国立劇場小劇場 5月文楽公演 第二部 その2

5月文楽公演 公益財団法人文楽協会創立五〇周年記念 竹本義太夫三〇〇回忌記念<第二部>4時開演
 寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
    
 近松門左衛門生誕三六〇年記念
 心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)
    北新地河庄の段、天満紙屋内より大和屋の段、道行名残りの橋づくし
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2013/5103.html

その1からの続きです。

天満紙屋内より大和屋の段

文雀師匠が4月の栄御前に引き続き、5月のおさんもいきいきと遣っていらっしゃって、ファンとして、しみじみ嬉しかった。それに、左遣いの方や足遣いの方の文雀師匠の人形を活かすサポートもまた、要所要所でキレイに決まり、うれしかったのでした。これからも、文雀師匠には、あまり無理なさらずに休み休みでも末永く出演していただきたいです。

天満紙屋内は、一人、治兵衛(玉女さん)が炬燵で寝込んでいるところから始まる。小春と別れた治兵衛は、傷心のあまり起きあがって何かする気力もなく、ただただ眠りこけるばかりなのだ。

おさんが奥の部屋から出てきて、そんな治兵衛をあえて見ぬ振りをして、丁稚の三五郎や下女のお玉を使いながら、一人、やきもきと子供達の面倒を見る。おさんは外から帰ってきた子供達を炬燵に入れて、ぽんぽんと手で炬燵布団を子供の体に沿わせて子供の体を少しでも暖めようとする。文雀師匠の人形は、よくこんなことをする。おさんの愛情の深さを表しているようで、とても好きな場面だ。

そこに、下女のお玉が、おさんの母(亀次さん)と孫右衛門(文司さん)がこちらに向かってきていると報告し、おさんは、治兵衛が昼日中から炬燵にいる姿を見せてはと、治兵衛を起こす。

治兵衛は、むっくと起きあがるとおもむろに、なにやら忙しく算盤で算段をしているふりをする。しかし、孫右衛門はそんな素振りにはだまされない。おさんの母と孫右衛門は、小春が請け出されるという噂を聞いて、請け出したのが治兵衛ではないかと質しに来たのだ。

このときは、治兵衛は小春を請け出しておらず、おさんも弁護したので、疑いは晴れた。しかし、舅五左衛門の疑いを晴らすためにも、孫右衛門は、熊野の牛王(ごす)の群烏(むらがらす)の起請文に小春と縁切るという誓文を治兵衛に書かせる。治兵衛は易いこととばかりに請け負ってさらさらと誓紙を書くが、まるで事務的で、心ここにあらずという感じ。

安心したおさんの母と孫右衛門は起請文を受け取ってそのまますぐに引き返すが、二人が帰るや否や、治兵衛はまた、炬燵に潜り込む。その様子を見兼ねたおさんが「まだ曾根崎を忘れずか」と炬燵布団を引きのけると、治兵衛は、「枕に伝ふ涙の滝身も浮くばかり泣きゐたる」。

こんな時、おさんはどうすればいいのだろう?おさんこそ、今まで、陰で滝のような涙を流しつつ、家を切り盛りし、治兵衛を支えてきたのだ。それに、治兵衛は小春を想って滝のような涙を流しても、おさんのためには流さないことに、おさんは、多分、気付いている。おさんと治兵衛は従兄弟同士だから、おそらく、おさんは子供の頃からずっと、知っていて、治兵衛の心の中はお見通しに違いない。以前、ちょうど近松と同時代に生きた絵師の尾形光琳の祖母の言葉を読んで、印象に残ったものがある。彼女は本阿弥光悦の妹で、上流階級を顧客に持つ呉服商、雁金屋を経営する尾形家のゴットマザー的存在の女性なのだが、その彼女は、「夫婦の縁組みは親戚同士が一番良い」というようなことを言っている。多分、親戚同士なら、家のしきたりや人間関係をお互い良く知り、価値観も共有しやすいと考えたのだろう。江戸時代初期の商家ではそういう考え方をする人々があったのかもしれない。そして、おさんもきっと、それに近い考えを信じていたに違いない。結局、どこの誰とも知れぬ遊女よりも、従兄弟同士の夫婦こそが結局一番の似合いで、いつかはまた元の通り、仲良くくらすことが出来るはずと思っていたのだと思う。それに、子供の頃からずっと変わらず、治兵衛のことが好きだったのではないだろうか。そうでなければ、こんな生活、耐えられないと思う。けれども、治兵衛は、今、小春のために滝の涙を流している。治兵衛の心はおさんの手の届かないところに行ってしまっているのだ。

