国立能楽堂 定例公演 柑子 山姥

狂言 柑子(こうじ) 山本東次郎大蔵流
能  山姥(やまんば)雪月花之舞(せつげつかのまい) 観世清和観世流
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3248.html

狂言 柑子(こうじ) 山本東次郎大蔵流

酒宴で柑子を貰った太郎冠者(山本東次郎師)。てっきり自分が貰ったものと思っていたが、主(山本則俊師)は自分が貰った物を太郎冠者に預けたという認識で、太郎冠者に柑子を出すように言う。しかし困ったことに太郎冠者は三つ成りの柑子を全て食べてしまったのだ。そこで、太郎冠者は、その言い訳をするのだが…というお話。

急に主人に言われて困った割には、あまりに素敵な言い訳でうっとり。同じ雇われ人として、このくらいの上司のぐうの音も出ないような言い訳を一度でいいからしてみたい…。


能  山姥(やまんば)雪月花之舞(せつげつかのまい) 観世清和観世流

すごく面白かった。

女の鬼が出てくるお能は「安達原塚」や「紅葉狩」、少し毛色が違うが「葵上」等があるが、この「山姥」が話としては一番好きだ。中世風の味付けがなされてはいるものの、物語の核となる部分は、素朴な民話のような話で、そのせいか、主人公である山姥は、人間離れした人でありながら(そもそも山の精で人間ではないのだろう)、素朴で心優しい一面も持っている。しかもそれだけではなく、とても誇り高く、スケールの大きい人なのだ。人間で言ったら、ちょうど白洲正子のような人だ。

音楽的にも面白い曲だ。かつて私は内心「平板で単調な旋律しかなく、その旋律すらパターンが恐ろしく少ないお能は、どこがどう"歌"舞なのか、全然分からん」と思っていた。けれども、色々聴いていくうちにその平板で単調に聞こえる旋律や囃子にも音楽的に技巧を凝らした仕掛けや工夫があることが段々分かってきた。今回も、お能は間違いなく「歌舞」だと思わされた。また、優れた能楽師であるためには単に自身が謡や舞に優れているだけでは不十分で、舞台上の全ての音や動きを一曲にまとめ上げる音楽的センス、もっと言えばオーケストラのコンダクター的センス(plus, 見所を咳払いひとつさせず黙らせる実力?)も無いといけないようだ。

それから、もうひとつ面白かったのは、この曲の形式だ。このお能はかなり典型的な複式夢幻能の形式をとっているけれども、シテツレがワキのような役割を果たすところが変わっている。このことは事前に詞章を読んだ時には気がつかなかったが、演能を観て、山姥は、百万(ひゃくま)山姥のような芸能者としての道を極めた人であったからこそ、自分の物語を語ろうとしたのだ、という気がした。だから、他の能におけるワキの役割を、ワキの従者ではなく、シテツレの百万山姥が果たすのであろう。彼女がワキ座に着座することも彼女がワキの役割を担っていることを象徴的に示している。一方、ワキの従者は主に前半に活躍する。ツレを善光寺詣に連れていき、里人に道を聞いたりと、山姥の前シテである女から宿を借りたりと物語そのものを進行させたり、[次第]を謡ったり名乗りをしたり、道行を謡って着きセリフを言ったりして、お能を形式に沿って進行させたりもする。「ワキ」の役割というのは何なのかということを、色々改めて考えてみたくなる。


ヒシギの後、[次第]の囃子で、シテツレの百万山姥(ひゃくまやまんば、清水義也師)、ワキの従者(森常好師)、ワキツレの供人(舘田善博師、森常太郎師、則久英志師)が橋掛リから舞台へ来ると、百万山姥が地謡側前方、従者がシテ柱前方でそれぞれ二列になって相対し、ワキ・ワキツレが[次第]の「善き光ぞと影頼む、善き光ぞと影頼む、仏の御寺(みてら)尋ねん」を謡う。

