JTアートホール 素浄瑠璃の会 封印切

■素浄瑠璃の会■
出演:竹本千歳大夫
    鶴澤燕三
    解説 高木秀樹
開催日:2012年7月1日(日)
開演:14時30分 (14時開場)
     16時15分終演予定
会場:JTアートホール アフィニス
http://sui-no-kai.jp/

浄瑠璃の会があるというので、お伺いしてみました。


解説


最初の三十分は、イヤホンガイドの高木秀樹さんの解説。千歳さんと燕三さんは実は同年生まれで、かつて「兎小舎(うさぎごや)の会」という素浄瑠璃の会を長年やっていて、高木さんはそれを追っかけて聴かれていたとか。

「封印切」は、浄瑠璃では、八右衛門が良いヤツで、歌舞伎では悪いヤツなのだそう。そういえば、以前、歌舞伎座で観た藤十郎丈の忠兵衛と三津五郎丈の八右衛門演ずる『恋飛脚大和往来』の「封印切」は、八右衛門が悪いヤツだったっけ。『曽根崎心中』の天満屋と『冥途の飛脚』の「封印切」は、主人公の友人の男性の介在で、主人公とその恋仲の遊女が、二人の仲を貫き通すことと引き換えに死より他に無い方向に運命の梶を切ってしまうという構図が似ている。が、『曽根崎』の九平次は、『冥途』の八右衛門とは違い、ワルなのだ。面白いなあ。高木さんによれば、『曽根崎心中』は近松51才の時の作で、『冥途の飛脚』は59才の時の作とのこと。『曽根崎』の九平次のように、悪知恵が働くワルが徳兵衛とお初を追い詰めるという流れも面白い。が、何故、九平次は徳兵衛を陥れようとするのか、何故、お初は心中を決心するのか、というところが、すんなり納得できることが少ないという戯曲上の難点がある。一方、『冥途』の八右衛門のように、忠兵衛を親身に考えている友人のしたことが、運命のいたずらで、裏目に出て、忠兵衛に公金の封印切という引き戻せない犯罪に踏み切らせてしまう悲劇は、忠兵衛、八右衛門、梅川の心の動きや動揺が手にとるように分かり、なるほど、『曽根崎』の後に書かれた作品なのだと感じる。

高木さんの解説では、他に、「封印切」の最後で、出口は新町の西口だけが開くというところが、忠兵衛と梅川に西方浄土を連想させて二人はわなわなと震えるとか、千日は刑場だったということは聞くけど、明治の初め頃までそうで、その当時、道頓堀の芝居小屋からも、さらし首が見えていた(怖い!)等々、興味深い話がありました。


『冥途の飛脚』 封印切

このホールは残響が長いというわけではないのだが、音の反響がかなり良いようだ。冒頭の梅川のいる越後屋の遊女達の控える部屋での風景の描写は、柔らかに憂いを含んだ語りと三味線だったのだと思うけれども、語り、三味線共に、反響の良さが裏目に出てしまって、かなり篭った音になってしまい、聞き取り難くなってしまっていたのが残念。八右衛門が出てくる辺りからは、それほど気にならなくなったので、ある程度の音量が無いと、反響音の影響が大きくなり、元の音の輪郭をぼんやりさせてしまうのかもしれない。

で、その八右衛門が出てからは、語りや三味線も、ある程度はっきりと聞こえるようになり、物語もいきいきと感じられるようになった。八右衛門と忠兵衛のやりとりがエスカレートしていって、とうとう封印を切ってしまうところ、封印切の事情を知らず「なんぞいの、一代の外聞、傍輩衆へも盃ごと、暇乞ひも訳よふして、ゆるりと出して下さんせ」という梅川に忠兵衛が自分の罪を告白し、二人が罪の重さにおののく様子等、緊迫した場面は、やはり千歳さんも燕三さんも持ち味が出るところのようで、大変迫力があった。また、語りに関しては、八右衛門が一番良かったような気がした。


それにしても、「封印切」や「新口村」を観たり聴いたりする度に思ってしまうことは、どうして、梅川は忠兵衛が、心中しても良いと思うほど好きなのかということだ。「封印切」の忠兵衛は、その場での自分の面子を守るために状況を冷静に判断できない程にキレてしまい、公金に手をつけてしまうし、今日はやらなかった「淡路町」では、梅川をめぐって田舎侍と張り合うために為替金に手をつけていながら、八右衛門の友情に付け込んで、八右衛門と妙閑には嘘をつく。忠兵衛が、そういう行動をとらざるを得ない状況に陥っていくプロセスは、非常に巧く描かれており、そのような心理描写に納得が行くのだが、そんな忠兵衛を好きな梅川の気持ちが良く分からない。高木さんは解説の中で、大阪の女の人は、かっこ良い人よりも、吉本のお笑い芸人のように、かっこいいだけでない人が好きなのだとおっしゃっていたが、忠兵衛の行動そのものはどうだろう?女性は東京大阪にかかわらず、ニューヨークだろうと上海だろうとムンバイだろうと、あのダメ男加減を好きになれない人は多そうな気がする。

考えてみるに、梅川は、まず、自分を身請けしようとする「田舎客」が「憎い」とあり、要するにお金に物を言わせるのがせいぜいの、やぼったい人は好きでないらしい。また、私自身は忠兵衛と八右衛門だったら、確かに口は悪いが、友人のことを親身に考えられ、人間的に大人で魅力のある八右衛門の方が、どちらかと言えば好きだけど、梅川は、八右衛門よりも忠兵衛の方が良いらしい。となると、やはり、答えはひとつ、梅川にとっての忠兵衛の魅力というのは、普段男性の嫌なところを見る機会の多い梅川にでさえ、可愛いと思わせる色男だから、ということではないだろうか。例えば、歌舞伎の仁左衛門丈とか、狂言野村萬斎師とかが、「淡路町」の最後の場面のように、「おいてくれふか、いて退けういて退けう/\/\いて退けうか、………、エ、行きもせい」等と羽織を落として言ってみたり、「封印切」のような状況で封印切ったりしたら、きっと、多くの女性は、そういう"仁左さま"や"萬斎さま"を「だめ男」だけど、そこが可愛くて素敵、と思うに違いない。そう考えると、文楽の床は、忠兵衛に関しては、大体、金切声を出してキレたり、情けないおろおろとした声で忠兵衛を表現するけれども、一回でいいから、もっと色男という設定でやってくれないかしらん、などと思ってしまうのでした。


何故、そんなことがいつも気になるかというと、梅川が忠兵衛と逃避行するのは、忠兵衛が公金の封印を切ってしまったとばっちりで仕方なくとか、自分がそういう行動に走らせた一端を担った罪悪感から一緒に逃げてざるを得なかったとかいうのではなく、忠兵衛と添い遂げるために自ら望んで一緒に逃げるのだという風に納得したいからなのです。


というわけで、大変力の入った、楽しい会でした。