国立劇場小劇場 2月文楽公演 第二部

国立劇場小劇場 平成25年 2月文楽公演<第二部>2時30分開演
 小鍛冶(こかじ)
 曲輪ぶんしょう(くるわぶんしょう)
    吉田屋の段
 関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)
    猪名川内より相撲場の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2012/duplicate-of-2.html

小鍛冶(こかじ)

お能『小鍛治』を文楽に移した松羽目物。

冒頭、名刀工で小鍛治の異名をとった宗久役の始さんの詞から始まるのだが、これが狂言詞のイントネーションで、興味深く思う。前シテに当たる老人(実は稲荷明神の)の千歳さんは能ガカリで語るのだが、これは紛うことなきシテ方の謡い方をベースにしている。全体を通じて観てみると、宗久の役割は、狂言方のアイではなく、ワキ方のものだ。私はお能の方の『小鍛治』は未見なので、家に帰って、謡曲の『小鍛治』の詞章を確認してみると、宗久はやっぱりワキツレだった。で、何故、宗久の詞が狂言詞になっていたのだろう。おそらく、稲荷明神が謡ガカリなのは良いとしても、対話をする宗久の方も謡ガカリだと文楽的には変化が乏しく感じるため、敢えて宗久は狂言詞にしたというようなことなのかなと思ったのだけど、本当はどうなのだろう?

中入後の後場に当たる場面は、老人が稲荷明神の姿となって現れる。この稲荷明神は三人出遣いで、清十郎さんの主遣いに幸助さんの左、簑次さんの足。簑次さんの足が、ちょうど「道成寺」の乱拍子のような足をする部分があり、興味津々。お能の方でもそんな型があるのだろうか。さらに、文楽特有の狐の足さばきや主遣いを中心として三人がぐるんと廻ったりする舞があり、期待感が高まる中、いよいよ、稲荷明神は、宗久と一緒に刀を打つのだが…!以前、観た時は、刀を打つ度に火花が出てこれが大変たのしかったのだけど、 今回は火花無し。寂しい…。ともあれ、無事、

千歳さんが久々に戻られて、お元気そうでよかった。始さんも久々に拝見しました。


曲輪ぶんしょう(くるわぶんしょう) 吉田屋の段

いかにも「お正月」な演目。冒頭のお餅つきや権太夫・獅子太夫の太神楽の場面が楽しい。

勘十郎さんの夕霧は、太夫道中で遊女達の頂点である太夫としての貫禄を見せたかと思うと、伊左衛門の前では伊左衛門のことを一途に思う恋女房の一面を見せる。玉女さんの伊左衛門と勘十郎さんの夕霧は、長年、お互いにライバルとして高め合ってきた人同士の間でしか見ることのできないような独特の間というか演技のキャッチボールがが感じられて、思わず惹き込まれた。

曲輪ぶんしょうは、私にとっては嶋師匠の語りで聴きたいもののひとつで、聴いていて楽しかった。富助さんの三味線は時代物が特に好きなのだけど、こういう、はんなりとした曲もよいのでした。


関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり) 猪名川内より相撲場の段

歌舞伎で『双蝶々曲輪日記』の「角力場」を観たことがあるけど、そんな感じの話。「角力場」は、濡髪が贔屓のために放駒長吉との対戦でわざと負けて云々という話だけれど、この関取千両幟も、贔屓の代理戦争的取り組みの話。そして、何と言っても、曲弾があるのが珍しい。とても楽しかった。

