国立文楽劇場 夏休み文楽特別公演 第2部

第2部 【名作劇場
摂州合邦辻 せっしゅうがっぽうがつじ
 合邦庵室の段
伊勢音頭恋寝刃 いせおんどこいのねたば
 古市油屋の段・奥庭十人斬りの段
契情倭荘子 けいせいやまとぞうし
 蝶の道行
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2012/1490.html

摂州合邦辻 (せっしゅうがっぽうがつじ) 合邦庵室の段

『攝州合邦辻』は、私が初めて文楽で観た演目。2007年2月の第2部で、単純に、「歌舞伎役者がよく言う『本行』とは如何なるものなのか、ちょっと確かめて来よう」という軽い気持ちで、国立劇場の小劇場に行った。その時は、合邦庵室の切は住師匠で、文雀師匠の玉手御前、文吾さんの合邦。文雀師匠の美しく、おきゃんで、一本気な玉手御前に魅了されてしまい、そのまま文楽にはまってしまった。


『合邦』のことを考える時、いままで何となく不思議だと感じていたことがある。それは、何故、『摂州合邦辻』という外題になったのだろうかということ。この『摂州合邦辻』が拠って立つ物語は、有名な中世説話のひとつである俊徳丸の説話だ。この伝説は、説経節では『しんとく丸』という題名だし、お能も、盲目の俊徳丸がよろぼい歩く様子を揶揄したあだ名、「弱法師」が曲の名前になっている。(それ以外にも、同じく説経節の「愛護若」という、継子に恋慕する継母の讒言によって、継子の愛護若は逃避行の末、滝に身を投げて入水するという話の影響を受けているという。)

ところが、浄瑠璃の『摂州合邦辻』という外題は、俊徳丸には直接関係ない。『摂州合邦辻』は、摂津国天王寺の西門の通りに「合邦が辻」という古跡があり、この浄瑠璃がその古跡の伝説を伝えるという形式となっていることから、そのことを表した外題と言える。

しかし、そのような表向きの意味以外に、もう一つ、内包している意味がある。登場人物の一人、合邦の娘、玉手御前は前名をお辻と言い、「合邦辻」という題名は、「合邦の娘、お辻」という意味にもなる。『合邦』の最後の段は、「合邦庵室の段」という名前で、合邦の家が物語の舞台となる。家や家族というのは、基本的にはその家の主(あるじ)の下に秩序立っている世界と、江戸時代の人は考えたろうし、それを理想としただろう。そう考えてみると、「合邦庵室の段」は、いわば合邦という人の哲学や心情を背景とした世界を象徴する場所で起こった出来事だ。「合邦庵室の段」に至るまで、住吉神社や高安館や万代池を舞台として話は進むが、「合邦庵室の段」では、この浄瑠璃の下敷となった伝説の主人公、俊徳丸が合邦の家に引き取られて奥の間におり、その俊徳丸を追って、合邦の娘の玉手御前が合邦の家に帰ってきて、物語の主要な登場人物が合邦の庵室に勢揃いした中で思わぬ事件が起き、この物語の一番の山場となる。つまり、その父の合邦と娘の玉手御前の間に起こったことが、この浄瑠璃のテーマであるはずだ。

そして、次に私が興味を引かれるのは、最後に俊徳丸を助けるのが、玉手御前だったということだ。説経節の『しんとく丸』では、継母の呪いにより盲目になり奇跡を求めて天王寺に向かうが、清水寺の観音様のご加護で盲目が癒え父と無事再会し、お能の「弱法師」では、特に盲目が治ったりはしないけれども、父の高安通俊が万代池のほとりの俊徳丸を見つけ、故郷の連れて帰る。どちらにしても、俊徳丸は他力によって救われ、その形自体はこの浄瑠璃でも踏襲されているのだが、何故、菅専助等は玉手を俊徳丸を救う人として選んだのだろうか。

玉手は前半、俊徳丸へ邪恋する悪徳の継母として描かれれるが、最後に父の合邦に刺されて後、戻りとなり、実は、邪恋は左衛門と俊徳丸、次郎丸を皆々救うための演技だったと告白する。夫、高安通俊左衛門一家への義理立てをし、彼らを救うためには、この方法しかなかったと言うのだ。この告白により、彼女の今までの不可解と思える邪恋や行動はすべて説明が付き、登場人物達の涙を誘う。