従者は正面を向くと、自分は都に住まいするもので、ここにいる遊君は百万山姥といい、山姥の山廻りする様子を曲舞にして謡うので京童が付けた異名なのだという。そして、今年は百万山姥の親が亡くなってから十三周忌に当たるため、善光寺詣をしようとして信濃に急いでいるのだという。

その後、志賀の浦、有乳(あらち)の山、玉江の橋、安宅の松、蛎波(となみ)山、三越路(みこしじ)等を詠み込んだ道行を謡い、越後と越中の境にある境川に着いたことを告げる。従者は笛前、供人は地謡前、百万山姥はワキ座にそれぞれ行く。

ここには、三つの道があったため、どれが本道なのか、アイの里人(山本泰太郎師)に聞くことになる。

既に一ノ松に控えていた里人は、善光寺に至る道は、三つあり、それぞれ、上道(かみみち)、下道(しもみち)、上路(あげろ)と呼ばれているという。上路は如来の踏み分けた道であるが、険難激しき道で乗物で行くことは難しいのだという。

従者は早速、百万山姥にそのことを報告すると、百万山姥は、
「ここはまた弥陀来迎の直路なれば、上路の山とやらんに参り候ふべし、とてもの修行の旅なれば、乗物をこれに留め置き、徒歩跣足(かちはだし)にて参り候ふべし、道しるべして賜び候へ」
という。従者は承ると、里人に上路に行くことを伝えて道案内を請う。里人はいったんは用事があると断るが、従者が尚も頼むので、了解して道案内をすることにし、里人は常座に行き、従者は笛前に戻る。

そうして山道を進んでいると、にわかにみるみる日が暮れてしまう。すると、幕の内から、
「なうなう旅人お宿参らせうなう」
という声が聞こえてくる。里人は早速、宿を貸してくれるそうだと従者に報告すると、幕より女が三ノ松まで出てきて、
「これは上路の山とて人里遠き所なり、日の暮れて候へば、わらはが庵にて一夜を明かさせ給ひ候へ」
と言う。女は深井のような「れい乃女」(「れい」の字は表示できず)という面を付け、青地に金銀の草花や青海波の文様が美しく散りばめられた唐織という出立。
従者は、ちょうど道に迷っていたところで嬉しいお言葉です、どうぞこちらへおいで下さいと声をかける。
それを聞いた女はゆっくりと歩いて、舞台の大小前まで来ると、
「今宵のお宿参らすること、とりわき思ふ子細あり。山姥の一節謡ひて聞かせ給へ、年月の望みなり、鄙(ひな)の思ひ出と思ふべし、その為にこそ日を暮らし、御宿をも参らせて候へ、いかさまにも謡はせ給ふ候へ」
という。従者はこのような山の中で都でもてはやされている百万山姥の謡いについて聞いたことに驚く。ところが、女は、近くにいる女性が百万山姥という遊女であることを言い当て、まずはこの歌を「次第」にしましょうというと(曲舞は「次第」で始まり「次第」で終わる)、
「よし足引の山姥が、山廻りすると作られたり」
と謡い、「あら面白や候」と興がり、百万山姥はこの曲舞から名付けられたのだという。そして、
「さて真(まこと)の山姥をばいかなる者とか知ろし召されて候ふぞ」
と、問いかける。
従者は不審に思いながらも、
「真の山姥は山に住む鬼女とこそ、曲舞には見えて候へ」
と答える。すると、女は、「鬼女とは女の鬼ということでしょうか、鬼であろうと人であろうと山に住む女ならば私の身の上と同じではありませんか」といい、
「年頃色には出だせ給ふ、言の葉草の露程も、御心には懸け給はぬ、恨み申しに来たりたり、道を極め名を立てて、世上万徳の妙花の開く事、この一曲の故ならずや、然らばわらはが身をも弔ひ、舞歌音曲の妙音の、声仏事をもなし給はば、などかわらはも輪廻を免(のが)れ、帰性(きしょう)の善所に至らざんと」
と謡うと、囃子が入り、さらに女は[下ゲ歌]で、
「恨みを夕山の、鳥獸(とりけもの)も鳴き添へて、声を上路の山姥が、霊鬼(れいき)これまで来たりたり。」
と謡う。
これを聞いて、百万山姥は不思議に思い、「ひょっとして真の山姥がここまでお出でになったということでしょうか」と山姥に問うと、山姥は、
「我国々の山廻り、今日しもここに来たる事は、我が名の徳を聞かん為なり、謡ひ給ひてさりとては、我が妄執を晴らし給へ」
と言う。百万山姥は、これを辞退したら身の上にどんな恐ろしい事が起こるか分からないと思い、おずおずと調子をとり拍子を踏み始める。ところが山姥は、「しばらくお待ちいただけませんか。せっかくの事ですから日が暮れるのを待って月の夜に謡っていただけるなら、私もまた真の姿を現すでしょう。」という。
地謡が、
「暮るるを急ぐ深山辺の、雲に心をかけ添へて、この山姥が一節を、夜すがら謡ひ給へば、その時我が姿をも、現し衣の袖つぎて、移り舞を舞ふべしと、言うかと見ればそのまま、かき消すやうに失せにけり、かき消すやうに失せにけり」
と謡い、中入りとなる。この地謡の最初の「かき消すやうに失せにけり」と二度目の間には一瞬の空白があり、その直前につむじ風のようにくるくると回っていた山姥はこの空白の一瞬に全ての動きを止めて「かき消すように失せ」てしまうと、次の「かき消すやうに失せにけり」と共に橋掛リを去っていくのだった。ここのところは音楽的に非常に魅力的な箇所だった。


