国立劇場 初春文楽公演

関西元気文化圏共催事業
初春文楽公演
◆第2部 ※14日から午前11時開演となります。
ひばり山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ)
 中将姫雪責の段
傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)
 新口村の段
小鍛冶(こかじ)

◆第1部 ※14日から午後4時開演となります。
寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
傾城反魂香(けいせいはんごんこう)
 土佐将監閑居の段
染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)
 油店の段
 蔵前の段
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3581.html

◆第2部 ※14日から午前11時開演となります。
ひばり山姫捨松(ひばりやまひめすてのまつ) 中将姫雪責の段

清友さんの休演で嶋師匠と燕三さんというあまり聴かないコンビで聴くことが出来た。出だしは前回聴いた清友さんの三味線とはまた違う雰囲気なと思ったが、途中からは嶋師匠と(初心者が聴く分には)息もぴったり合っていて全く違和感なし。さすがです。

これまで三回「雪責の段」を観たが、その中では一番今回が良かった。特に文雀師匠の中将姫が何もかも可憐で美しく決まって、私が観た中では一番素晴らしかった。面白かったのは、玉也さんの岩根御前が、また武闘派に戻っていたこと。パンフレットの文雀師匠のインタビューを読むと、

始めて私がこの作品と関わりましたのは昭和二十二年、中将姫の左を持ってのことです。この時、岩根御前は私の師匠・三代目吉田文五郎がつとめておられました。師匠の遣う岩根が中将姫を「これでもか」というほどに苛めるのですが、その姿は憎々しいというよりむしろ厳しさに満ちた、それはすばらしい岩根御前で、そのすごさにびっくりしたのを今でもはっきりと覚えております。

とあった。このような文雀師匠の意を汲んで、玉也さんも武闘派に戻ったのだろうか。どちらにしても、確かに武闘派岩根御前の方が、その場面を観たいかどうかは別として随分と場面が引き締まるように思う。今回は実際に中将姫が痛め付けられる場面が多分内子座の時よりは短かったのでほっとした。この岩根御前は何でこんな性格になってしまったんだろう。岩根という名前が悪いんじゃないだろうか。もし、夕顔とか空蝉とかいう名前だったら、もっとなよなよした女性になって、中将姫もこんな目に逢うこともなかったかも。

そして最後、浄瑠璃の詞章の中には出てこないけど、中将姫は父豊成に暇乞いが叶うのだ。内子座で観たときはちゃんと父と対面できていたかどうか、記憶はあまり心許ないけど多分、はっきりとは対面できていなかったような気がする。今回は、きちんと対面してハッピーエンドの段切りになっていて、私はこの方がずっと好き。絵巻やら物語草紙やら中将姫関連のお能の詞章を読む限り、ひばり山に行く前に中将姫が豊成と対面するのは、その後の物語の展開と齟齬をきたすので(後日、豊成は、死んだと思った中将姫とひばり山で偶然再会するというエピソードがある)、解釈の逸脱といってもいいかも知れない。しかし、観客の中に中将姫の物語を知る人がほとんどおらず(多分)、文楽では雪責の段しかやらないのであれば、父に対面しないでひばり山に向かうよりは、ここでちゃんと対面して観客を安心させてくれたほうがずっと良い結末のように思う。

今回はパンフレットやら展示で中将姫の世界について情報が豊富でとても楽しい。年末、中将姫について少し調べてみようとしたが、中将姫関連の物語やら研究書があまりに多くて途中で断念。とにかく、この演目の上演史において、私のように中将姫をはっきりと知らなかった人間が観客が居るような事態になっている方が短くて、その長い歴史のほとんどの時代は、誰もが中将姫のことを知った上でこの演目を観ていたに違いない、ということは分かった。だからきっと雪責の段だけ、というような上演方法が成立したのだろう。


傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)新口村の段

何となく歌舞伎の新口村の屋体を思い浮かべていたが、文楽とは違うのでした。面白い、何故違うのだろう。舞台転換の都合だろうか。

いつもながら、何で梅川みたいに思慮深くて優しい女性が忠兵衛を一緒に心中てもいいと思うほど好きなのか、良く分からない。いくら考えても分からないので、これはきっと男性側からみた、あってほしいストーリー展開なのだろうと思うことにした。忠兵衛くん、現実世界だったら梅川はとっくの昔にもっとイイ男に取られてたはずなので、そこんとこ、よーく覚えておくように!