ここでふと気づくのは、玉手の口説きの内容が浄瑠璃口説きの典型から外れていることだ。彼女は、専ら左衛門や前妻への義理立てや、俊徳丸を助けるためにしたしたことなどを告白するのみで、忠義を抜きにした心情、たとえば、腰元奉公から後妻として入った苦労や左衛門や俊徳丸に対する情などについては、全く語らない。両親の合邦や合邦女房に関してさえ、彼女が感情を示すのは、せいぜい合邦の家に入れてもらった際に「お懐かしやお懐かしや」と言って母にすがりつく時ぐらいだ。つまり、彼女は、忠義のために邪恋の演技をし通し、そのせいで人々から非難され最後は父に刺されて死ぬことになるのだが、そのような最期の時でさえ、浄瑠璃口説きにはつきものである「忠義を貫き通すための心の葛藤」や「そのために全うできなかった情」などについては全く触れず、まさに「忠義一筋」の人なのだ。

さらに面白いのは、そういった浄瑠璃口説きにつきものの、心の葛藤や情についての愁嘆は、むしろ合邦の台詞になっている点だ。なぜそのような形になっているのだろう。

それを考える前に、そもそも、合邦という人はどういう人なのだろうかということを整理しておかなければならないだろう。合邦は、青砥左衛門藤綱(あおとさえもんふじつな)という人の息子だという。この藤綱という人は、鎌倉の最明寺時頼公に見出された人で、天下の政道を預り、武士の鑑とまで言われた人だというのである。そのため、合邦の代になっても彼は親のお陰で大名の数にも入っていたが、相模入道殿(北条高時)の時代に邪な野心を持つ同僚からの讒言を受け、今は世捨て人となった人なのだ。つまり、合邦は、単なる武士だったのではなく、「武士の鑑」と言われた人を父に持つ人だった。讒言を受けても報復などせず武士の地位を捨てることとなったのは、武士らしく潔く身を処した結果のことで、彼は《武士の地位》を捨てることで、彼の父譲りの廉直で象徴される《侍気質》を、彼自身も守り通した人なのだ。

そして、「天窓(あたま)は剃っても心は昔の侍気質」と合邦自身が語ったように、合邦は武士の地位を失った結果、彼の拠り処でありアイデンティティとも言えるものは「侍気質」、すなわち廉直であり忠義だけとなり、それは、ますます彼にとって守り通さなければならないものになったはずだ。けれども、それは彼が父から受け継いだ最大の遺産だたかもしれないが、他方、彼の現在の不幸の源でもあることから、何も知らない娘には伝え継がせるべきものではないと思ったのだろうか、彼の出自や武士としての衿持は娘のお辻には、ずっと黙っていた。娘が高安通俊左衛門の奥方に引き上げられても、娘を使って武士に返り咲こうとしたという世間の要らぬ詮索によって娘に迷惑をかけることを避け、清廉潔白を押し通すために、玉手には「親一門もない者」と言うよう、くどい程言い含めていた。

そのような合邦だからこそ、玉手の俊徳丸に対する邪恋は二重三重にも許せるものではなかったのだろう。不忠は彼自身の存在にすら関わることで、自分の娘が不忠の罪を犯す有様を目の前にし、父譲りの「侍気質」に絡めとられた合邦は、思わず娘に刃を向けてしまったのだ。しかし、我に返った合邦は、娘を刺したことは、自分が武士の地位を捨てて十年来信仰してきた仏門の教えに背く行為であることに気付く。彼はこの時点で、娘の不忠により父藤綱の教えを裏切り、また娘に刃を向けたことにより仏門にも背くことになって坊主としての自分を裏切り、さらに娘を刺したことにより娘を失おうとしているのだ。

