夏休み文楽特別公演 第3部 曽根崎心中

第3部 【サマーレイトショー】
近松門左衛門=作
曾根崎心中 そねざきしんじゅう
 生玉社前の段 ・ 天満屋の段 ・ 天神森の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2012/1490.html?lan=j

この週末に観に来ることが出来るかどうかギリギリまで分からなかったので、当日にチケットを購入したのですが、午前中の時点で、すでに三部の残席は三、四席しかなく、選択の余地の無い席となってしまいました。行けそうと分かった時点で、とにかく席を取っておけばよかったと、ものすごく後悔しています。しかし、これだけ盛況であることは、ファンにとっても嬉しいことでした。

また、清治師匠まで病気休演とのこと。これもまた、今回の騒動が原因だとしたら、文楽を背負うと自ら認めていらっしゃるであろう住師匠や清治師匠が、どれほど今回の件を真摯に受け取っていらっしゃるかが忍ばれ、本当に心が痛みます。心から、一日も早いご快癒をお祈りしています。


今回、『曾根崎心中』を観る前にざっと詞章を眺めていたら、「生玉社前の段」で九平次が、「吉野初瀬の花紅葉、更級越路の月雪」という謡を謡いながら(実際には謡ではなく、小唄のような節が付ているけれども)、と謡いながら、酔い心地で歩いてくるところがある。改めて、あれ、と思って確認してみると、謡曲の「望月」の一部らしい(他の流儀にはあるが、観世流には無い)。「望月」というのは敵討の曲で、ここで九平次が謡う部分のある小段は、これから敵の前で獅子舞などを舞ってそれに乗じて敵を討とうとする場面に出てくる(『元禄忠臣蔵』の「御浜御殿」で、綱豊が舞おうとするやつです)。つまり、この登場の場面から、すでに、九平次は徳兵衛を「討つ」気でいることが、観客に対して暗示されている。

なるほど、と思って、改めて、よくよく考えてみると、確かに九平次の仕掛けた罠は非常に計画的だ。日を追って徳兵衛と九平次の足取りを見てみると、まず肝心の徳兵衛が叔父である旦那に、四月七日までに二貫目を返すよう言われたのがいつかは分からない。しかし、その後、徳兵衛が在所の継母のところにお金を返すよう言いに行き、埒があかず、今度は京五条の懇意の醤油問屋に行くがこちらもまた用立てできず、さらに再度在所の母のところに行ってとうとう継母を説得して二貫目を返してもらう。それぞれに一日かかるとして、最低でも旦那との口論から数えて三日はかかる計算になる。一方、九平次は、印判を紛失したと町衆に届け出たのが二十五日、徳兵衛に二貫目を借りたのが二十八日ということになり、九平次は、徳兵衛が旦那と口論して二貫目の調達を始めたことを知るやいなや、印判紛失の届を出したことになる可能性が高い。そして、九平次は、首尾よく徳兵衛が調達した二貫目を手に入れると、徳兵衛が二貫目を旦那に返さなければならない期限の四月七日の前日まで雲隠れする。そして、四月六日になって、近所の町衆を大勢連れて、町衆とお初の面前で、徳兵衛を罠に陥れる。早速二貫目の催促をする徳兵衛に対して、九平次は、二貫目を借りた覚えはなく、徳兵衛は偽の証文を作ったと言い放つのだ。最後に徳兵衛は大勢の町衆にさんざんになぶられ、一気に窮地に落とされる。「生玉社前の段」の最後で、徳兵衛は、「所詮生きては世間も立たず、最早今宵は過ごされず、とんと覚悟を極めた」と言い、死を覚悟している。

ふと気になって、近松の原文を読んでみると、この辺りの流れが少し松之輔版とは異なっている。

まず九平次の出の謡は、「望月」ではなく、「三井寺」の有名な小段、「鐘の段」と呼ばれる謡の一部だ。「三井寺」自体は、人さらいにあった子を捜し求めて清見寺の辺りから三井寺まで旅をしてきた母の物語であり、九平次の悪巧みを象徴するような意味合いは、この小謡からは読みとれない。ここでこの小段が引かれる意味は、三井寺のご本尊が観音様であることから、観音信仰や『曾根崎心中』で重要なモチーフのお寺の鐘の音を観客にイメージさせるためかもしれない。現在では「三井寺」の「鐘の段」の一節を謡っても、その意味をすぐに察する人はほとんどいないかもしれない。けれども、近松の時代は、ちょうど能狂いの徳川綱吉の治世に重なるので、この当時はおそらく謡が盛んで、人気曲の「三井寺」の有名な「鐘の段」からの一節ということになれば、理解する人も多かったのだろう。

となると、どうして松之輔は原文の「三井寺」の「鐘の段」の一節を「望月」からの引用に変えたのだろうという疑問が沸いてくる。松之輔は、原作の主だったモチーフのひとつである観音信仰というテーマを、松之輔版『曽根崎心中』から削除しており、そのことがここで彼が謡を変えたいと思った理由のひとつではないかと思われる。何故このテーマを削除しようと思ったのかは、上演時間の都合で観音廻りを省略することになったため、観音信仰をテーマにすることの意義が薄くなったからなのか、それとも、当時の観客の趣味に合わなかったからなのかは、テキストのみからは分からない。しかし、とにかく、そこが近松の原文に対する松之輔版の『曽根崎心中』の特徴のひとつだ。そして、九平次の出で、彼に「三井寺」の「鐘の段」を謡わせる代わりに「望月」を謡わせることで、近松の原文の設定を生かしつつ、徳兵衛を討とうとする九平次を端的に暗示しようとしたのではないだろうか。しかし、この印判の紛失の話はどちらかが身の潔白を明かす証拠を持っているわけではなく、徳兵衛側に立って眺めれば九平次側の方が限りなく黒に近く見えるとはいえ、究極的には一種の水掛け論であり、近松自身は白黒の判断を示していない。そこの部分は、出来るだけ現実世界のあり方に近づけて事件を描こうとする近松と、演劇としての面白さを追求しようとした松之輔といった比較が出来るように思う。

