国立劇場小劇場 2月文楽公演 第三部

<第三部>18時30分開演
近松門左衛門=作
野澤松之輔=作曲
曾根崎心中(そねざきしんじゅう)
  生玉社前の段
  天満屋の段
  天神森の段
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3159.html

簑助師匠の文化功労者顕彰記念。いやはや、簑助師匠はさすが素敵でした。


心中物はキホン苦手だけど、曽根崎心中だけは例外としよう。曲が良すぎるし、場面場面の絵面が美しすぎる。

私にとって、曽根崎心中を観る上でどうしても引っかかってしまう問題は、何故九平次が徳兵衛を陥れようとするのかと、何故お初は「この上は徳様も、死なねばならぬ品なるが、ハテ死ぬる覚悟が聞きたい」と言い出すのかということが、今までイマイチ理解しにくいこと。

今回見てもやっぱり何故九平次が徳兵衛を陥れるのかに関しては納得できる理由は思い浮かばなかったけど、彼は「油地獄」の与兵衛ほどではないにしても何か心に陰を持っていて、内心、心惹かれていたお初が徳兵衛と恋仲であることも気に入らなかったのかも、という気がした。

それから、お初が心中のことを言い出すのは、お初がこの世に絶望していたからではないかという気がした。多分、第一部で観た景清と糸滝の別れのように身を引き裂かれるような親子の別れをして、本当に傷つく経験をしたのだろう。確かに天満屋の主人は良い人かもしれないけれども、お初の絶望を救う程の力はなく、お初は徳兵衛の一件で今生への未練を失ってしまったように思えた。実際、詞章を改めて読んでみると、心中をすると言い出すのもお初だし、天神森で「早う殺して」というのもお初なのだ。

というようなことを思えたのも、素晴らしい大夫・三味線と人形のお陰なのでした。


それにしても、07年11月の大阪公演の曽根崎心中、観ればよかったなあ。伊達大夫の最後の生玉社殿前の段で、心中物は好きじゃないしその日のうちに東京に帰りたかったので観ずに帰ってしまったのだけど、これを後日TVで観て、生で観なかったことをものすごく後悔した。今回、曽根崎心中を観て、今回の公演には不満は全然無いのだけど、改めて何十回目かの後悔をしてしまった。やはり観ないで後悔するより観て後悔する方が精神衛生上、ずっと良い。観ることが出来る時は出来るだけ都合を付けて観ようと何十回目かの決心をした。