国立劇場小劇場 5月文楽公演(その1)

<第一部>11時開演
祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)
  金閣寺の段 爪先鼠の段
太平記白石噺(ごたいへいきしらいしばなし)
  浅草雷門の段 新吉原揚屋の段
連獅子(れんじし)<第二部>16時開演
新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)   
  野崎村の段 油屋の段 蔵場の段
団子売(だんごうり)
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3318.html


通しで見る必要があったわけではないのだが、チケットをとったらそうなってしまっていた。東京公演のチケット手配は難しい…。しかし、年に数回しか無いような好天の日を棒に振ってもちっとも惜しくないくらい、楽しんだからいいのだ。


一部二部通して一番印象が強かったのが、意外にも「野崎村」。

今まで、花嫁姿のおみつが実は切り髪に五条袈裟で尼になっていたという場面は、おみっちゃんが即決力ありすぎの娘だからそういうことになったかと思っていた。が、そうでないことをこの日、簑助師匠の遣うおみっちゃんを観、綱師匠・住師匠の語りを聴いて気がついた。


簑助師匠のおみっちゃんは、冒頭の膾の下ごしらえを途中にしたまま、鏡の前に座って髪を整えている時から既に、「仮想敵・お染」を思い浮かべて臨戦態勢に入っている。そういうおみっちゃんと玄関先で家の中を覗こうとしているお染(紋寿さん)を見ていると、この二人が絶対に喧嘩するであろうことが、もうあからさまに分かってしまうのだ。さらに、おみちゃんが鏡で後ろ姿を確認しようとして手鏡を合わせ鏡にする場面があるのだが、その手鏡が玄関先のお染の姿をレーダーよろしく捉えたとき、その娘が久松(清十郎さん)の恋人お染だということをおみっちゃんは瞬時に悟る。そしてその時、おみっちゃんは手鏡の中のお染を睨みながら「最終戦争勃発!」というオーラを発していた。表面的にはおみっちゃんのプンプン具合が可愛いので客席からは笑いが起きていたけれども、実際、おみっちゃんは真剣だったのだ。

大体、おみっちゃん自身、「常々聞いた油屋の、さてはお染」と言っている。きっと久松からお染の話を常々聞いていたということなのだろう。あんまり色々聞かされていたので、初めて見てもすぐ分かったのだ。そして、久松の言葉の端々から、おみっちゃんは自分には勝ち目が無いということが分かっていたに違いない。おみっちゃんがお染にも久松にもぴりぴりと攻撃的なのは、単に悋気を起こしているだけでなく、二人の様子を見て自分が入り込む隙がないと悟ったおみっちゃんの最後のあがきだったのだったのだろう。

まさか物語の冒頭から既におみっちゃんに尼になる決心があったとは思わないけど、久松と祝言を上げるという夢は所詮は叶わない夢であるということは以前から薄々予期していたのではないだろうか。だからこそ、これだけ久松のことを想っているおみっちゃんは、久松とお染のやり取りを聞いて、もう自分が入り込む余地はないと観念し、切り髪に五条袈裟という姿になる決心が着いたのではないかと思った。そしてその決心は、誰のためでも無い、久松のためだったのだ。そのことは野崎村の最後、久松がおみっちゃんに「かうなり下るも前の世の定まり事と諦めて、お年寄られた親達の、介抱頼む」と言う時、簑助師匠のおみっちゃんが俯きながらも素直に頷くのに、その後にお染が「由ないわし故おみつ様の、縁を切らしたお憎しみ、堪忍して下さんせ」と言うと、おみっちゃんがぐっと顔を反らして耐えている様子からもありありと分かるのだ。


それから、今回の公演を機に詞章を再読してみて初めておみっちゃんの家が実は非常に複雑な家庭環境であることに気がついた。
まず、おみっちゃんは母の連れ子で久作とは血がつながっていないけれども、久作にとっては「わづか三里の大坂へ芝居一つ見にも行かず、今度の大病から目の見えぬ婆の介抱、達者なおれが食ひ物まで。そのように気をつけてたもる孝行娘」で、きっと実の娘以上に可愛がっていたに違いない。久作の家は「水呑百姓」で「僅かの田地着類着そげ、おみつめが櫛笄まで売り代なし」という有様の家だが、家が潰れた武士の息子・久松を乳母を久作の妹がしていた関係から久松を引き取ることになったという状況なのだ。
久作は妻やおみっちゃんに内心、心苦しく思う日々だったのではないだろうか。そしておみっちゃんに久松と祝言を上げさせてやることで、おみっちゃんや妻の夢を叶えさせてあげたいと心から思っていたのだろう。久作の「『エヽあの久松めは、辛抱した女房嫌ふて、身上の良い油屋の婿になつたは、栄耀がしたさぢや、皆欲ぢや、人の皮着た畜生め』と、在所は勿論、大坂中に指さされ、人交わりがなりませうかいの」という台詞は、今までは何もそこまで言わなくとも、と思っていたが、おみっちゃんと妻を心から愛しく思う気持ちから出た言葉だったのだろう。そしてそれがよく分かっていた久松は進退極まってしまったのだろう。


