国立能楽堂 定例公演 禁野 井筒

<月間特集・南都千三百年>
狂言 禁野(きんや) 山本則直(大蔵流
能  井筒(いづつ)物着・段之序(ものぎ・だんのじょ) 宇高通成(金剛流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3215.html


「井筒」は前々からとっても観たかったのだけど、一方で「名作だけど眠くなるお能」ということも色々な本で見たりするので、何となく自分から観てみる気がしなかった。というのも、特にお能を観初めて一年ぐらいは、我ながら能楽堂お能を観に行っているのか、それとも寝に行ってるのか頭を抱えてしまうくらい、よく気を失っていたから(今なら、「ああいう状態は『能楽堂に寝に行っている』というのです」ときっぱり断言できる)。

しかし事前に「井筒」の詞章を読んでみると、詞が美しいし話も分かりやすく、詞章だけでも十分名作といってよく、観る前からとても楽しみだった。実際、お能の詞章というのは得てして、美しい詞章の時は、何行かおきに「で、何の話だったっけ?」と思ってしまうくらい詞が複雑で理解しにくく、反対に話が分かりやすい時は、詞章に飾り気がなくてつまらない時が多いものだ。しかし、「井筒」は詞章の美しさと話のわかりやすさの両方を備えているのだった。

それに、今回の宇高通成師の「井筒」は、宇高通成師の美しい舞姿と可憐な「孫次郎」の面と力強い金剛流の謡で、本当に素敵な「井筒」だった。何度でも観てみたい、可憐で切ない曲だ。


狂言 禁野(きんや) 山本東次郎大蔵流

交野は狩猟禁止の「禁野」となっているが、大名(山本東次郎師)はそんなことも構わず狩りをしている。それを見たアドは咎めるが、大名は自分は禁野でも狩りをしていいのだと言い張る。そこでアド達は一計を案じ、大名を騙してびっくりさせることにして…というお話。


ふと思ったのだけど、「善知鳥」のシテは「善知鳥」とい鳥の殺生を行ったために、あれだけ苦しんだのに、 大名とかそういう人達は結構、気軽に狩り等をしているのだ。屏風絵等でも狩りをしている武士達の絵が書かれたものは結構ある。何故なのだ?武士は修羅道に落ちるのが確定してるから、何でもアリってことかしらん(などということはないと思うけど)。何となく合点がゆかないのでした。


能  井筒(いづつ)物着・段之序(ものぎ・だんのじょ) 宇高通成(金剛流

[名ノリ笛]で囃子の演奏が始まると、後見が橋掛リから薄の添えられた井戸の作り物を持ってきて正面先に置く。次にワキの旅僧(宝生欣哉師)が橋掛リを通って常座に着くと、自分は南都の寺社を拝み廻っている一所不住の僧であるが、初瀬詣での途中で在原寺を見つけたので一見しようと思い立ったという。

続けて旅僧は舞台中央に出ると、さてはこの在原寺は在原業平と紀有常女の夫婦が住んだところなのだろうと言い、ワキ座方向を見ながら「風吹けば沖つ白波龍田山(夜半にや君が一人越ゆらむ)」という「伊勢物語」二三段の歌もここで詠まれたものに違いないという。

旅僧は、昔語りの跡を訪れたので、在原業平と紀有常の女の夫婦を弔おうというと、合掌してワキ座に着座する。


[次第]となり、シテの里の女(宇高通成師)が橋掛リを歩いて来て常座に着く。優しく可憐な「孫次郎」の面、紅白の段替の唐織着流という出立で、右手に白い数珠、左手に白木の手桶を持っていた。

里の女は常座で囃子の方を向くと、「暁毎(あかつきごと)の閼伽(あか)の水、暁毎の閼伽の水、月も心や澄ますらん」という次第を謡い、正面を向く。そして、里の女は、物寂しい秋の夜に、人目稀な古寺に過ぎ去りし古へを忍んでここにおりました。旅僧の弔いの読経に引かれて、仏の御手の一筋の糸を頼むように来たのです、どうぞ御誓いで迷いを照らして下さいという。さらに「げにもと見えて有明の行方は西の山なれど」で中正方向を見、「眺めは四方の秋の空」で正面を向き、「松の声のみ聞こゆれども」で脇正方向に顔を傾け松の声に聞き入るような仕草をし、「嵐はいづくとも、定めなき夢心」で正面を向いて扇を出し、「何の音にか覚めてまし」で着座して手桶を置いて合掌すると、立ち上がる。


旅僧は、板井を結び花を清め香を焚き、塚に回向をする女性を見つけて不思議に思う。すると里の女は、常座近くに戻り、この寺は在原業平の本願で創建されたものです。その亡き跡もこの草の仲なのでしょうか、と正面方向を見やりながら言うと、私も詳しくは存じませんが、花水を手向けているのです、と答える。

