{文楽]国立劇場 竹本義太夫300回忌追善・勧進公演

竹本義太夫300回忌追善・竹本義太夫墓石修復資金勧進 特別公演
人形浄瑠璃
 竹本義太夫追善演目
 近松門左衛門作・鶴澤清治復曲
 「用明天王職鑑」三段目 鐘入りの段
座談会
 「今回の公演の趣旨についての話 等」
人形浄瑠璃
 「花競四季寿」(万歳・海女・関寺小町・鷺娘)
天地会
 「義経千本桜」三段目 すしやの段
  出演・人形浄瑠璃文楽座(三業逆さまにて相勤めます)

「用明天王職鑑」 三段目 鐘入りの段

以前、紀尾井ホールで清治師匠の近松復曲三夜というシリーズの第一回で初演されたのだと思うが、そのときは、チケット争奪戦に敗れ去った(ゆえにその後、紀尾井友の会に入会した)。前々から観てみたかった曲。

特にこの段に関しては、お能の「道成寺」の趣向を取り入れているようだ。筋は、嫉妬に狂った女人が夫を追い掛け鐘供養の場に現れて、落ちてきた鐘の中に入ってしまう。そして、鐘供養の後、鐘が持ち上がると、蛇体の女性が現れ嫉妬に苛まれる心情を吐露する…というもので、「道成寺」とほぼ同様の流れ。一方、詞章は、「道成寺」の「花の他には松ばかり」という有名な一句や、「道成寺」の主要モチーフのひとつとなった、「山寺のや春の夕ぐれ来てみれば 入相の鐘に花ぞ散りける」*1の歌が含まれ、なるほど聴いている人に「道成寺」を彷彿とさせるものがある。けれども、それ以外の夫に対する恨みつらみや地獄に喩えられている苦悶の描写は、謡曲よりも、よほど饒舌。近松謡曲顔負けの流麗な詞章を読むと、彼はどうして能楽の世界を選ばなかったのだろうと思ったりすることがある。ひょっとすると、近松は、泉からこんこんと溢れ出るかのごとき、彼の饒舌さを活かすのは、能楽よりも浄瑠璃の方が向いていると思ったのかもしれない。そして、彼の繊細かつ流麗な詞章と饒舌さ、心理描写の巧みさは、浄瑠璃の進化の方向性を決定づけたのだに違いない。

幕が引かれると舞台に、お能の「道成寺」に出てくるような鐘がおいてある。おおと思ったが、すでに鐘が落ちているということらしい。小学館の『新編日本古典文学全集76・近松門左衛門集(3)』にある、「用明天皇職人鑑」の詞章を読むと、今回の公演範囲だった段の直前に、「道成寺」の前場に当たるような段があるようだ。最初っから、千歳さんが大音声で語られていたけれども、大変緊迫した場面から始まったということなのだろう。

どのタイミングかは忘れてしまったけど、割に最初の方で鐘が上がるのだが、そのときは、シテに当たる傾城は「道成寺」と違って、鬼に変わったりはしておらず傾城のままだった(と思う)。あれっと思って観ていると、曲の途中で、その女方の人形の顔が変わって、蛇体となり、鬼の顔になる。あの俊徳丸の顔の発疹が玉手御前の肝の臓の生血を飲むと発疹がなくなるのと同じ要領のようだ。観ていて、それじゃあ、何のために鐘の中に入ったんだと思ってしまった。

詞章を読んでみると、「鐘入りの段」の直前に、

程なく鐘楼(しゅろう)に引き上げたり。あれ見よ蛇体に現れたり。

という部分があり、どうも、近松の原作自体は、「鐘入りの段」と名付けられた段の直前に、鐘が上がり、同時に蛇体が現れるという流れになっているらしい。しかし、その後に「鐘入りの段」と呼ばれる段があるというのも、ちょっとわかりにくい。お能の「道成寺」では、「鐘入り」と呼ばれる小段は、まさに落ちてくる鐘にシテが飛び込む場面に相当するからだ。

今回、詞章通りに、鐘を上げた時に蛇体にするという演出にしなかったのは、おそらく、今回は、時間的制約等の都合から、この段だけ上演する故、最初から鬼では、変化を楽しめないという理由で、考えられた演出なのかも。

蛇体となった傾城は蛇のようにのたうつようにくねりながら、地獄のごとき苦悶を語る。そして、段切では、二十尋(はたひろ、約30m)あまりの金色の大蛇となって立ち登り、「今より後は夫婦妹背の守り神ぞ」というと、虚空に消えていって大団円となるのでした。ちなみにこの曲の舞台となっているお寺は道成寺ではなく、実は尾上神社だそうで、この顛末が尾上の松(相生の松)の謂れと、松が大夫といわれる謂れとなっていると結ばれ、幕となるのでした。

景事として音曲的にも見た目も変化に富んだ楽しい曲で、また拝見したいと思いました。


花競四季寿

元々大好きな曲だけど、四部作の曲の中でも特に好きなのが「関寺小町」なので、これを源大夫師匠で聞けることを大変楽しみにしていた。ところが、盆が回って源大夫師匠と籐蔵さんが出てきてもなかなか曲が始まらず、おそらく数分間はそのままだった。その後、呂勢さんが出てきて、源大夫師匠の語りを補助的にユニゾンで語る形で始まった。多分、冒頭が高い音から始まるため、源大夫師匠がその音を出すのに困難を感じれたのかも。