狂言となり、アイの里人が、暮れたかと思うとまた明るくなったことを不審がる。ワキの従者が、山姥というのは何で出来ているのか教えてほしいと里人に頼むと里人は何やら怪しい説を唱え始める。

最初に唱えた説は、団栗が山姥になるという説で、団栗が熟すると谷に転がり落ち、木の葉が取り入り性根が入り、目が付いてこれが恐ろしい山姥になるのだという。また、そのせいで、目が大きい人のことを、「どんぐり目」と言うのだという(!)。
第二の説では、雨が降って山が崩れると崩れたところに目が現れ、塵がついて手足目鼻がついて山姥になるのだという。
第三の説では、山中の木戸の扉が朽ちて蔦が這い廻り性根が入り頭手足が揃い、山姥になる。したがって、山にある木戸が鬼女になるのだという。
さすがに、ワキの従者から木戸は鬼女ではないだろう、とツッコミを入れられると、里人は都の人に教えてもらって満足だと言い、我らにも山姥の真の姿を見せてほしいと頼む。

かつて見た金春流の本田光洋師の「山姥」のアイ(善竹隆司師)もやはり似たようなことを言っていたが、もう少し飄々とした、ふざけているとも本気とも付かない感じだった。今回の山本泰太郎師は真剣・大真面目に語っていて、きちんと聞いていないとまさかこんな内容だとは想像もつかない。いかにも山本家的で、同じ大蔵流でも家により随分演じ方が違う。

また、山姥になる前に「性根が入って」という表現をするところも興味深い。「性根が入って」というのは、おそらく今の言葉で言えば「生命活動が開始される」ということを指すのだろう。現在の科学でも生命活動の謎は解明されていないけれど、中世の人達にとっては、「性根が入って」いるか否かということについて結構明解な区別があったようだ。そして、この里人によれば、団栗には「性根が入って」おらず、山姥は「性根が入って」いるらしい。中世の人にとっては団栗よりも山姥の方がずっと生物としてのリアリティがあったのだろうか、等と考えると、何だか楽しい。