旅僧は、確かに在原業平は世に名を留めたひとであるけれども、あまりに遠い世の人です。そのような人にどのような故がある身でいらっしゃるのでしょうか、と尋ねる。里の女は尚も、業平はその在世の時さえ「昔男」と言われた身であるのに、故も所縁もありましょうか、という。

地謡が里の女の詞を引き継いで「松も老いたる塚の草、これこそれよ、亡き跡の、ひと叢(むら)ずすきの穂のいづるは、いつの名残りなるらん」と謡うと、里の女は数珠を前に差し出して合唱する。「草茫々として露深々と古塚の」で遠くを見やるように中正方向を向き、「誠なるかな古への、跡懐かしき気色かな、跡懐かしき気色かな」で、舞台を回ると、再度数珠を差し出して合掌する。


この後、<クリ><サシ><クセ>で、里の女は常座に座ると、伊勢物語の二十三段の逸話を語りだす。昔、在原の中将がこの石上に紀有常の娘と夫婦で暮らしていたが、中将は河内の国高安の里の女のところに忍び通われました。それを知った有常の娘は「風吹けば沖つ白波龍田山夜半にや君がひとり行くらん」とおぼつかない夜道を心配して歌を詠うと、中将の心も解け、外の契りはかれがれとなったのです、と物語る。

また、その中将と有常の娘がまだ子供だった頃、隣同士の門の前で二人は友達同士、井戸に寄りそって互いに水鏡に映る影を見ながら語り合ったものだが、物心着くほどに恥ずかしさが先に立ち、お互いに会わなくなりました。ある日、かのまめ男が「筒井筒、井筒にかけしまろがたけ、生いにけらしな、妹見ざる間に」と読んで娘に送ると、「比べ来し、振り分け髪も肩過ぎぬ、君ならずして、誰かあぐべき」と言った井筒の女は紀の有常が娘でもあるのです、そしてそれは恥ずかしながら私のことなのですというと、里の女は立ち上がって井筒の方に行き、「井筒の陰に隠れけり、井筒の上げに隠れたり」で、井筒の後ろに面を伏せて座って消え失せた体となる。


その後、[物着アシライ]の囃子が奏され、シテは物着をする。金地の業平菱繋ぎの文様の長絹(直衣を表す)に初冠を付け終わるとシテは常座に行く。すると変わった旋律の笛が鳴り、大小の鼓が笛が終わった後も鳴り続ける。

女は、桜花のように徒な名を立たせてしまいました。年に稀なる人を待ったのも私だったので、人待女と言われました、と告白する。筒井筒の昔より、真弓槻弓年を経て、「今は亡き世に業平の形見の直衣身に触れて」で袖を返して袖を見つめると、「懐かしや昔男に移り舞」で足拍子を踏む。


そして、[序ノ舞]となる。[段ノ序]という小書が着くと舞の部分が変更されるのだそうだが、どこかはよく分からなかった。が、とても印象的だったのは、初冠を着けたことで有常の娘が非常に艶やかに見えることだった。ものの本によくそのように書いてあり、初冠を付けたシテが井戸を覗き込む写真を見るけれども、いままで写真を見る限りあまり初冠が似合っているように思えず、バランスが悪いようにも感じ、かねがね疑問に思っていた。しかし、百聞は一見にしかず。目の前にいる「孫次郎」の面をした有常の娘は、初冠を着けることで、追懸が面に陰影を作り、少し面を動かしただけで「孫次郎」は、より陰影の深い、繊細な表情を見せるのだった。そして初冠を付けた男性のようでありながら、女性らしい艶やかな表情で、その二つの表情が不思議に融合していて、何とも言い難い美しさなのだった。


地謡の「筒井筒、井筒にかけし、まろがたけ、生ひにけらしな」で井戸のところに足早に行くと「老いにけるぞや」で下を向く。そして、「さながら見みえし昔男の冠直衣は、女とも見えず、男なりけり、業平のおもかげ」で、あの井戸を覗き込む所作をして、自分の姿を水鏡に映しながら、亡き業平を忍ぶ有常の娘なのだった。

「見れば懐かしや、亡婦魄霊(ぼうふばくれい)の姿は」で後退り、「凋(しぼ)める花の」で扇で身を隠すようにして身を屈め、「色なうて匂ひ、残りて在原の寺の鐘もほのぼのと」で立つと、「明くれば古寺の松風や」で水平に扇を滑らせて風の吹く様子を表し、「芭蕉葉の」で一回転し常座に行き、「夢も破れてさめにけり」で扇を返すと、「夢は破れ覚めにけり」で後ろを向いて留拍子となる。