小鍛冶(こかじ)

私はお能の小鍛冶は観たことがないけど、文楽バージョンはなかなか面白かった。特に勘十郎さんの老翁(って名前変わってる。逆に翁に若翁なんてあるんだろうか?)が、翁の格が出ていて素晴らしかった。しかも、この翁、白い足袋を履いていて「すり足」をするのだ。芸が細かい!

そして後場の鍛冶の場面。シテの稲荷明神と三条小鍛冶右近(清十郎さん)が交互に槌を打つとき、火花が飛ぶのが面白すぎる。あれ、どうなってるのだろう。もし今回の公演の小道具をひとつだけ触らせてくれると言われたら、この槌で火花を出すやつをやってみたい。


◆第1部 ※14日から午後4時開演となります。
寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)

文楽の松羽目物の中では一番好き。他の演目とは一線を画する独特の厳粛な雰囲気の翁の舞と、それに続く祝言性のみならず文楽らしい楽しさがある三番叟の舞という展開が本当に見事だから。初演は宝暦十三年(1764)頃とのことで、さもありなん。どのくらい初演当時の部分が残っているかは分からないけど、とにかくその当時は本当に素晴らしい才能を持つ人々が人形浄瑠璃というジャンルに結集していたに違いない。

舞台は結構忠実に能舞台を移している。こんな感じでしたっけ。千歳が最初に出てくるのだが、目付柱にあたる場所で、いったん、立膝をして座る(お能では立膝をして座るのが基本的な坐法)という芸の細かいことをしておもしろかった。それを観て気が付いたのは、能楽狂言方は基本的に舞台で座る時、正座するということ。私のうろ覚えによれば、確か正座は江戸時代に一般的になった坐法ということだったと思うけど、なぜ能楽では同じ曲の中でもシテ方は中世の坐法である立膝をして座り、狂言方(アイ)は正座をするのだろう。謎です。

三番叟が二人揃って出てくるところは、いつみてもぞくぞくするおもしろさがある。パンフレットの解説によれば、「現在の三番叟は二人立」とある。「二人立」とは三番叟が二人いるということだろうか(能楽の三番叟は狂言方が一人で演じる)。そして、かつては一人の時もあったのだろうか。どんな芸能の影響で二人立というパターンが出来たのだろう。もちろん、二人いる方が舞台がにぎやかになるし、お能では難しい相舞も文楽では映えるし、二人立に演出を変えた人、えらい。


傾城反魂香(けいせいはんごんこう)
 土佐将監閑居の段

岩佐又兵衛をモデルとしたお話。歌舞伎とちょっと違ってなかなか興味深かった。

冒頭、竹藪に虎が出てきて、土佐将監が「これは誠の虎にあらず、名筆の絵に魂入りて現れ出でしに極まったり」と断じて、「しかも新筆いまこれほどに絵書きし人は、狩野の祐勢が末葉、四郎元信ならで覚えなし」と言うのが面白い。竹藪に虎といえば、水墨画の画題でお馴染み。かつては狩野派水墨画、土佐派は大和絵と棲み分けていたので、水墨画の画題だから狩野派と断定したのだろう。で、元信以外にも例えば永徳とか探幽とかいるけれども、岩佐又兵衛と時代的に合わなかったり、元信が狩野派では初めて土佐派とも提携し大和絵にも本格的に進出した最初の狩野派絵師で土佐派の将監が親近感を抱くであろう人物として元信の名前がここで挙がっているのだろう。近松も結構ちゃんと考証しているのだ。

