高輪区民センター区民ホール 素浄瑠璃の会 酒屋の段

艶容女舞衣 酒屋の段
・解説 高木秀樹
浄瑠璃 竹本千歳大夫
・三味線 鶴澤燕三
https://shisetsu.city.minato.tokyo.jp/user/jsp/intro/RSIU300.jsp

去年は、封印切を拝聴しましたが、今年は酒屋の段でした。

冒頭、燕三さんの三味線は、いかにも世話物って感じのサクサクとしたテンポの旋律で始まった。

千歳さんの語りが始まるやいなや、自分が千歳さんの酒屋を聴いたことがあるのを思い出した。後で自分のメモをあさってみると、2年前の2011年4月の文楽劇場で聴いているようだ。その時は、文雀師匠のお園ちゃんだったので、床にはほとんど意識が行っていないという自負(?)があったのに、ちゃんと聴き覚えているとは。人間の記憶って、すごいな。とゆーか、ホントは、語っていらっしゃる方が、ちゃんと人形の邪魔をせずに人の記憶に残るように語っていて、すごかったってことだろう。

お園ちゃんのクドキを聴いていて、お園ちゃんは、本当に純粋で真っ直ぐな人だなと改めて思った。私だったら、一度実家に返ってしまったら、それが自ら望んでしたことか否かにかかわらず、一度家を出た以上、二度と戻って来ないんじゃないかと思う。だって半七は、気持ちを変えるつもりなんてないことは分かっているのだ。どんな顔をして戻ればいいかも分からないし、どんな言い訳が出来るというのだろう。

お園ちゃん自身も、「去年の秋の煩ひに、いつそ死んでしまうたら、かうした難儀は出来まいもの」とも言ったりしている。多分、お園ちゃんはこの時初めてそう思ったのではなくて、きっと何度も何度も同じことを堂々巡りに考えていたのだ。それでも、やっぱり夫の家に帰ってくることを選んでしまったお園ちゃんなのだった。それは止むに止まれずという部分もあるかもしれないけど、きっと、ある種の純粋さが無ければ、戻るという選択肢を選ぶことは出来ないだろう。

お園ちゃんが半七の書置きを読みながら、「未来は必ず夫婦にて候」というところを読んで、「ヲヽコリヤマア誠かいなあ半七様。ほんまのことでござんすかいな」と喜ぶところも、そういう疑うことを知らない純粋な心で半七を信じきっているからこそ出てくる言葉なんだろう。私のように、十分すぎるほど、とうの立って、人を真っ直ぐ100%信じられなくなったような、スレた大人は、ここを聴く度に必ず「そーゆー調子の良い事ばっかり書いてんじゃないっつーの!」と思ってしまう。ああ、大人になるって寂しいことかも。

ところで、この手紙の部分のツレ弾きは、燕三さんの一番弟子となられた燕二郎さんが、弾かれていました。まだデビュー前のため、御簾ならで衝立越しの音のみのご出演でした。文楽の研修って多分2年ぐらいなんじゃないかと思うけど、2年ぐらいであんなに弾けるようになるんだろうか。すごいな。

段切は、意外に三味線が華やか。物語自体は何が解決するわけでないけれども、語りと三味線がダイナミックで、聴いていてすっきりした気分になるのでした。


演奏後、千歳さんと燕三さんからそれぞれ一人ずつコメントがありました。千歳さんは、昨年病気休演されたからか、大変な熱演だったからか、「胸が一杯で…」と一言おっしゃったぐらいで、ほとんどお話されませんでした。また、燕三さんは、「去年は色々文楽として大変な年だったが、今年は個人的に吉事で慌ただしく…」という趣旨の話をされました。ともに客席から温かい拍手が起き、何だか、心がほんわかする素敵な会でした。