さて、後場となり、ワキの従者は、シテツレの百万山姥に謡を謡うよう促す。百万山姥もあまりの事に不思議さに真のこととは思われないが、とにかく鬼女との言葉を違えないようにしましょうと言う。そして従者が[待謡]の、
「松風ともに吹く笛の、松風ともに吹く笛の声澄み渡る谷川に、手まづ遮る曲水の、月に声澄む深山かな、月に声澄む深山かな」
を謡う。
「ピー」というヒシギの第一音と同じ音程の音が笛で奏され、[一声]の囃子と共に後シテの山姥が橋掛リを歩いて来る。かつてはさぞや美しい人だったのだろうと思わせる「山姥」という面をして、白頭に白地に金で山形や三鱗の文様のある法被に納戸色地に金の花菱の半切という出立。杖を持っていて、杖を突く度にカン、カンと大きな音を立てながら歩いて行くのが恐ろしい。
二ノ松まで来ると、
「あら物凄(ものすご)の深谷(しんこく)やな、あら物凄の深谷やな」
と謡う。
「寒林に骨を打つ」
の「打つ」で、二度杖を突くと、
「霊鬼泣く泣く前生の業を恨む、深野に花を共ずる天人」
でまた杖を突いてゆっくりと舞台に向かって歩き出し、
「返す返すも幾生(きしょう)の善を喜ぶ、いや、善悪不二、何をか恨み、何をか喜ばんや」
の「何をか恨み」で一ノ松で後ろを振り返る。
「万箇(ばんこ)目前の境界、懸河渺々(けんかびょうびょう)として巌峨々(いわおがが)たり。山また山、いづれの工(たくみ)か、青巌(せいがん)の形を、削りなせる」
「水また水、誰が家にか碧潭(へきたん)の色を染め出だせる。」
で舞台に入り、常座に立つ。
百万山姥は、恐ろく思いながら山姥でしょうかと尋ねると、山姥は「どうか私を恐れないで下さい」と言う。しかしその髪には荊棘(おどろ)の雪を戴き、目の光や星の如く、面はさ丹塗りの鬼の形をしている。ここの部分は山姥と百万山姥の掛け合いのようになっており、まるで歌舞伎の「勧進帳」の弁慶と富樫の「山伏問答」のように緊迫したやりとりが交わされる。
地謡が[上ゲ歌]で、
「鬼一口の雨の夜に、鬼一口の雨の夜に、神鳴り騒ぎ恐ろしき、その夜を、思ひ白玉か、何ぞと問ひし人までも、我が身の上になりぬべき、浮世語りも恥ずかしや、浮世語りも恥ずかしや。」
と謡う。
さらに山姥が、
「春の夜の一時を千金に替えじとは、花に清香(せいきょう)月に陰、これは願ひのたまさかに、行き逢う人の一曲の、その程もあたら夜に、はやはや謡ひ給ふべし」
と謡う。
この後もさらに百万山姥の「言ふに及ばぬ山中に」、山姥の「一声の山頂羽(さんちょうは)を叩く」「鼓は滝波」「袖は白妙」「雪を廻らす木の花の」「難波の事か」「法(のり)ならぬ」という掛け合いとなっており、シテの迫力とそれを受けたツレの謡に圧倒されてしまった。
そしてこの掛け合いを引き継ぎ、地謡が非常にゆっくりとしたテンポで、何かこれから始まるような予感をさせるように、[次第]、
「よし足引の山姥が、よし足引の山姥が、山廻りするぞ苦しき」
を謡う。百万山姥はここで床几に座る。
山姥が、
「吉野龍田の花紅葉、(地謡)更科越路の月雪」
と謡い、[舞]となる。

ここの舞は、「雪月花之舞」の小書付で、パンフレットの金子直樹氏によれば「四季の変化を主張するような[舞]が入り、クセの形も替り終曲も緩急が激しくなります」とある。実際の演能では、[舞]の部分は序ノ舞のバリエーションのような囃子で笛の旋律が若干異なる。山廻りのように舞台を一巡したり、扇を使って舞うが、途中、大小前でよろめいて立ち尽くす、という型があり、また囃子が速くなると共に舞い始める。興味深かったのは、途中何度かワキ座で床几に座る百万山姥の方を見る様子をすること。この舞は百万山姥に対して舞っているのだ。

