠せずにいきなり三井寺に行くのはおかしいと思わせるようなところがあったのだろうか。
シテは深井の面に納戸色の鬘帯。装束は、淡い卵色の地に白、浅葱、橙の縦縞、唐草文様の唐織を壷折にして、萌葱に葦の文様の縫箔。

場面は変わって三井寺。作り物の鐘が運び込まれる。これは笑っちゃうくらい小さくて、可愛い。何故こんな小さく作ったのだろう。「天鼓」や「梅ガ枝」の太鼓の作り物より小さい気がする。三井寺では、僧と最近師弟の契約を結んだ稚児がおり、月見をしようとしているところ。能力(茂山逸平師)に舞を舞うよう所望すると、能力は「いたいけなしたる者」を歌い舞う。そして能力は女物狂いを見つけて僧達に物狂いを見せようとするが、僧達は断る。図書館で見た「新潮古典集成」の「謡曲集」では、「女人禁制なので」という理由が書いてあったのだが、ここでは特に理由は言わなかった。能力は勝手に物狂いを境内に入れてしまう。
ここからカケリになるのだが、お囃子のリズムも早くなって緊迫感があるのだった。

その後、能力はお酒を飲み過ぎて鐘を撞くのを忘れそうになったとぼやきながら、鐘を撞く。するとシテが現れ、三井寺の鐘の由緒を語り、龍女成仏の縁に任せて鐘を撞こうと言い出す。僧達は当然、止めるが、物狂いは、和漢朗詠集漢詩やら中国の故事やらを引いて、「これは詩狂」という言葉を言い訳とし、さらに、「京鹿子娘道成寺」に出てくる「初夜の鐘を撞く時は、諸行無常と響くなり」から始まる鐘尽くしの詞章が続く。所作も鐘を見込んだり、扇を使ったり、鐘を撞いたりと、何となく「娘道成寺」の「中啓の舞」を思い起こさせるものでおもしろかった。僧との問答からの一連の場面は「鐘之段」と呼ばれているそう。

その様子を観ていた稚児がもしやと物狂いの国里を尋ねるよう僧に願うと、果たしてそのもの狂いは清見出身、千満の母であることが判明。無事、二人は帰路につき、千満のお陰で家は富栄えるのでした。


おまけ:直接この公演とは関係ないし、三井寺ともあまり関係ないお話。以前、NHK FMの「能楽鑑賞」で、やはり宝生流の今井泰男師の独吟で「三井寺」をやっていて、最近、その時の録音を聴いたのだけど、今井泰男師の謡では、ラ行が「R」の発音なのだ。ご存知の通り、現代日本語のラ行は「L」に近くて、私は今までヘボンさんがローマ字を制定した時、ラ行を「L」にしてくれたらよかったのに、と思っていたのだが、ひょっとすると、ヘボンさんがローマ字を考え出した頃の日本人はラ行を「R」で発音していたのかも?等と思ってしまった。他の謡曲や他のおシテの方もそうなのだろうか。