国立劇場小劇場 5月文楽公演

<第一部>11時開演
 源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)
    矢橋の段  竹生島遊覧の段
 竹本綱大夫改め九代目竹本源大夫
 鶴澤清二郎改め二代目鶴澤藤蔵
 襲名披露口上
    糸つむぎの段 瀬尾十郎詮議の段
   襲名披露狂言
    実盛物語の段

傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)
    新口村の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2011/511.html

源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)

今まで、なぜ、あれだけの犠牲を払ってまで小まんは源氏の白旗を守り、九郎助夫婦は葵御前を守ろうとしたのか、あまりよく分からないままに観ていた。考えてみると、「源平布引滝」という外題から間接的に連想されるように、「源平の争い」と、その「駆け引き」が重要なモチーフで、小まんの夫と子供の太郎吉が源氏方というのが、鍵なのだった。「実盛物語の段」で九郎助が説明するように、小まんは自分の出自、「平家何某の娘」という書付を自分で持っていたのであれば、「竹生島遊覧の段」で、宗盛の船で詮議を受けた時も、自分は平家の血筋を引く者という事実を明かし、源氏の白旗を渡せば、その場も収まるし、それを手柄として九郎助達を助けることが出来たかもしれない。今回上演されなかった前の方の段を読んでみると、小まんの夫で太郎吉の父親である折平は、実は多田蔵人行綱で源氏方だということが明らかにされるので、恐らく小まんは、源氏方である夫と太郎吉の命と忠義を守るために、文字通り、死んでも源氏の白旗を離さなかったのだろう(とゆーか、2008年12月にその該当箇所の「義賢館の段」を観ているはずなのだが漠然とした記憶しかなく、しかもメモに「義賢館から見たから(実盛物語が)良く分かった」などと書いておきながら、どう分かったのか書き残していない自分が腹立たしい)。

「瀬尾十郎詮議の段」では、冒頭、琵琶湖で引き上げた白旗を握り締める腕の手を、太郎吉がいとも簡単に開く。その白旗は小まんが義賢から預かった源氏の白旗であり、すなわち、その腕は小まんのものであることが分かり、一同、驚く。そこへ、瀬尾十郎と実盛が、葵御前の詮議のため、九郎助の家に現れる。九郎助と女房が、厳しい瀬尾の詮議にも耐え、葵御前が腕を産んだというありえない作り話までして、大真面目に芝居を打つのは、行きがかり上、葵御前を匿うことになったからだけではなく、手を切り落とされてまで白旗を守ろうとした、その小まんの奮闘を決して無にしたくないという思いからだろう。さらに、葵御前に後に木曾義仲となる若宮が生まれたとき、九郎助が、すぐに、「お生れなされたいと様の、御家来にはこの太郎吉」と申し出るのも、太郎吉が多田蔵人行綱の子という由緒正しき源氏の血筋だからだろう。(とはいえ、葵御前が「もっとも父は源氏なれども、母は平家某が娘と九郎助の物語。一家一門広い平家、もし清盛が落し子も知れず、まづ成人して一つの功を立てた上で」と、何の脈略もなく源氏の血筋を持ち出しても実盛は納得し、瀬尾もこの詞で踊りでてくるところは、作者が文章をすこし端折りすぎな気がしないでもないけど)。

葵御前の言葉を小柴垣から隠れ聞いていた瀬尾は、そのまま九郎助の家に入り込み、太郎吉に平氏の自分を討ち取らせ、実盛に若宮の御家来にしてもらえるよう、とりなしを請う。ここで太郎吉は折角出会えた実の祖父を殺し、太郎吉の血縁のうち、平家の血を引く肉親は絶えてしまい、正真正銘の源氏方となる。一方、実盛は、元は源氏方ながら新院の謀反という運命のいたずらで、源氏に密かに心を寄せつつも、ずっと平家に仕え、将来、手塚太郎に討たれる。源平の間で人々が運命に翻弄されるお話なのでした。

ところで、興味深いのは、「実盛物語」の段という段の名前だ。歌舞伎の「実盛物語」は誰が観ても実盛が主人公なので、実盛の物語という名称と納得がいくのだが、文楽では実盛がこの段の主人公とは言い難い。小まん、九郎助と女房、太郎吉、瀬尾、それぞれが彼等なりの物語があるのに、一方の実盛自身は、この段では、ある意味、第三者的立場を保ち続ける。実盛の仕方噺が眼目のひとつだから「実盛ガ物語ル」ということなのだろうか、それとも、実盛が手塚太郎に討ち取られることになる発端の話だからだろうか、それとも歌舞伎から引いた名称なのだろうか。

新・源大夫師匠は実盛仕方噺まで。お元気そうな声が聴けてよかった。そういえば、源という字と源氏方の源は通じるものがありますね。それから、新・藤蔵さんの三味線も最後まで大変迫力があって楽しかった。


傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく) 新口村の段

ものすごい頻繁に新口村を観ている気がして、思い出してみたら、1月に大阪で観て、3月にマーティ・グロス監督の映画「冥途の飛脚」(「新口村の段」のみ『傾城恋飛脚』より)を観ていた。

私は新口村の梅川では、苦労人で他人のことを第一にする紋寿さんの梅川が一番好きなので(そういえば、文雀師匠のは観たことがない)、今回は、満足。新口村の梅川って左側に後れ髪っていうんでしょうか?それがあるんですね。他の人形の時もあったかな。気がつかなかった。逃避行で疲れてしまっているということでしょうか。そして、以前、紋寿さんが梅川を遣われた時、流水の文様の袴を着けていらっしゃったけど、今回もそうでした。やっぱり、梅川の「川」ですね。おしゃれ。

そして、最後、孫右衛門(玉也さん)が「オヽそふじゃ/\その道じや。ソレその藪をくぐるなら、切株で足突くな」と言って傘をすぼめて泣くシーンが、好き。周りに誰もいなくても傘をすぼめて涙を見せないようにして泣く孫右衛門の人となりが良く分かる場面で、この型を考えた人はすごいと思う。

もー、ほんと、忠兵衛は孫右衛門を泣かせるは妙閑を牢屋に入れるは、親泣かせの悪いやつだ!しかし、自分を顧みれば、母の日はカーネーションを送ってお茶を濁し、しかもお花が届くや否や親から「ありがとう」という連絡をもらい、親に感謝する日なのに、親に感謝されてどうするという、あまり忠兵衛のことをとやかく言えない母の日だったとやら。