国立劇場 2月文楽公演 第一部(その1)

<第一部>11時開演
花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)
    万才・海女・関寺小町・鷺娘   
嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)
   花菱屋の段
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3159.html

花競四季寿 関寺小町

去年のお正月、大阪で文雀師匠の「関寺小町」を観て感動で打ちのめされてしまった。まさかこんなに早く東京でも観られるとは思わなかった。国立劇場さん、どうもありがとう!


「海女」が終わると舞台が暗転して呂勢大夫と清治師匠だけにライトが当たって、無伴奏の謡がかりで始まる。「誰かはわれを留むらん」で舞台が明るくなると、百歳の姥となった小野小町卒塔婆の上に座り込んでいる。その人形の姿も所作も美しいけれど、何といっても文雀師匠の繊細な首の遣い方によって表情が刻々と変わっていく様子が一々美しくて、目を離すことができなかった。

小町は呉竹の杖にすがり、よろよろと立ち出る。小町が零落してから住んだと言い伝えられる関寺の近くには逢坂の関がある。小町はその清水を覗き見ると、水に映る老いた自分の影に恥じ入るのだった。

そして小町は深草少将のことを思う。小町が戯れに「百夜通へ」と言ったのを深草少将は本気にして、雨の降る夜も降らぬ夜も、と当て振りで市女笠で頭を隠し「降らぬ」で市女笠を外し、嵐の吹く夜も吹かぬ夜もで上手(かみて)に市女笠をかざして「吹かぬ」で外して「思ひに消えしその報い哀れげに」となる。「古は花の姿と言われしも」で、両袖を胡蝶の様にして下の水に小町は自分の姿を映すが、いつの間にやら衰えてしまっているのだった。

小町の虚言を誠と思った深草少将の百夜通いは、「罪障の山高く」で市女笠を高く掲げ、「生死の海深き」で笠を下にかざし、「その怨念の添ふやらん」となる。けれども、その物狂いも「うつろふものは夜の中の人の心の花や見る」という。お能の「通小町」では言えなかった小町の述懐のよう。

さらに、この後は「いとし可愛ゆさがそれが真実ならば、そこのな、なん/\何の情けのそれが、誠か、てんと誓文二世、三世うれしえ、ほんに/\え、憂きが中にも楽しみ」という、中世歌謡の「閑吟集」風の詞章となり、一曲のクライマックスとなる。

そしてエピローグではまた謡がかりとなって、「心づいて身繕い、いざやと立って関寺の、柴の庵に帰りけり、柴の庵に帰りけり」となる。この時、小町は上手(かみて)に向かって一礼する。そうだ、冒頭で「誰かはわれを留むらん」と始まったのだから、これまでの小町のモノローグは、実は夢幻能と同じように諸国一見の僧の夢の中で小町が僧に語ったことだったのかもしれない。それとも僧がいないということは、これは小町の夢の中の話だったのかも。いやいや、実は闇の中に現れて闇の中に消えて行った小町は、私の見た夢だったのかも。

そんな風に人形の儚さと詞章の美しさのあいまった夢心地に打ちのめされていると、すぐに次の「鷺娘」が始まってしまう。この曲の唯一かつ最大の欠点は、余韻に浸れないところ。ああ、「関寺小町」だけが観たい。変なタイミングに無理矢理起こされた人みたいに、私はまだ小町の夢から覚めることができないのだ。


というわけで、他の部分のメモは後日書こうと思います。