ああ、今まで私は「野崎村」の上っ面も上っ面しか観ていなかった。そのことを教えてもらった今回の「野崎村」でした。


ちなみに、あの最後の三味線ツレ弾き、今回の錦糸さん&龍爾さんの三味線は、今年1月にNHK FMでやってた同じ野崎村の清治師匠&清志郎さんのツレ弾きとは旋律は大体同じだけど、リズムが違うんですよね。多分、清治師匠の方が変奏になっているんじゃないかと思うのですが、これは文楽三味線的には個性の範囲内なのかそれとも系統が違うのか、面白いなあと思いながら聴いておりました(過去に両パターンとも聞いたことがある気がするので二つのパターンが併存する可能性が高い気がするけど)。


…と、あまりに目から鱗だったので書かずにはおれず、つい「野崎村」からメモを書いてしまったが、上演順に記すと:


祇園祭礼信仰記 金閣寺の段 爪先鼠の段

グスタフ・クリムトが観たら絶賛しそうなお話。

特に「金閣寺」の段は語りも三味線も全編、華麗かつ豪放な旋律で金閣寺の趣向にマッチしていて、本当に素敵。うっとりしてしまった。「金閣寺」の詞章は様々な故事が引かれていたり言葉の遊びがあってとても面白いのだけど、私が気に入ってしまったのは、松永大膳が此下東吉と碁を打っている途中、雪姫に対して大膳が言う「恋は曲者」というもの。ここは呂勢さんが謡ガカリ風に語っていらっしゃって、なるほどお能の「花月」にもある小謡の一節を引いているんだと分かったのだけど(私は「花月」は観たことはないけど)、小謡全体では、

来し方より。今の世まで絶えせぬものは。恋といへる曲者。げに恋は曲者曲者かな。身はさら/\/\。さらさら/\に。恋こそ寝られね。
(昔から今まで絶えないものは恋という曲者。恋のせいで、さらにさらに寝られない。)

となる。中世歌謡を集めた「閑吟集」にも同じ謡が収録されているので(295番)、おそらく中世から江戸のはじめにかけて、かなり流行った小謡なのかもしれない。雪姫の返事せしを大膳の「恋は曲者」と答ふるは、げにげに、オシャレ。オシャレといえば、この碁の対戦自体、松永大膳が負けてこの後の展開を暗示するという、源氏物語の空蝉と軒端萩のエピソードを響かせているのだろう。つくづく面白い。


三味線は、「金閣寺」が清治師匠、「爪先鼠」が寛治師匠なので、お二人の三味線を聴き比べることができるという贅沢で楽しい配役。改めて聴き比べたお二人の三味線は、本当に同じ楽器なのかと思うほど音色も表現も違って、非常に面白かったです。


人形は、雪姫が勘十郎さん。特に「金閣寺」では抑えた演技の繊細な表情の雪姫だった。ただ、「爪先鼠」以降は、アスリートな雪姫になって、ちょっと「祇園祭礼信仰記」の一種独特なクリムト的世界から離れていってしまった部分があったかも?


全然物語とは関係ないけど、金閣寺のセリが下がって金閣寺の三階に囚われている真柴久吉が慶寿院を迎えに来たとき、慶寿院は一旦、救出を拒むというところがある。いつもは「ふーん」という以上の感想はないところだけど、ふと、そりゃー金閣寺の三階で豪奢な調度品&美術品に囲まれ、家賃・敷金・礼金ゼロ円&三食昼寝付き、念仏&読書三昧の生活を送りつつ、気が向けば京の町の全貌を飽きるまで眺め暮らせるんだったら、私だって救出を拒むだろーなーと思ってしまった。しかし、例えば四条河原で「浄瑠璃姫物語」全十二段一挙公開!とか、金春座の勧進能三日間!とかあっても観に行けないというのはちょっと悲しいかな。(もちろん、あの場面はそーゆー話じゃないと思うけど)

それから思い出したときだけの見台拝見コーナーですが、呂勢さんがこの段で使われていた見台は木瓜紋でした。呂勢さんの紋は確か七宝紋だと思うので何故木瓜紋?と思ったけれども、「祇園祭礼信仰記」に掛けて織田信長ゆかりの紋ってことでしょうか。