そういう意味では、近松自身は、観音菩薩の霊験譚の形式をとりながら、決して、徳兵衛も心中も美化しておらず、あくまで現実世界を描こうとすることに力を入れているように思われる。

たとえば、もし徳兵衛のいうことが本当なら、九平次は確かに、徳兵衛が窮地に陥ったと見るや素早く行動を起こし、犯罪といっていい程の悪辣な罠を徳兵衛に仕掛けたことになる。しかし、その罠にかかった徳兵衛というのも、どうであろう。よもや、九平次は普段は「男を磨く奴」で、今回初めてこのような悪事を働いた、などということはあるまい。だとすれば、本来ならば、いくら九平次が連れてきていた町衆の面前で罪を着せられ、なぶられたと言っても、一方で、九平次の日頃の悪行をよく知っており、彼の一味のやることを快く思っていない町衆も多くいたに違いなく、かならずしも今回の九平次の一件が、本当に死んで汚名を晴らすほどのことかどうかに、疑問が残る。

省かれている叔父、久右衛門の存在に関しても同様だ。継母に育てられていた肉親の甥を自分の手元に呼び、商売のいろはを教えるような人であれば、徳兵衛との口論も本意ではなく、徳兵衛を心配してのことである可能性が高いということは想像が付く。しかし、反面、それであれば、何故徳兵衛は、その叔父の真意に気付くことができず、喧嘩を買うような勢いで叔父のやり方を非難し、話をこじらせてしまったのだろうか、という疑問も沸いてくる。

とすると、これらのことから浮かび上がってくる、近松の原文の中の「徳兵衛」像というのは、思慮の浅い、早合点しがちな若者ということになる。『女殺油地獄』の与兵衛とは異なるものの、同じように刹那的な若者像を彷彿とさせる。

また、近松の原文の心中の道行は、松之輔版よりずっと壮絶なものだ。「恋の手本となりにけり」という最後の句は、彼らの心中して身の潔白を晴らそうとしたことの次第について近松自身が賞賛の意を表して言ったものというよりは、お寺で恋人同士が連理の枝のように一つの木に自分たちの体をくくり付けて心中したというその死に方自体が、恋人達の手本となった、すなわち、その後、それに共感して心中をした恋人が増えたという事実を事実として語っているように思われる。それまで基本的に現在形で語ってきた本文がここの部分だけ、「なりにけり」という伝聞の過去完了形としていることも、観音の霊験譚としての形式を整えるように見せながら、その実、中身は従来の霊験譚とは全く違う世情の話であり、少し突き放した印象もあるように思われる。

もし近松がお初徳兵衛の心中を「恋の手本」として賛美したかったのであれば、近松の他の曲に照らしても、徳兵衛の人物造形やこの心中の必然性等について、もっと美化する方向に筆を加えたのではないかという気がする。近松は、きっと、時代物に付き物の厳然とした勧善懲悪や忠義のお芝居の世界と、それを観る見物の人々が芝居小屋から帰っていく先の現実世界の差を常に意識していて、『曽根崎心中』によって、時代物とはは異なる、善悪の解釈を入れずに、事実を事実として描いた作品を書きたかったのではないだろうか。

一方、松之輔版では、「天神森の段」の道行を、「恋の手本」とでもいいたげな(実際にはこの近松の原文の文言を松之輔は省略しているが)、哀切を極めた美しいクライマックスとしている。そして、そこ至るまでの道のりを、心中への一直線の道とするために、九平次に「望月」を謡わせ、「生玉社前の段」の最後で、徳兵衛は、「所詮生きては世間も立たず、最早今宵は過ごされず、とんと覚悟を極めた」と言い、死を覚悟している。この部分は、近松の原文では、「此徳兵衛が正直の心の底の涼しさは三日を過ごさず大阪中へ申し訳はして見せふ」と言うのみで、この時点では徳兵衛は死の覚悟については語っておらず、松之輔が、徳兵衛というよりはむしろ観客に死を意識させるために置いた布石だろう。そして、お初はもちろん、原文同様、徳兵衛に「死ぬる覚悟が聞きたい」と言い、白無垢死出立で天満屋を飛び出し、「はやう殺して殺して」と言って徳兵衛を促すのだ。

そういう意味で、「天神森の段」は、少なくとも松之輔版『曾根崎心中』にとっては、とても大事な段であり、あの段の完成度が高いからこそ、人気演目になったのだろう。


今回は、人形は「天神森の段」だけ出遣いで、それ以外は黒衣姿だった。人形は、勘十郎さんの徳兵衛と簑助師匠のお初が素晴らしいのは言わずもがなだけれども、合邦女房も九平次も映る文司さんが、さりげなくすごかったのでした。

そして最後の「天神森」。今は言葉にならないし、言葉にしたくない。私の心の中にしまっておかせてください。