横浜能楽堂 企画公演「英雄伝説 義経」「忠信」

第6回「義経を守り抜く忠信の忠義」
平成22年3月6日(土) 14:00開演 13:00開場
対談 上原まり、三宅晶子
解説 三宅晶子
琵琶・語り 上原まり
能「忠信」(宝生流

横浜能楽堂英雄伝説 義経」最終回。これだけ日本人を魅了し続けてきた義経という人や弁慶をはじめとする周囲の人々のことを少しだけ知ることができて、とても面白かった。あらためて、史実、俗説含めてエピソードが山ほどある人だということが分かりました。ただ、ここ半年ぐらい武士が出てくるお能を立て続けに観てきたので、そーゆーのは少々食傷気味。しばらくは思いっきり違うタイプのものを観たい…。


対談 上原まり、三宅晶子

上原さんと三宅先生の対談で面白かったのは、琵琶のお話。

まず、平曲が天台声明の影響を受けているということ。
それから、浄瑠璃は最初、琵琶が伴奏だったとか。確かにそういえば、小野お通が信長のために作ったという(本当かどうか知らないけど)浄瑠璃姫の物語は琵琶法師が広めたということになっているのだった。で、筑前琵琶は三味線の奏法を取り入れてかなり現代的な演奏をする楽器になっているのが面白い。

それから、作曲方法について。筑前琵琶には合いの手のための既存の短い曲があって、それを適宜、場面に合わせていれていくのだという(上原さんは今回は更に独自に作曲もしているそう)。筑前琵琶には、四弦と五弦があり、それぞれで合いの手の曲趣は異なるらしい。両方合わせると百数十種あるという。

要するに、既存のコンポーネントを組み合わせて全体を作っていくということだ。なるほど。そういえば文楽の三味線の合いの手も義太夫の節付けもパターンがある。お能も細かいコンポーネントの組み合わせで出来ている。このような作曲方法は、考えようによってはすごく合理的。近松が心中があって数日でその心中事件を舞台に掛けてしまったり、綱吉が流儀に相伝されていない曲を会の10日前にリクエストしてもどうにか出来てしまうのは、そういう構造になっているお陰というわけだ。


解説 三宅晶子

「忠信」は三宅先生も観たことが無い程、上演が稀な曲なのだとか。実際、30分ぐらいの短い曲のわりには沢山の人が出てくるので、上演が難しいのかも。しかし、宝生流では若手の方の訓練も兼ねて年に一回は上演されるそう。

曲自体は、天保書上(?)という幕府が各流儀のレパートリーを自己申請した内容を含むレポート(三回の内のひとつ)を提出させた際に、観世流宝生流のレパートリとして挙がっているそうだ。また、既に世阿弥時代に「忠信」という演目が番組に挙がっているとのこと。ただし、これは世阿弥ではなく十二座(?)とかいう小さな座の演目だったらしい。


琵琶・語り 上原まり

この回は語りと琵琶のバランスが良く感じ、一番楽しかった。上原まりマジックにはまってしまいました。


能「忠信」(宝生流

ツレやらトモやらが沢山出てきてキビキビとした所作が続くスピーディな曲でした(特にシテは本当に忙しそう)。それにしても、どうしてこんな短い曲なのか、不思議。この曲が選んだ義経記の場面には義経と忠信のエピソードには泣ける話が結構あるのに、そういうのは全部無視して話を単純にしてあるのだ。ひょっとすると、昔は切組がもっともっとアクロバティックでショウアップされていて、それが眼目になっていたのかも…などと思った。
いやそれとも、半能というものもあることだし、短い曲にも何らかのニッチな需要があったと考えることも可能かも。例えば、先日式能で五番初めて観たけど、とにかく文化系トライアスロンみたいな難行苦行でした(ただ単に大半の時間、気を失っていただけですが)。そーゆー時は、こんな短いお能があるとホッとするという効果があったりして。