最初に又平が登場するとき、裃を付けて登場するのも興味深い。歌舞伎では段切り近くで確か名を許されたということで裃を着けるので、最初は着流姿なのだ。

ストーリー的には今まで気がつかなかったけど、ふと疑問に思ったことがある。この物語がテーマだ。

この話では、又平は生まれつきの「どもり」ということになっている。又平は言葉が不自由な故に自分を表現する手段として絵を描くことに秀でるようになったのでは、という気がする。また、又平のモデルは大和絵の枠に収まりきらない個性の持ち主である岩佐又兵衛だ。となると、又平は、言葉を失ったことと引き替えに、なによりも絵によって自分だけが表現可能な、誰も描いたことのない世界を表現するための実力を得ることに固執しそうな気がする。

しかし、このお話の中では、将監は「絵」と「絵師」について「琴棋書画は晴れの芸、貴人高位の御座近く参るは絵師」と定義し、ハレとケで言えばケの絵である大津絵を描いて口に糊をし、どもりであって貴人との洗練された交流等とても出来そうもない又平の土佐の名を得たいという希望を打ち砕く。そのため、実際にこのお話の中で又平が喉から手が出るほど渇望しているのは、土佐の名(=名誉)であり、「どもり」が治ること(=コンプレックスの解消)なのだ。

物語の最後は又平が土佐の名を得るのみならず、どもりも直ってハッピーエンドという形だ。けれども、こんな又平だと「どもり」が治ったら妻のおとくと気が済むまで毎日おしゃべりしたりしたりして絵を描くことにはそんなに興味が無くなったりして、絵を書く気力が失せたりしそうな気がしないでもない。又平の立身出世話はミドリで観る限りはここで終わりだけど、ここからどういう変遷を経たら、あの極彩色で細密画のように緻密に描き込む岩佐又兵衛に近づくのか、近松に聞いてみたい気分。それとも、もともと絵に描いた虎が出てくるは、絵が御影石の手水鉢に描いた絵が反対側の面に染み出したり、と大味の話なので、実力を付けることを土佐の名を得ることで表現し、どもりが治るというのは絵を自在に描けるようになることの象徴的表現というぐらいの話なのかも。

段切り近くで大頭(だいがしら)の舞を舞うのも興味深い。大頭というのはパンフレットの解説によれば幸若舞の一派だそうで、展示室の展示によれば、まだ滋賀の大津に現存するとか。

江戸時代の大頭派の様子はよくわからないけれども、岩波書店の新古典文学大系59『舞の本』の解説によると滝沢馬琴の「烹雑の記」という本に以下のような記述がある。

幸若丸?節舞踏に妙なるよし、軍記に見えたり。其余波(そのなごり)諸国にある歟。江戸人は知らざるもの多かり。
(中略)
今幸若といへば、扇拍子にてうたふめり。これを舞とこゝろへたるは僻事なるべし。この大江には(筑後の大江村というところ)、むかしよりも伝へもてる烏帽子装束あり。ふりたる幕を張り、鼓うちならして立舞(たちまふ)と聞けり。

又平はおとくの鼓に合わせて扇を持って舞を舞っていたので、大津の方では筑後の大江村の幸若に近いものが残っていたのかも。また、浄瑠璃の中では又平は「さるほどに鎌倉殿。義経の討手を向くべしと武勇の達者を選ばれし」「それは土佐坊」と謡う。『舞の本』を読んでみると、そのものずばりの表現はないが、「堀川夜討」というお能で言えば「正尊」のような内容の曲があって、そこに大体似たような内容の詞章がある。ちなみに幸若舞というのはそもそも、平曲が平家の鎮魂のために生まれたのと同様、幸若舞義経や曽我兄弟の鎮魂のために生まれたのだそうで、そのため義経や曽我兄弟関連の話がとても多い。