人気力士の猪名川は、今日の取り組みで、自分の贔屓である禮三郎が相思相愛で身請けしようとしている傾城の錦木太夫に横恋慕し、お金にあかせて身請けしようとする九平太を贔屓に持つ鉄ヶ獄という力士と対戦することになった。しかも身請けの金の残金二百両を猪名川が肩代わりすることになっており、その期日が今日となっている。それに乗じてて鉄ヶ獄は、今日の取り組みで猪名川が負けてくれれば身請けの件も九平太に働きかけないでもないということをほのめかし、猪名川は苦悩する。…という筋なのだけど、これは序の口、全体としてはもっと複雑な事情が絡んだ話になっている。この浄瑠璃は、『妹背山女庭訓』が明和八年(1771)に大成功をおさめる4年前の明和四年(1767)の作品で、竹本座が衰退の危機にあった時代のものらしい。浄瑠璃全体は、何故そこまで話を複雑にしなければいけないのかと思うくらい筋が複雑すぎて、人気が低迷するのも理なり、といいたくなるような作品だけど、この「猪名川内より相撲場の段」は、そういう複雑な筋は忘れて、「とにかく二百両を今日の取り組み前までに工面できないと、主人公は八百長をしないといけないらしい」ということだけ分かっていれば、面白く観ることができる。

猪名川が相撲を取りに行くと、浅葱幕となり、掛け合いだった床は、源大夫師匠の代演の呂勢さんと、三味線の藤蔵さん、清志郎さんだけとなり、呂勢さんの曲弾きの口上をする。その後、藤蔵さん、清志郎さんのみが床に残って、曲弾きをはじめる。以前、NHKのラジオで鶴澤重造師の曲弾というのを聴いたことがあった。曲としては、メトロノームのように規則的に刻むリズムの上に櫓太鼓に似せたリズムが重ねられるのだけど、この重蔵師の曲弾きはラジオで音声だけだったので、何をやっているのか全然分からなくて、ずっと実際に観てみたいと思っていた(なぜ曲弾きなんかを敢えてラジオでやったのかというと、その時の説明は、重造師の音源というのはなかなか残ってなくて、ほとんど唯一の音源だということだった[多分、NHkが利用可能な音源は、ということだと思うけど])。

実際に観てみたところ、撥の持ち手の部分で弾いたり、三味線の胴の部分でキーを押さえて棹の部分に撥を持って行って弾いたり、撥を棹の先においてから、撥を飛ばして右手で受けて弾いたり、三味線を客席側に向けて垂直にたてて、棹の部分で両手で弾いたりなどなど、とても楽しい。とゆーか、藤蔵さんがすごい楽しそう。私も一瞬、三味線を習って曲弾きをしてみたくなった。

曲弾きが終わると、浅葱幕が切って落とされ、また呂勢さんはじめとした太夫の皆さんが床に戻ってきて、相撲場になる。この場面も結構ショッキング。何でかというと、歌舞伎の『双蝶々曲輪日記』の角力場で、角力場の出入り口を外から見るような形になっているのだけど、私はその内部はきっと、100人ぐらい入る平場になってるのかなと想像していた。そしたら、さにはあらじ、平場だけでなくて、壁に沿って桟敷席が三階まであって、すごく沢山の人が入るようになっていたのだ(書割だけど)!相撲ってそんな人気があったんだと驚いた。

でもって、猪名川と鉄ヶ獄の取り組みの途中に身請けの金の残金と同額の二百両の猪名川への進上がある。そのお陰で、猪名川は晴れて八百長をせずに済むことになり、派手に鉄ヶ獄を打ち負かすのだった。

相撲が終わると、猪名川に声を掛ける人がいる。その人が、二百両を進上した人に「礼を云はしやりませ」と、目の前の駕籠の垂れを上げると、なんとおとわが座っている。二百両はおとわの勤め奉公の志の二百両で、猪名川に声を掛けた人は、斡旋した北野屋だった。

簑助師匠の女房おとわが、素敵だった。考えてみると簑助師匠の人形というと圧倒的に娘の首の印象が強くて、傾城ではない、おとわのような老女形の世話女房的な役で私にとって印象的だったのは、2012年の夏の『夏祭浪花鑑』の徳兵衛女房のお辰だろうか。お辰の出で、黒の小袖に日傘をさした姿があまりに印象的で、一瞬、暑い空気をまとったお辰に、夏の強烈な日差しが差し、蝉の声が聞こえるような気すらするくらいだった。今回のおとわも、特に駕籠の垂れを上げた時の姿や猪名川に会釈をするところが、はっとするくらい、美しかったし、夫のことを一途に思う気持ちが痛いくらい伝わってきた。