最初にシテツレの義経(大坪喜美雄師)を先頭にシテツレが舞台に出てきて、義経はワキ座の床几に座る。
ワキ(殿田謙吉師)が一ノ松のあたりまで出てきて、伊勢三郎義盛であると名乗り、吉野の衆徒が今夜、義経を夜討しようとしており、このことを義経に伝えねば、というと、舞台中央まで来て、伏して義経にその旨を告げる。
義経は早速逃れることにするが、誰か一人ここに留まって防矢をして後程合流する者を決めるよう、義盛に言う。しかし、義盛は、皆どこまでも義経のお供をしようと考えているので、義経が直接指名して欲しいと頼む。
義経はそれを聞くと、忠信(宝生和英師)を呼ぶように義盛に申し付ける。義盛は、一ノ松まで行って忠信を呼ぶと忠信が三ノ松のところまで出てくる。義盛は義経が忠信をお召であることを告げると、二人は舞台に来て、義盛は大小前に座わる。
忠信が義経の前に出て平伏すると、義経は夜討のことについて述べ、忠信に一人留まって防ぎ矢をし、その後追い付いて来て欲しいと言う。
忠信は、自分はどこまでもお供するつもりなので他の人に命じて欲しいというが、義経は結句頼めるのは忠信しかいないのだと諭す。忠信は、そうであれば、一人選ばれるのは弓矢取の面目であると承るが、囃子が入って「皆人々に御名残こそ惜しう候へ」といって皆の顔を見回すと、不覚の涙をおさえて、義経の御前を立って後見座でくつろぐ。

「かくては時刻移るとて」で、忠信以外は立ち上がると、橋掛リを通って下がってしまう。ワキも下がったので、ワキまで中入り?と思ったが、皆様、出番がここまでなのでした。短い…。忠信は常座に出ると、橋掛リの方を見守るのでした。そして、笛の前で物着となる。なるほど、皆が下がってしまうので舞台を空に出来ず、忠信は物着となるのだ、きっと。忠信、大忙し。その間に一畳台が地謡前に運ばれてきて、忠信は物着が終わると笛の前で脇正方向を向いて床几に腰掛ける。


この後から後場。衆徒7人も橋掛リに出てきて、一声で「吉野川。水のまにに/\騒ぎ来て。波うち寄する嵐かな」と謡うと、頼朝の仰せにより義経を迎えに来たと言う。忠信は、それは忝ないがまずはこの一矢を受けてみよというと、「高櫓に走り上がり」で一畳台の上に上り(一畳台は高櫓のつもりだったのだ)、弓を取り出して一矢打つ所作をして早速衆徒が一人、安座する。その間に忠信は一畳台を降りて、切組になる。そして、三人目の衆徒は切られると、常座近くで低い位置からの仏倒れ?(歌舞伎でいうトンボのような形で背中から着地する)をし、頭を打ちそうでちょっとはらはら。

さらに忠信は一畳台に乗って飛び降りると、衆徒の残り三人が一畳台に乗ると、忠信は二ノ松の方に下がり、更に舞台に出て組討すると再度橋掛リに行き、三ノ松で「都を指してぞ急ぎける」で舞台の方をクルッと見ると、一回転して揚幕の方を向き足拍子をして終わるのでした。


<番組>
能「忠信」(宝生流
シテ(佐藤忠信)宝生和英、ツレ(源義経)大坪喜美雄、
トモ(義経の従者)田崎甫、今井基
ツレ(法師武者)水上優、ツレ(衆徒)小倉伸二郎、和久荘太郎、澤田宏司、
辰巳大二郎、川瀬隆士、辰巳和磨
ワキ(伊勢三郎義盛)殿田謙吉
笛:松田弘之、小鼓:古賀裕己、大鼓:柿原弘和
後見:辰巳満次郎、東川尚史
地謡:武田孝史、金井雄資、東川光夫、小倉健太郎、辰巳孝弥、
地謡:亀井雄二、金森良充、金森隆晋