ところが、玉手は、邪恋はすべて義理立てのための演技だったという。そのことにより、合邦は、自分が伝えなかった「侍気質」を、実は玉手が自分以上に一本気に、「日本はさておき、唐にも天竺にも、今一人とくらべる人もなき貞女」となって、受けついでいたことを知る。それゆえに、娘を刺した合邦の嘆きは深く、かくして、合邦の嘆きが、この合邦庵室で最も観る者の心を打つものとなるのだ。


初めて『合邦』を観たとき、文雀師匠の人形のおきゃんで一本気なところに魅せられたものの、実際には住師匠と文吾さんによる合邦の愁嘆に感情移入して大泣きしていて、泣きながら、なぜ、自分が玉手ではなく合邦に感情移入してしまうのか疑問で仕方なかった。しかし、改めて、詞章を読んでみると、観る方が合邦に感情移入しても仕方ない作りになっているし、文雀師匠が、一本気でおきゃんであったのも、合邦の娘という性根を重視した役作りだったのだな、と納得した。結局、これは合邦の物語なのだ。


…というようなことを、行きの新幹線の中で詞章を読みながら、つらつら考えていたのだが、実際に観た『合邦』は少し思ったものと違った。

嶋師匠の『合邦』も、もちろん合邦の愁嘆は描かれているのだけれども、私が最初に観た住師匠の『合邦』に比べると、まず第一に玉手御前の義理の母としての俊徳丸や左衛門への忠節の表現に力点が置かれているように聴こえ、「合邦の物語」というよりは、「左衛門殿の妻であり俊徳丸の義母である玉手御前」の物語である気がした。

人形も、和生さんの玉手御前は、娘としての振る舞いよりも、特に戻り以降は、大名の奥方であり義理の母という印象の方が勝っていた。合邦も、私の記憶の中の文吾さんが、玉手が手負いになって以降は、玉手の近くで玉手の肩を抱いたり、立ち上がって全身で嘆いたりしていた記憶があるが、玉也さんの合邦は、むしろ「侍気質」の不器用な父親としての合邦を強調していて、結果、玉手御前からは少し距離を置いたところで、抑えた所作をしていたように思う。


ほかにも、詞章を読んだ時には気がつかず、舞台を観て気がついたことがあった。咲師匠の部分で、合邦が最初、一貫して玉手に冷たく厳しく当たるのは、奥の間に俊徳丸と浅香姫がいるからなのだ。合邦は、このとき、父譲りの「侍気質」から、娘に対する愛情よりも、俊徳丸・浅香姫夫婦への義理立てを優先せねばならなかったのだ。だからわざと強く当たり、同じ武士の子である合邦女房がその立場を察して上手く助け舟を出すのを内心期待していたのだろう。

演じる人によって様々な『合邦』があるのだな、やっぱりいろいろな人のパフォーマンスを観てみないと分からないことがあるなと思いながら、家に帰った。


そして、翻って、私の最初の疑問、「なぜ、俊徳丸の名を冠した外題ではなく、『摂州合邦辻』という名前になって合邦親子に焦点が移っているのだろう」という問いの答えは舞台を観てもよく分からなかった。

色々と考えてみたが、詞章を読んでもあまり理由になりそうなことは書いていない。ただ、考えているうちに、ふと、お能の「弱法師」の結末がヒントになりそうな気がした。お能の「弱法師」は、讒言によって父の高安左衛門通俊の元を追われ、盲目にまでなってしまった俊徳丸が、天王寺で父と偶然、再会する物語だ。このお能を観た人の、おそらく誰もが不思議に思うことが、俊徳丸の父は俊徳丸を探して天王寺まで来たのに、最初、俊徳丸に声をかけることを逡巡して声をかけず、俊徳丸が人に弱法師と笑われるてもなすがままにするところだ。昼間、万代池のほとりで息子の俊徳丸を見つけた道俊は、「人目もさすがに候へば、夜に入りて某と名乗り、高安に連れて帰らばやと存知候」と言って、その場では俊徳丸に声をかけない。夜が更けてから通俊は俊徳丸に自分が父であることを明かすが、俊徳丸も「親ながら恥ずかしや」といって逃げようとする。結局、通俊が俊徳丸の手を取って高安の里へ帰っていくので、ハッピーエンドではあるのだが。

