国立劇場小劇場 2月文楽公演 第三部

国立劇場小劇場 2月文楽公演 <第三部>6時開演
 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
    渡海屋・大物浦の段
    道行初音旅
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3850.html

チケットを取ったときは気がつかなかったが、初日だった。あまり初日は好きではないけど、この日に観た第三部は大好きな千本の二段目だったので、大満足でした。それにしても、第一部は文雀師匠が休演。楽しみにしていた葛の葉が観られなくてとても残念。文雀師匠以外にも清友さん、始さんも休演とか。体調を崩しやすい時期だけに焦らずゆっくり休養をとっていただき、また元気なお姿を拝見したいです。


渡海屋・大物浦の段

典侍局(咲師匠・和生さん)が面白かった。この典侍局は気性の激しい一面を持ち、行動力のある人なのだ。以前、文雀師匠の典侍局を見て、文楽では典侍局の役割が大きいことが分かったが、文雀師匠の典侍局は気丈ではあるけれども、どちらかというと上品で可憐な雰囲気だった。けれども、今回のような典侍局も、アリかも。平安時代の上臈の女性というのは、行動面でも精神面でも非常に自由が制限されていた。そう考えると、今回の典侍局のように強い女性でないと、安徳帝を共奉して二年間も一般庶民に身をやつつして市井に潜伏し源氏への反撃の機会を伺うような生活には、ふつうはとても耐えられないだろう。知盛が源平の合戦を戦った当事者として、源氏への怨みを昇華させ平家の宿業を認め、自らを海に沈めることを決心したのと同様、典侍局も、平家の論理で一度は安徳帝を入水させようとしたものの、自分が育て上げた幼い帝の命を自分の手で絶つことに内心激しく動揺し、最終的には義経を信頼して安徳帝を託すこととし、平家方のお乳の人が側にいることによる、いらぬ後顧の憂いを無くすため、自刀して果てるのだ。そういう意味では、知盛に負けないほどの波瀾万丈の運命に翻弄されつつも、自分のなすべきことを考え、自分の使命を最後まで果たそうとした人なのだ。

一方の知盛(咲師匠・玉女さん)も興味深かった。二段目の知盛というのは、『平家物語』の世界を一身に引き受けているようなところがある。そのような様々なものを背負っているだけに、死力を尽くして戦おうとするものの、最期には「これといふも父清盛、外戚の望みあるによつて姫宮を御男宮と云ひふらし、権威を以て御位につけ天道を欺き天照太神に偽り申せしその悪逆、積もり/\て一門わが子の身に報うたか是非もなや」と、自身の悔恨を敢えて源氏方の義経達に告白し、自ら入水することを決心する様子は涙なくして観ることは出来ない。

そういう意味では、義経(新・文昇さん)というのは、この知盛の述懐を聞き、知盛に「昨日の仇は今日の味方、アラ心安や嬉しやな」と言わせるだけの度量が無くてはいけない、大切な役なのだという気がする。だってそもそもこの時点の義経は源氏方とはいえ既に落人で、帝を任せるには万全の条件の人では無いのだ。知盛のような知情意の備わった武将が敢えて彼に帝を託すのだから、万一、義経に何かあった場合も、ちゃんと抜かりなく帝の安全を確保してくれると思わせてくれるような人でなければならないのだ。もし知盛が、段切で海上の岩の上に登って碇を両手で持ち上げたところで「やっぱ帝は義経なんかに任せられん!」とか言って舟で戻ってきちゃったら、どうやってあの話を終わらせられるのだ。『義経千本桜』という外題の割には義経はあんまり活躍しないけど、お能はワキがいないと成立しないように、『義経千本桜』も義経がしっかりと存在感を示さないと成立しないお話なんだろうと思った(かといって、簑助師匠みたいな大御所に遣われても困っちゃうけど)。

それにしても、初演当時、義経の物語を作るに当たって、お能でも屈指の人気曲である『舟弁慶』を下敷きにしてそれを凌ぐ作品を作ろうなどと考えるとは、この作品を作った浄瑠璃作者チームの自信の程が知られるのでした。とはいえ、つっこみどころがないわけではない。例えば、渡海屋の段で銀平が何故か碇を担いで現れる(私は海の近くに住んだことがないので分からないのですが、通常、碇というのは家に持ち帰るものなのでしょうか…?)とか、典侍局が二年あまり大物浦の渡海屋に潜伏したとか言うけど、そりゃ、勘が当たったからいいようなものの、義経は九州尾形以外にも讃岐とか奥州とか色々落ち先はあるのに、何で敢えて大物浦なのか(ま、「舟弁慶」を下敷きにしているから仕方ないけど)とか、大物浦の段では、知盛は手負いとはいえ、あの重そうな碇を持ち上げて岩を上れるぐらいの余力があるんだから、ホントは義経達の前で碇を振り回したりして大暴れすれば案外、形勢逆転できたんじゃないか、とか…。

それと、忘れてはいけない、切場の咲師匠がすごいのは言わずもがなだから置いておくとして、清介さんの三味線もすごかったのでした。渡海屋の段の最後、知盛が白装束で出てきて「そも/\これは桓武天皇九代の後胤、平知盛の幽霊なり」となる箇所から段切までは通称「幽霊」というそうで、そこのところが清介さんだったのですが、「三味線さえ聴けば全部状況が目に浮かびます!」と言うのはあまりに僭越だからやめておくけど、そう言いたくなるくらいの表現力あふれる、スケールの大きい三味線なのでした。浄瑠璃の詞章に応じた表現もさることながら、間合いやテンポも素晴らしいのです。巧い人形遣いが遣う人形は生きているように見えるのと同じように、旋律の表現に加えて間合いやテンポが考え抜かれたものだと、音楽的に奥行きが出て立体的に立ち上がって聞こえるのだ。もともと清介さんの時代物の三味線は好きなのだけど、今回も本当に楽しませていただきました。また、音楽といえば、その「幽霊」の箇所は黒御簾もしっかりした囃子で良かった。いつもお能風の囃子が入る時、弱々しい演奏で全然お能っぽく聞こえないのが不満だったのです。ここは英さんも「そも/\これは桓武天皇九代の後胤」のところはお能でいうところの拍子不合(ひょうしあわず)っぽく、「はやお暇」の後は平ノリっぽく語ってらっしゃって、お能が好きな私はひそかに嬉しかったのでした。


道行初音旅

簑助師匠の静御前と勘十郎さんの狐忠信というゴーカな配役。もちろん桜満開の中の静と狐忠信の踊りもすてきでしたが、静御前の投げた扇が高く大きな弧を描いて宙を舞う様子が、この曲の雰囲気を象徴するようで、うっとりと眺めたのでした。