国立劇場小劇場 2月文楽公演 第一部

<第一部>11時開演
 芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)
    葛の葉子別れの段、蘭菊の乱れ  
 嫗山姥(こもちやまんば)
    廓噺の段
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/3850.html

一度観たのですが、再見してきました。

芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)

きつねになって脱兎の如く去っていく葛の葉が切なかった。浄瑠璃では「抱きし童子をはたと捨て形は消えて失せにける」となっているが、舞台上ではきつねになって、思い入れをして、下手に去っていくのだ。

保名は家に戻ると、葛の葉に、先ほど葛の葉の両親と偶然会ったことを告げる、日暮れにはこの家に来るので髪に櫛を入れ衣服も着替えて両親を迎えるよう促し、葛の葉は衣服を改めに別の間に行く。この短い会話の中からは、保名は葛の葉に不審な様子を読みとることはできず、庄司夫婦と葛の葉姫がむしろ何かこの世のものではないものなのではないかといぶかしがりながら部屋を出ていく。そこに保名と入れ違いに、葛の葉が衣服を改め童子の眠る一間に戻ってくる。

童子を押し抱き、涙にむせびながら、いつかは来ると思っていた幸せな生活の終わりがとうとう来てしまったを悟りつつも、保名と童子を後に残し離れることの耐え難さをかき口説く葛の葉。けれども、葛の葉が童子を強く抱きしめて童子が思わず泣き出すと、様子を伺っていた保名と庄司夫婦、葛の葉姫が葛の葉と童子のいる一間に飛び込んで来る。葛の葉は、もはやこれ以上長居はできないと、絶ち難い夫婦や親子の愛情を無理矢理断ち切って、きつねになって家を飛び出すのだ。前に観た文雀師匠の葛の葉は、自分の言葉で弁明する代わりに、きつねになることで真実を知らせ、後ろ髪引かれる様子で去っていった。中世の御伽草子の世界を彷彿とさせる、母性的で優しい葛の葉だった。今回の和生さんの葛の葉は、深い愛情故にものすごく強いエネルギーで未練を断ち切る必要があった。そのため、きつねに戻ることで幸せな人間の葛の葉としての過去を断ち切って、その場から逃げ出さなければならなかったのだ。

物語の祖という『竹取物語』のかぐや姫は、月に帰るとき、月の国の衣を着ると、たちまち竹取の翁を「いとほし悲しと思しつることも失せ」てしまう。その衣には「もの思も無く」する力があるからだ。一方、浄瑠璃の葛の葉は狐に変化しても、かぐや姫のように、完全に情を無くしたりすることは出来なかったらしい。そして、そのことを表現したのが「蘭菊の乱れ」なのだろう。きつねの畜生類としての本能的な不安と、人間の葛の葉としての保名や童子に対する情が、まるで「狐の嫁入り」の空模様のように交錯し、乱れ乱れて混じり合い、観ている者は、葛の葉の哀しみとその不思議なきつねの通力の世界に魅せられてしまうのだった。

というわけで、すてきなすてきな葛の葉でした。ちなみに玉女さんの保名も、葛の葉が恋に落ちるのも納得の、かっこよさなのでした。


嫗山姥(こもちやまんば)

紋壽さん休演につき勘十郎さんが、綱師匠休演につき津駒さんがそれぞれ代演されました。はからずしも、綱師匠&紋壽さんバージョン、津駒さん&勘十郎さんバージョンを見比べることが出来ました。

正直に言うと、津駒さん&勘十郎さんバージョンの方が私が思い描いていたものに近く、観ていてわくわくして、とても楽しかったのでした。是非、次は本役で拝見したいものです。けれども、一方で、津駒さん&勘十郎さんバージョンを観たことで、綱師匠&紋壽さんバージョンの良さもわかりました。綱師匠の言葉の技巧の面白さ、紋壽さんの八重桐の時行と別れてからの苦難や辛さといった内面の彫りの深さ等々。やっぱり、いろいろ見比べないと分からないものだなあと思いました。