そういう形であって、完璧な形の演奏ではなかったけれども、とても心に残る演奏だった。特に、深草少将を想う恋心を傾城の心で「憂きがなかにも楽しみ」と語った後、「心づいて身繕ひ、いざやと立ちて関寺の柴の庵に帰りけり/\。」で、寂寥感を感じさせられ、感じ入った。

今まで、この「関寺小町」を聴いた経験でも、お能の小町物でも、そこまでの寂寥感を感じさせる演奏に接したことはなかった。お能の小町物は、中世に作られたもので、純粋な小町伝説に中世の芸能の見せ場の要素が入り込んでいる。そのせいか、たとえばお能の「関寺小町」では、零落した小町という姿と共に、七夕の五節の舞を舞ってみせるその姿に百歳の長寿を得た老女という祝言性も感じさせる部分があるし、「卒都婆小町」では小町の才気走った語りの面白さがあり、善悪不二(善悪は究極的には同じものであるという仏教の教え)を説く小町には、女人は成仏できないと信じられていた当時にあって、男女の違いを超越した魂の存在を感じさせる。

しかし、小町伝説はそもそも、「小町は若い頃、きょう慢であった故に、その後、零落し、老いさらばえた姿となった」という伝説だ。そういうことを考え合わせると、殊にこの文楽の「関寺小町」の中で、ふと我に返った小町に寂寥感が漂っているというのは、本来の小町伝説にかなったものなのかもしれない。


義経千本桜」三段目 すしやの段

三業逆さまの天地会。すしやってこんな話だったっけ?というような期待に違わない抱腹絶倒の公演でした。

まず、予想通り人形がすごいことになっていた。文楽を観ていて、人形が生きているようにしか見えないことがあり、不思議で仕方ない気持ちになることが、誰にもあることだと思う。しかし、あれは修行の賜物だということがよく分かりました。たとえば、嶋師匠の遣うお里ちゃんもあの手ぬぐいを歯噛みして泣くシーンをやったのだが、どう妄想力を駆使しても、人形の口金に手ぬぐいをひっかけているようにしか見えない。切り場語りを以ってしても、泣いてるように見えないものは見えないのだと、新鮮な驚きだった。でも、たいそうお茶目でサービス精神旺盛なお里ちゃんで、遣う人の人格が出るのかも。

そういう意味では、清治師匠の六代君は、ちょっと変わっていた。女方の人形みたいに膝小僧をつくって、膝小僧をなでなでしたり、やたら頭が正面と180度反対方向を向いたり。私も人形を遣うことが出来たらやってみたいことばかりなので気持ちはわかるけど、舞台上で見ると、かなりシュール。清治師匠もシュールなお方なんでしょうか…?シュールといえば、相子さんが遣っていた弥左衛門も相当なもの。梶原景時が来たというシーンで本来は弥左衛門的には一番活躍する場面のはずなのに、一度として直立することが無く、屋体や家の外を這いずりまわってていて、何の場面か忘れそうになった。でも、太夫や三味線の方も、それらの方々をサポートする人形遣いの方々も、それぞれ苦笑しながらも、ものすごく楽しそうに演じられていていました。

そして、床で一番衝撃的だったのは、玉女さんと文司さんの語り。学生時代、古典の授業で音読を当てられた人が、たどたどしく『平家物語』の一節か何かを読んでいるような、緊張感溢れる語りでした。本当に「すしや」の一節を読んでいるとは信じられないような語りだったけど、私も床本読めって言われたら、ああしか読めないと思う。たどたどしいと言えば、勘十郎さんの三味線。冒頭、三味線をお弾きになったのですが、これがまた、たどたどしく、「この調子でやったら、今晩、電車のある内に帰れるのだろうか」という疑念が頭をもたげたが、さすがに数フレーズ弾いただけで、万雷の拍手の中、さっさと去ってゆかれました。勘十郎さんは最後の方には、再度、太夫として白湯の代わりにビールを傍らに置いてお出ましになり、再度、拍手を得られていました。逆にあまりに上手すぎたのが呂勢さんの三味線。一段通じてたった一人で平然と弾いてらっしゃって全然、そつがないし、拍手をするタイミングすら無い。これは、三業逆さまの天地会の精神にもとる、ゆゆしき配役ではないでしょうか?またいつか、天地会があり、呂勢さんが再度三味線をされることがあれば、その時は、「志度寺」とか「関取千両幟」の曲弾とか、呂勢さんが絶対に弾きこなせなさそうな趣向も検討していただきたいものです。

終演後、鳴り止まない拍手の中、カーテンコールがあり、技芸員の皆さんが、一堂に舞台に立たれた。団七師匠が、「こんなに喜んでいただけるなら、明日からの本公演もこの配役でやりましょうか」とおっしゃり、また万雷の拍手。でも、皆さん、やっぱり本業をされている方がやはりそれぞれ華がある。ますます、文楽を観るのが楽しみになった、勧進公演でした。

*1:典拠は、新古今和歌集巻二・春歌下 能因法師「山里の春の夕ぐれ来て見ればいりあひのかねに花ぞ散りける」