国立文楽劇場 文楽鑑賞教室 寺入り・寺子屋

第29回文楽鑑賞教室
伊達娘恋緋鹿子
  火の見櫓の段
解説 文楽へようこそ
菅原伝授手習鑑
 寺入りの段・寺子屋の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2012/1424.html

多分、初めて大阪の鑑賞教室を見に行きました。時間の都合上、C班しか観ることができなく、残念。

鑑賞教室の最初は東京と同じで、お七(一輔さん)。素敵なお七でした。続いて、ひっさびさに観た相子さんと清丈さんの漫才のような解説。私が最初にお二人の解説を観た時よりずっと語りと三味線も格段に上手くなられていて、「大きくなられて」と母になった気持ちで心の中で涙しました(?)。それに比べて、私の文楽理解は何故、一向に深まらないのだろうか。謎です。


菅原伝授手習鑑 寺入りの段・寺子屋の段

解説で相子さんが、松王丸は、三つ子の真ん中で、ちょっとひねくれてるという話をしていた。分かっているつもりだったが、改めて、松王丸の性根に気づかされた。私が子供の頃、一番仲が良かった幼なじみの子も、三人姉妹の真ん中だった。彼女は、ちょっと皮肉な物言いをしたり、自分から外れものになったりするところがあった。それでも実は一番優しい子で、ぶっきらぼうに、陰で人のために何かをしてあげたり、おうちのお手伝いも一番しているような子だった。その子のおばあちゃんは、彼女のそういったところを良く知っていて、家事に関しては一番厳しく彼女に教えていたし、彼女を可愛がっていたと思う。

松王丸も、そういった人なのだと思う。折にふれて、兄弟に対して自分が時平に伺候していることを正当化し、そのために鋭く対立する。さらには、自ら白太夫に勘当を願い出て親子兄弟の縁を切る。しかし、その実、菅丞相の御詠歌、「梅は飛び桜は枯るゝ世の中に、何とて松のつれなかるらん」*1を受けて、「松(王丸)はつれない、つれない」と、口さがない人々が噂するころを悔しく思っていた。しかし、松王丸は、烏帽子親で恩を受けた菅丞相や家族に対して、自分も犠牲を払わなければならないと、心に決めていた。時平側の追跡から菅秀才の命を守るため、自分の一人息子の首を身代わりに差し出すことになる。


寺子屋の子供達の面改めは、可愛らしい場面だが、松王丸にとっては寺子屋の子供の数を数え、文庫机の数と照合し、小太郎が寺子屋に来ているかどうかを確認するための作業だった。また、源蔵に対して「生き顔と死に顔は相好が変はるなどと、身代はりの贋首、それもたべぬ。古手(ふるで)な事して後悔すな」と言うのも、源蔵が小太郎を身代わりにするよう、敢えて、そういうことを持ちだしたのだろう。「思ひ出だすは桜丸、御恩送らず先立ちし、さぞや草葉の蔭よりも、うらやましかろ、けなりかろ。悴が事を思ふにつけ、思ひ出さるゝ出さるゝ」という松王丸の言葉も、桜丸と小太郎を失った哀しみの裏返しであるような気がする。彼は、自分の自害ではなく、何の罪もない息子が身代わりになるという形でしか菅丞相の恩に報いることが出来なかった苦しみを、彼自身の性格から、そのような形でしか吐露できないのだ。そして、私達観客は、千代の嘆きを通して、松王丸の心の底の嘆きの深さを知るのだ。


松王丸の孤独は、菅丞相の持っている孤独に通じるものがあるような気がする。菅丞相は、北野天満宮縁起には、高名な学者、菅原是善の養子とされており、血の繋がった親子ではないという俗説があった。また、学者の身ながら、宇多院に重用され、右大臣まで上り詰めたが、それは他の貴族達にとっては面白いことではなく、ついに讒言を受け、太宰府に左遷され非業の死を遂げる。松王も自分の本当の気持ちは親の白太夫にも兄弟にも理解されることは無かった。『菅原伝授手習鑑』とは、運命によって人との絆を断ち切られてしまった人達の、孤独と哀しさについての物語なのかもしれない。


床も人形も、期待していたよりずっと素晴らしかった。やっぱり寺子屋は名作だ。詞章を読むだけでも感動するが、読んででいると、例えば、江戸時代の人々は何故ここまで忠義を大事にするという価値観を好んだのだろう、などという疑問が湧いてきたりもする。しかし、いざ舞台で語りや三味線を聴き、人形を観れば、感情を強く揺さぶられて、そういった疑問は舞台を観ている間は、吹き飛ばされてしまう。ひとつ、今回、興味深かく思ったのは、源蔵の性根についてだ。2010年の夏公演で、綱師匠・津駒さんの語りで、和生さんの源蔵を観た。この時の源蔵は、落ち着いた思慮深い印象だったが、今回の幸助さんの源蔵は、もっとずっと力強い源蔵だったし、津駒さん、呂勢さんの語りもそういう線だったと思う。落ち着いた思慮深い源蔵も力強い源蔵も、両方ありかもしれないが、力強い源蔵と松王丸が両者一歩も引かず対峙する場面は、大変迫力があった。色々な人のパフォーマンスを観ないと分からないことがあるのだということを、改めて感じさせられた。

*1:ただし、和歌において、『つれない松』という発想は、万葉集古今和歌集等の歌には無いように思うので、実際には菅丞相より、もっと後の人が作った歌ではないだろうか