太平記白石噺 浅草雷門の段 新吉原揚屋の段

文雀師匠は鏡山のお初で武家の芯の強いオットコマエな娘が良いことは去年の紀尾井町の女義で観ていたし、和生さんが宮城野みたいな傾城が似合うこともよく分かっていたし、床も始大夫&清丈さん、千歳大夫&清介さんに嶋師匠&清友さんだし、絶対に面白いことが分かっていたので非常に楽しみにしていた。もちろん、期待を裏切ることなく、大変楽しかった。


「浅草雷門」の段は、冒頭は三味線無しでいきなり始大夫の呼び込みの台詞で始まる楽しいチャリ場。ペットボトルが置いてあるから、なんなのじゃと思ったら、「雷門」ブランド?のミネラルウォーターのよう。そういえばこの日は三社祭の期間中だったのでした。


「新吉原揚屋」の段は、冒頭の三味線が風情があってなかなか良いのだ。聞いていたら、そういえば先日、NHKラジオで渡辺保氏が「新吉原揚屋」の段の冒頭の三味線の話をしていたことを思い出した。それによれば(うろ覚えだけど)、吉原だからといって華やかに演奏すれば良いというものではなく、夕方の寂しい情景から色町の灯りが点々とついて行き段々賑やかになる様子を三味線で表さなければいけない、というような話だった。確かに冒頭の三味線は聴いてみると、最初はゆっくりと静かに始まり段々と音符が多くなり華やかさが出てくるという旋律になっていて、いかにも渡辺保氏の言った通りの情景だったので、ちょっと感動した。

ちなみに、その時の渡辺保氏のラジオでは鶴澤重造の唯一の音源という「関取千両幟」の櫓太鼓という曲弾きを聴かせていたのだが、これがまた素晴らしかった。私は櫓太鼓の曲弾きというは観たことがないのでどのくらいアクロバティックなことをやっているのかは全く分からないけど、音源を聴く限り、重造の三味線のリズムや音程は非常に安定していて音も十分鳴っていて、どんな楽器の演奏者でもどこの国の人でも、この重造という人が超一流の演奏者であることは、すぐに分かるのではないかと思う。…と、この音源の感想は書き出すと長くなるのでここで終わり。


で、話を戻すと、新吉原揚屋の段で、傾城宮城野(和生さん)とおのぶ(文雀師匠)は、晴れて巡り逢うことができ、両親の仇討ちを誓うのだった。

おのぶが妹なのにしっかり者で妹と知った宮城野が「ヤアそんならわしが妹」と縋り寄るのを突き退けて、「イヤサ/\/\、母の常にいわしやるには、『姉さアの方にもしるしがある、それを証拠に名乗り合ひ、委細心底打つ明けろ』と云ひめした、それがあるなら早うつん出し、見せてくんせい姉さあ」と言うような賢い女の子。その割には子供らしく、箪笥の袋棚襖を開けて「しるし」の筒井の守りを取り出そうとする宮城野の打掛の裾を興味深気に色々いじったり。そういう細かい仕草が本当にしみじみ可愛いのでした。

しかしながら、この姉妹はなかなか困難な人生を歩んでいるのである。父は代官志賀台七という悪侍に打ち切られ、母は病で失意の内に亡くなり、おのぶがたった一人で巡礼姿で会いに行った姉、宮城野は、「年貢に迫つて父様は水牢、その苦を助けうばつかりに、この廓へ身を売つたを、思ひ返せば十二の年」という有様。両親もこのような形で姉妹二人きりにさせるのは、さぞ無念であったろう。

そういう訳で、二人は仇討ちを誓うのだったが、そこに揚屋の旦那、惣六が割って入り、曽我物語を引いて、二人に「おれの云う言葉に従ひ、ナウコレコレサ、この道(剣術)をも稽古して鍛錬の熟した上では、ぐつと/\尻持つ合点、ヤアコレ駆け落ちの尻もつて行かうおは云うまい、急くところではないほどに、大事の勤め駆け落ちせうとは無分別、お客大事に勤めてたも、合点がいたか/\」と説得する。事前に詞章を読んだときは説教臭く感じてちっとも合点できなかったのだが、嶋師匠の手にかかると、これが説得力のある語りとなり、すっかり納得してしまった。さすがです。

ところで、惣六の台詞、「二人の顔似たりや似たり花あやめ、杜若、その五月雨の暗き夜に」の「五月雨」で惣六が髪の乱れを整える所作をするのが印象的だった。事前に詞章を読んだときは「五月雨」は文字通り「五月雨」と思って通りすぎてしまったけど、江戸時代の人々は「五月雨」という詞ですぐに「みだれ髪」ということばを連想できたのだろう。そういう仕草がさらりと出来てしまうのが、さすが、粋な惣六なのだった(←この場合、「粋」は「すい」ではなく「いき」とお読み下さい)。


…全然書き終わらないので、後日に続きます。