国立能楽堂 狂言の会 大藏虎明没後三百五十年記念

平成24年度(第67回)文化庁芸術祭主催
◎特集・大藏虎明没後三百五十年記念
おはなし  大藏彌太郎
復曲狂言 眉目吉(みめよし) 茂山七五三
台本研究=羽田昶・橋下朝生
演出=茂山千之丞
復曲狂言 東西迷(どちはぐれ) 山本東次郎
台本・演出=山本東次郎
狂言     金津(かなづ) 大藏彌太郎(大蔵流
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/nou/2012/1144.html

少し遅れて到着。「眉目吉」の狂言から観ました。
三番の狂言のうち、一番おもしろかったのが、山本東次郎師の一人芝居、「東西迷」。

さる篤志家により、千僧会というそのあたりの僧が総出で行う華々しい大法会が開催されることになる。思いも寄らぬことに千僧会に招かれた住持は、めったに無い機会に呼ばれることを大変名誉なことに思い、早速、出かける準備を始める。しかし、この日は、まさに、毎月常斎(じょうとき)に行っている檀家からも来訪を頼まれている日でもある。見事、ダブルブッキングになってしまった住持は、千僧会に出席してお布施を得るか、常斎に行って食事に預かるか、逐一理由を挙げては、ああでもない、こうでもないと、さんざんに悩む。結局、悩みに悩み抜いた末に千僧会に向かうと、すでに千僧会はお開きとなっており、一方の檀家の常斎の方は、他の僧に頼んでしまったという。それを聞いた住持は…というお話。

この狂言は、パンフレットの金子直樹氏によれば、「『貧僧の重ね斎』という諺に基づく作品のようです。大蔵流では、『虎明本』に見えるだけで上演されていなかったので、『虎明本』にある千四百字のあらすじを基に、二〇〇六(平成十八)年四月に山本東次郎が復曲上演し、以降、同年10月、平成二十・二十一・二十三年と上演を重ね、今回が六回目で国立能楽堂では初演となります。」とのこと。

東次郎師の住持は、いったんは、何やら理屈を付けて一方の法事に出かけようと決心する。そして、首に袈裟をかけて席を立つ。が、立つやいなや、「…とはうものの」と、へなへな座り込んで、別の法事に行くべきか、とくよくよと考えははじめる。うじうじと考えた末、もう一方の法事に行こう決心して、首に袈裟をかけて立つ。がしかし、またもや「…とはいうものの」と、へなへな座り込む。というのが、延々と続いて、笑ってしまう。

東次郎師の演じる人物は、いつも大したことないことに、真剣、大まじめに取り組んでいるのがおもしろい。狂言は、演じている人のウケを狙おうとする作為がちょっとでも見えてしまうと、さっきまで広がっていたお話の世界が、途端にへなへなとしぼんでしまうような気がするときがある。東次郎師の演じる人物は、いつも一生懸命で、かつ、どこか愛嬌のある存在なので、観る側は、東次郎師の演じる人物に自分を重ね共感しつつ、つまらないことにああでもない、こうでもないといっている登場人物を温かい気持ちで見守り、笑うことが出来る。

けれども、今回の「東西迷」は、それだけではなかった。結局、千僧会にも法要にも行くことができなかった住持は、それが分かったとき、自分の優柔不断を嘆く。まるで六道を経験したようなものだという趣旨のことをいい、その、まるで建礼門院の大原御幸ばりの大げさな嘆きには思わず笑みがもれてしまう。しかし、その後、「三井寺」のアイのように入相の鐘を「ぐをーーん、ぐをーん、ぐをん、ぐをん、ぐをん、ぐをん…」と鳴らすうちに、住持は気づくのだ。畢竟、散々迷った千僧会や檀家の法要に出るか否かとか、両方に出席できなかったとかいうことは、仏の前には大した話ではないのだと。そして、仏を讃える小謡を謡う。その謡を聴きながら、観る者は、ふと、今まで東次郎師が演じる住持よりも少し上の視点から彼の一部始終を眺めていたはずなのに、いつの間にか住持の方が観ている者よりずっと達観してしまっていることに気がつく。そして、「今日は良い日だった」といいながら、夕陽の中を帰っていく住持を、私たちは、少しままぶしく見つめるのだ。

まるで、『今昔物語集』の仏教説話の中にでもありそうな、心温まりながらも、すがすがしく終わるお話なのでした。

しかし、この結末は実はオリジナルの虎明本とは、違うのだとか。読売新聞掲載の東次郎師のインタビューによれば、

虎明本では惨めな結末を、ホッとするものに変えました。狂言は人間っていいもの、人生って楽しいもの、というものが本質にあるべき、との考えから書き直したのです。

ということなのだそう。確かにこの結末であればこそ、とても素敵なお話になっていると思う。そして、東次郎師ほどに狂言を極めた人でなければ、観る人を感動させることのできない、難しい曲でもあると思う。