山姥が<クリ>で、
「それ山といつぱ、塵泥(ちりひじ)より起こつて、天雲懸る千丈の嶺。(地謡)海は苔の露より滴(したた)りて、波濤(はとう)をたたむ、万水(ばんすい)たり。」
と謡い、大小前で床几に座る。
その後さらに<サシ>、<クセ>と進み、漢文調の美しい詞章が続く。その中でも、
「法性(ほっしょう)峯聳(そび)えては、上求菩提(じょうぐぼだい)を顕し、無明(むみょう)谷深きよそほひは、下化衆生を表して、金輪際に及べり」の「金輪際に及べり」で山姥が閉じた扇を放物線を描くようにゆっくりと落としていく型が美しく、この型で「金輪際」という言葉が大地の底を指すということを初めて知った。そしてここでは、大鼓が入って一瞬の静寂があり、曲の流れにはっきりとしたアクセントが付けられていて、音楽的にも素晴らしい。

また、
「仏あれば衆生あり、衆生あれば山姥もあり、柳は緑、花は紅(くれない)の色々、さて人間に遊ぶ事、ある時は山賎(やまがつ)の、樵路(しょうろ)に通ふ花の陰、休む重荷に肩を貸し、月もろともに山を出で、里まで送る折もあり、またある時は織姫の、五百機(いおはた)立つる窓に入つて、枝の鶯糸繰り紡績の宿に身を置き、人を助くる業をのみ、賎の目に見えぬ、鬼とや人の言ふらん」
という詞章は、あまりに男前で(?)カッコイイ山姥の振る舞いにじーんと来てしまう。

そして地謡の、
「払わぬ袖に置く霜は、夜寒の月に埋もれ、打ちすさむ人の絶え間にも、千声万声の、砧に声の、しで打つはただ山姥が業なれや、都に帰りて世語りにせさせ給へと、思ふもなほも妄執か、ただうち捨てよ何事も、よし足引の山姥が、山廻りするぞ苦しき」
という謡の後、「足引の山廻り」で太鼓入りの囃子となり、[立廻リ]となる。

この[立廻リ]は大変力強い舞で足拍子も多く踏まれる。観ているうちに、途中から山姥が女性であろうと男性であろうと関係ない、中性的な、神さびた姿にさえ見えてきた。

山姥は、
「一樹の蔭一河の流れ、皆これ他生の縁ぞかし、ましてや我が名を名月の、浮世を廻る一節も、狂言綺語(きぎょ)の道すぐに、讃仏乗(さんぶつじょう)の因ぞかし、あら御名残惜しや」
と謡うと、
「暇申して変える山の、花は梢に咲くかと待ちし、花を尋ねて山廻り」
で橋掛リの方に行き、
「秋はさやけき影を尋ねて、月見る方にと山廻り」
で舞台に戻り、
「冬は冴え行く時雨の雲の、雪を誘ひて山廻り」
となる。そして、地謡
「廻り廻りて、輪廻を離れぬ、妄執の雲の、塵積もつて、山姥となれる、鬼女有様」
の後、
「見るや見るやと、峯に翔(かけ)り、谷に響きて今までここに」
で、囃子が急激に速くなり、山姥は三ノ松まで走っていく。
「あるよと見えしが山また山に、山廻り、山また山に、山廻りして」
で、山姥は三ノ松で幕方向を見ると、
「行方も知らず、なりにけり」
で終曲となる。

静寂の中、幕が開き、山姥はまた杖を突いてカン、カンという大きな音をさせながら幕の中に入っていく。山姥の姿が見えなくなっても幕が下りるまでカン、カンという遠ざかっていく杖の音は見所に響き続けるのだった。