最後は歌舞伎とはかなり違っている。歌舞伎は(私の断片的な記憶によれば)段切りの三味線がおもしろかった気がして文楽でも当然そうなっているんだろうと思っていたが、そんな感じでもなかった。何だか気になる。また見比べてみなければ。

清三郎さんが文昇というお名前を襲名されていて雅楽之介で出ていた。パンフレットの文雀師匠のインタビューに「清三郎はどちらかというと立役の方がうつるように感じます」と書いてあったが、私も本当にそう思う。今回の雅楽之介も良かったし、以前観た「道行初音旅」の静御前も「二人禿」の禿ちゃんも体育系だったし!


染模様妹背門松(そめもよういもせのかどまつ)
 油店の段
 蔵前の段

半二の「新版歌祭文」の先行作に当たる作品。入れ事が結構あって、かなり楽しかった。咲師匠、こーゆーの、好きそう。

「新版歌祭文」と「染模様」を両方見てみると、やはりお染久松というこの二人は、物語の主人公としては物足りない気がしてくる。近松半二も管専助もその点に苦心したのではないだろうか。それで専助は、お染に横恋慕する番頭善六や源右衛門という言わば悪役を出して切場なのに長々としたチャリ場を設けたり、山家屋清兵衛というお染の婚約者を出して悪役の悪事を分別のある大人の余裕で上手く解決させるという見せ場を作って、お染久松の物足りなさをカバーしようとしたのかも。ただ、気になるのは清兵衛が何故、お染のような年若い娘との祝言を了解したかということ。どう見ても清兵衛にはお染みたいな小娘よりは老女方の奥さんの方が似合うし、そもそも清兵衛みたいな人なら女性からも人気があり引く手数多だったに違いない。もし敢えて娘のようなお染をお嫁さんにもらっちゃったら、久松がどうこうというより、まずは年若い女性をもらったことがご近所の女性の井戸端会議での格好の話題を提供してしまうような気がする。

近松半二もこの「染模様」を観て、きっとそう考えたに違いない(?)。私の得意の妄想によれば、そこで半二はお得意の二項対立思考を駆使して、清兵衛とは全く逆の登場人物――お染ではなく久松が好きで、お染久松より更に年が若い――おみっちゃんという必殺技を生み出したに違いない。そしておみっちゃん側に立って意見する人物として、お染の母ではなく、久松の養父でおみっちゃんは妻の連れ子という立場の久作を出し、「染模様」では大した役割を果たさないお染の父に代わって、病苦で今日明日の命も知れないおみっちゃんの母という時限爆弾を出し、母を安心させるために今すぐ久松とおみっちゃんの祝言を、という話を仕立て上げたのだ。こっちの状況設定の方が、いかにもスリリングに話が進んで行きそうではないか。「野崎村」を観た専助はきっと泣いてくやしがっただろう。というわけで、「染模様妹背門松」もかなりおもしろかったけど、私としては、やっぱ半二はすごい、という結論となったのでした。


最後に、私がビートたけしくんと勝手に名付けているツメ人形が大活躍で確認できただけで三つの演目に出ていて、今回は大変満足。かつてはあまり見かけないで寂しい思いをしていたが、ここんとこ、よく見かけるのだ。たけしくんの当たり役は番卒、奴、駕籠舁などなのだが、是非芸域を広げてほしいものです(?)。そしてついでに告白すると、あまりにたけしくんが出演しないので、最近は玉志くんというツメ人形(私が勝手に命名。玉志さん、すみません)も応援しているのです。玉志くんは温厚で人望のある顔立ちで、よく「XX住家の段」などというのがあると、近隣に住まいする里人達のリーダー役で里人達を代表して発言したりするのである。なんというか、ツメ人形界の座頭級の役者といおうか。というわけで、私は今年もビートたけしくんと玉志くんを引き続き応援しようと心に誓いつつ、新幹線に乗って大坂の地を江戸に向けて去っていったのでした。