国立劇場小劇場 2月文楽公演 第二部 おさん・茂兵衛 大経師昔暦

<第二部>14時45分開演
近松門左衛門=作
おさん・茂兵衛 大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)

   大経師内の段
   岡崎村梅龍内の段
   奥丹波隠れ家の段
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3159.html

おさん・茂兵衛 大経師昔暦

近松お得意の、元々は悪意のない、むしろ善意の人達がちょっとしたことの弾みからまっしぐらに悲劇的結末に突き進んでいくというお話。


今の感覚で考えると、どうしてお玉という女中をしつこく追い回した夫の以春はお咎めなしで、そのような夫を懲らしめようとしたおさんと偶然おさんに遭遇してしまった茂兵衛の二人が死罪になるのか、イマイチ納得が行かない。けどまあ、そういう時代だったのでしょう。

そういった訳で、実はこの公演で観たときは、それぞれの技芸員の皆様のパフォーマンスには感動しても肝心のお話の方がイマイチ、ピンと来ないという、いつものパターンに陥ってしまった。それでも、当時の町方の人の生活が偲ばれるような興味深い点が色々とあってそれは面白かった。

例えば、暦は11月朔日(ついたち)に新しい暦を配り始めるとか、大経師の以春は諸役御免であるとか、初暦を明け方から五摂家に配りに行き、方々でお酒が振る舞われるとか。四条烏丸に構える大店である以春の家では、台子の仕掛けをするというのだからきっとお茶室があり、お茶会等も行われ、同じ町方衆の裕福な商人等様々な人達と交流があったという設定なのだろう。

それから、お玉の伯父、岡崎村に住む浪人の赤松梅龍は毎夜「太平記講釈」をやっているそうだが、なんと元禄期(1688年〜1704年)に「赤松梅竜」という名前の講釈師が大坂に実在したのだそうだ。この人は、講釈師の祖とされる江戸の赤松青竜軒という人と並び称されたということなのだ。だとすると、「大経師昔暦」は正徳五年(1715年)に竹本座で初演されているので、浄瑠璃を聴きに来るような観客は皆、赤松梅竜のことはよく知っていたし、近松自身も交流があったかもしれない。とすると、「大経師昔暦」の梅龍には実在の講釈師、赤松梅竜の「人となり」がそれとなく反映されていると見ていいのかも。


ちなみに、パンフレットによれば、井原西鶴が事件の直後の貞享三年(1686)に出版した「好色五人女」の中で、「おさん茂兵衛」の事件を取り上げているという。それで、公演を観た後に西鶴の「おさん茂兵衛」の話と読み比べてみたところ、近松の「大経師昔暦」方は、おさんと茂兵衛の思わぬ悲劇が浮き彫りとなるよう、登場人物の位置づけを整理して、家族の絆や情を描くエピソードを創作して書き加え、ノンフィクション風の西鶴のものよりずっと感動的な話に作り上げているのが分かって非常に興味深かった。

例えば、西鶴は、おさんと茂兵衛を軽率な性格の人物として描いているけれども、近松はおさんを親思い、茂兵衛を人柄が良くお主思いな手代と設定して、以春や手代の助右衛門に二人を追い詰める役回りをさせている(西鶴の方では以春に当たる人物はごく普通の人だし、助右衛門は登場しない)。また、お玉や梅龍は西鶴の「おさん茂兵衛」では出てこないし(お玉は最後の最後に、おさん茂兵衛の媒をしたので同罪、と名前だけ出てくるが)、梅龍の家の前でのおさんの両親とおさん茂兵衛との義理と人情の板挟みとなった悲しいやりとりも近松の創作だ。

他にも細かい違いがいくつもある。西鶴は冒頭で「源氏物語」の箒木の巻の「雨夜の品定め」に見立てたエピソードで話を始めて以春に当たる人物が男四天王と呼ばれた伊達者だったことを強調しているけれども、近松は同じく「源氏物語」の女三宮の猫(と柏木)のエピソードを使って効果的に物語の成り行きを暗示している。それから、西鶴の方はおさん茂兵衛が丹波に逃げた後、茂兵衛が京恋しさに変装して京に戻り方々を歩いたところ、自分たちのゴシップで持ち切りで慌てて帰ってきたというエピソードを入れているけれども、近松は、話の筋に関係ないこのようなエピソードはばっさり削除している。そんなこんなで、「大経師昔暦」は西鶴の「好色五人女」の約30年後の後出しジャンケンながら、初演を見た観客はきっと近松はすごいと思ったに違いない。


というわけで、近松の工夫の一端を知ることが出来たので、再度公演を観てみたかったのだけど、残念ながら早々に売り切れで再度観ることはかなわず。残念無念。