国立能楽堂 普及公演 鏡男 頼政(その1)

解説・能楽あんない 頼政と埋もれ木の歌  馬場あき子
狂言 鏡男(かがみおとこ) 松田高義(和泉流
能  頼政(よりまさ) 高林白牛口二(喜多流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/2521.html


去年、「通円」という能の「頼政」のパロディの狂言小舞を観た。それで「平家物語」巻四の「宮御最期」にある以仁王の乱と宇治川平等院での頼政の最期を題材とした「頼政」というお能があることを知った。そのあたりの話は「平家物語」の中でも印象深い箇所のひとつなので、今回の「頼政」も非常に楽しみにしていた。


解説・能楽あんない 頼政と埋もれ木の歌  馬場あき子

馬場さんより源頼政の生涯について、色々解説があってなかなか興味深かった。

面白いところでは、いつも三百騎の手勢で合戦に出ていたけれども勇猛に戦ったり手柄を立てた形跡がほとんどないらしい。また、平家物語には、頼政の息子の仲綱と平宗盛とが、互い相手の馬に相手を馬鹿にするための焼印を押すというエピソードがある。これは実は俗説だとか。おおお、すっかり本当のことだと思ってた。

それから俊成が歌人としての頼政のことを「頼政こそいみじき上手なれ」と手放しで褒めていたとか。さらに、華のある人だったようで、いつも頼政が座に加わると素晴らしい場になるという趣旨のことを書き残しているそう。また六十代の時、当時の女流歌人である小侍従との相聞歌もあったという。鵺退治の時の思いっきりクールな反応や以仁王を担いで反乱を起こしたというところから何となく陰のある暗い感じの人かと思ったけど、そういう訳でもないみたい。

そして、馬場さんが終わりの方で話してくださった、「以仁王の反乱は二十五騎のみで決起した」という話が気になった。いつもの手勢の三百騎のうち、二百七十五騎と頼政の子供達の一部は連れていかなかったというのが印象的だった。以仁王の乱は結果的には失敗して、合戦の最中長男と弟の子供を無くし、頼政自身は自害することになったわけだ。しかし、頼政はこの反乱が失敗した場合のことを十分計算にいれて、ぬかりなく残りの家族に源氏の未来を託そうとしたのかもしれない、という気がした。

馬場さんのお話を聞いた上で、頼政の辞世の句である

埋木のはなさく事もなかりしに身のなるはてぞかなしかりける*1


という歌をみてみると、「埋れ木のはなさくこともなかりしに」という部分が気になる。

今まで、私自身は「埋れ木」というのは、頼政自身の昇進が遅かったことを言っているのかなと思っていた。しかし、馬場さんのお話では従三位(じゅさんみ、今まで間違って読んでた…)というのは頼政の一族ではもっとも高い地位であるし、当時の源氏の中でも一番高い位だったのだそうだ。それに、俊成に手放しで賞賛され、得意の和歌の集まりでも中心的な立場であったようだし、どうして「花咲くことも無かりしに」なのだろう。

馬場さんのお話を考え合わせてみると、この「埋れ木の花咲くことも無かりしに」というのは、自分の栄達について述べたというよりは、源氏という「埋れ木」の再興が自分の生きている間に叶わず、ということなのではないかという気がしてきた。彼が自分の手勢が一人も欠けないよう腐心し、宮中での栄達を求めてきたのも、ただただ源氏の再興という目的のためだったのかも。そして、自分の死期が近いのを悟った頼政は、自分の目では源氏の再興を見届けることができず、また、今後自分と同程度に昇進して政治力で源氏の再興を果たしてくれるような、後をしっかりと託すことが出来る人も身近におらず、焦って一か八かの賭けに出たのかもしれない。

滝口の競をはじめとする妙に熱血漢な渡辺党の人達が頼政に忠誠を尽くしていたのも、そういう頼政の大きな悲願を知っていたからという気がする。だって、もし頼政が単に「洗練されていて教養があって地位が高くて部下思い」というだけでは(それだけでもすごいことだけど)、競みたいに頼政のためなら一人宗盛の館に乗り込むことも辞さないような人は出てこなかったのではないだろうか。と思ったけど、そういえばこれも俗説って話だったっけ…。

…とかなんとか、色々考えているうちに、ますます頼政のことが知りたくなってきた。


狂言 鏡男(かがみおとこ) 松田高義(和泉流

京の都から松之山の家に帰ろうとする男(松田高義師)は、京の町で妻(野村小三郎師)へのお土産を様々に物色し、鏡売りの男(奥津健太郎師)から当時としては珍しい鏡を買って帰ることにする。家に着いて男は早速お土産の鏡を妻に渡すと、妻は鏡が何たるか全く分からない。男が自分の顔を映す道具だと言って見てみるように妻に鏡を渡す。しぶしぶ鏡を見た妻は、そこに写っている姿を見て…というお話。

なんだか似たような話を観た気がするなあという既視感を感じつつ思い出せずに観ていたのでありますが、そういえば、先日、落語で「松山鏡」をやってたのでした。こっちは、父を亡くした息子が代官に何でも希望を叶えてやると言われて「亡くなった父にもう一度会いたい」と言ったところ、鏡をもらい…というお話だった。パンフレットの解説によればお能にも同名の「松山鏡」という曲があるのだとか。お能が本歌なのかしらん?この場合。

それにしても、「鏡男」や「松山鏡」の話みたいに、昔は鏡を見て自分と気がつかないなどというそんな素朴な人が本当にいたのだろうか。私の家で飼ってた猫なら確かに鏡の中の自分を他の猫だと思い込んでいたフシがある。鏡を顔に近づけると懸命に目を反らせて面白かったので、よく手鏡を近づけて遊んだなあ。


というわけで長くなってしまったので、続きます。

*1:岩波文庫版「平家物語」にあった辞世の句。パンフレットの詞章では「埋もれ木の、花咲くこともなかりしに、身のなる果ては、哀れなりけり」でした。「平家物語」の辞世の句の方が頼政の感情が直接的に表現されている気がするけど、お能の方は中世の歌の嗜好に合わせて書き直されてるのかしらん。