何故、通俊は昼間声をかけられず、俊徳丸は逃げようとしたのかと考えると、父子関係、特に子供が幼少でない場合の父子関係というものは、そういうものなのかもしれないと思う。俊徳丸は「弱法師」では、子方が演じるのではなく、紅顔の美しい若者の面「弱法師」を付け、大人が演じるのだ。お能の「歌占」では、度会某というシテが歌占の物狂いとなって自分の息子の幸菊丸を探し求めるが、人さらいにさらわれた子供が小さいためか、見つけた時に特に葛藤のようなものはない。しかし、2010年4月に国立能楽堂で復曲公演があった観世流の「丹後物狂」などでは、誤解により父の元を追われた息子の花松は、天の橋立に身を投げた後、人に助けられ立派な導師となって戻ってこなければ、父と再会できなかった。一方、父と娘の関係というのは、比較論ではありケースバイケースでもあるけれども、概して、そこまで込み入った感情は無く、父は娘を可愛いと思い、娘も母に対する一言では言えない複雑な心情とは違い、父という存在そのものに対しては、(思春期を除けば、相性が悪かったり、特別の問題がない限り)割に素直になれる気がする。

そう考えると、菅専助等が、『合邦』で、新たに玉手御前や合邦という主人公を置いた理由は、「弱法師」や「俊徳丸」の世界で追求していつつお互いの気持ちを素直に表現され得ない《父-息子》の親子の情の再確認というテーマを、俊徳丸の義理の母である玉手とその父、合邦との《父-娘》の親子関係によって、もっと義太夫節らしく、激しく力強く表現しようと意図したのではないか、という気がしてきた。とはいえ、やっぱり、全体を通して考えれば、この物語のテーマに関して「合邦庵室の段」だけですべてを語り尽くそうとするようなアンバランスな感じがあるのは否めない。ひょっとすると菅専助が「合邦庵室の段」を書いて、それ以外を若竹笛躬が書いたりしたのだろうか。


他にも色々考えてみたい点はあるのだけれども、たくさんありすぎて埒があかないので、とりあえず、このメモは、いったん、ここで終わり。


伊勢音頭恋寝刃 いせおんどこいのねたば
 古市油屋の段・奥庭十人斬りの段

文楽に移されて入るけれども、いかにも歌舞伎っぽい作品だと思う。多分、筋がどうこう、というより役者ぶりとか初演当時としてのスタイリッシュさを見せることが眼目な演目のような気がする。のれんに描かれている観世水にお銚子が流れる様子は中国の王羲之の詩「蘭亭序」をモチーフとしたものだと思うけど、これが白い観世水に赤いお銚子、背景は浅葱と濃い桃色のグラデーションとなっていて(確か)、とってもおしゃれ。お客さんの浴衣やお店の人の浴衣、団扇等にまで、この蘭亭序のデザインが使われているのだ。さらに、主要登場人物は、それぞれの性根に合わせたコスチューム、たとえば貢さんはさっぱりとした白地に紺の絣、お紺さんは優しくて女性らしい薄紫の着付に白の半襟。万野はシックな黒。何か1960年代のイギリス映画のスタイリッシュさに通じるところがあって、眺めているだけでも楽しい演目なのでした。

それにしても、何故、貢さんは、十人も人を切っちゃうんでしょう。(歌舞伎は、と一般化できるか分からないから、とりあえず自分が知ってる)仁左衛門丈の貢さんは、青江下坂は妖刀ってことで、貢さんの怒りが頂点に達したところで急に青江下坂が手から離れなくなっちゃって不可抗力で人を切っていくのだけど、文楽の貢さんはそういうわけではないみたい。そのあたりが猟奇的で、ぞっとさせるところが、夏芝居らしさってところなのかな。

文雀師匠のお紺が、相変わらず素敵でした。


契情倭荘子 (けいせいやまとぞうし) 蝶の道行

東京公演は清治師匠と呂勢さんがシンだったが、今回は清介さんと千歳さん。清治師匠と清介さんは演奏のテイストは割に似ているのに、同じ曲を弾いても全然感じがちがって、こんな曲だったっけと新鮮な気持ちがしたのでした。人形は東京公演よりは少しお疲れだったかも…。