あまりにもむごい場面だ。しかし、この時、私は我ながら信じられないことに、おさんではなく、治兵衛の方に同情して、観ていたのだ。この浄瑠璃を観るひとは、この場面で誰を我に引き寄せながら観るのだろう?でも、私はおさんも多分、涙の止まらない治兵衛を愛おしく思いと思っていたに違いないと思う。そして、その愛おしい治兵衛の気持ちが向いている先が自分ではないという悲劇に、持って行きようのない悲嘆をかかえて、身悶えていたのではないだろうか。樋口一葉の「にごりえ」の中には、やはり遊女のお力に心を奪われてしまって廃人のようになってしまった源七と、その妻、お初が出てくる。しかし、「にごりえ」のお初と『心中天網島』のおさんの違いは、お初が、源七と、もう関係の修復が難しくなってしまうくらい、源七を責め立て、追い込んでしまうところだ。おさんは、何よりも治兵衛を愛していて、そして、そこまで責め立てまいと理性を保とうとすることが出来る聡明さがある。

そして、おさんのその聡明さは、結局は、仇となってしまう。おさんをなだめるために、治兵衛は、「小春は太兵衛に請け出されたらものの見事に死んで見しよと言っていたにもかかわらず、縁を切って十日も立たぬ内に太兵衛に請け出されるような女なのだ」と言う。その言葉を聞いたおさんは、小春は死ぬつもりに違いないと気づいてしまう。

本当は、おさんは一生、治兵衛に自分が小春に送った手紙のことを隠し通すことも出来たはずと思うが、おさんにはそうは出来なかった。なぜなら、おさんは、小春との手紙のやり取りの中で、小春が、単に商売で治兵衛を騙している遊女ではなく、自分と同じように、心ある一人の女性だと、気づいてしまったからだと思う。小春は、おさんの「治兵衛を死なせないために思い切って欲しい」という手紙を読んで、おさんに、「おさんに義理立てして、思い切ることを選んだ」という手紙を送った。そしてその結果、小春がおさんに義理立てして治兵衛を救った代償として、小春が死のうとしている。これは、おさんにとっては、あってはならない事態なのだ。今度は、自分が小春を助けなければならない、そう思って、おさんは、治兵衛に手紙のことを打ち明け、おさんを請け出して命を助けて欲しいと懇願する。

治兵衛は、それでも小春を請け出す元手が無いというが、おさんは、商売の資金や衣装等で、たちまち身請けの元本や質草となるものをかき集めてくる。その様子を見る私達は、この六間口の大店の商売の切り盛りは、ほとんどおさんの才覚で行われていたのであろうことや、おさんが鶴の恩返しの話のように、我が身を削りながら治兵衛のために金策に走っていたのであろうことが想像され、いたたまれない気持ちになる。さらに、治兵衛に小春を請出したあと、おさんはどうするのかと問われ、おさんは、今更ながら自分が今しようとしていることは自分を追い込む行為でもあると気がつくが、それでも、子供の乳母なり、飯炊きなり、隠居なりしようと応える。このようなおさんの返答を聞いた治兵衛は、それまで、今回のことを単に自分と小春の恋の話だと思っていたが、自分の気づかぬうちに、おさんに大きな犠牲を払わせてきたのみならず、おさんは今、自分のために更なる犠牲を払おうとしていることに、やっと気づく。おさんは、治兵衛を死なせないために小春に思い切るように頼み、小春は治兵衛を思い切った代償に、死のうとしている。そして、おさんは、そんな小春を助けようと、自分を犠牲にして治兵衛に小春を請け出すよう願っている。巡り巡って、今度は、治兵衛がおさんのために犠牲を払う番なのだ。

治兵衛がおさんに促され身支度を終え、まさに小春の元に出向こうとしたその時、舅の五左衛門(玉輝さん)が現れる。五左衛門は治兵衛が小春の元に向かおうとしていることを察し、去り状を書けというが、治兵衛は、大恩のあるおさんには自分が非人になろうとも決して苦労はかけないので、どうか添わせてほしいと土下座をして頼む。この時の治兵衛は、先におさんの母や孫右衛門が来た時に、誓紙など千枚でも仕ろうと言った、あの投げやりな治兵衛ではなかった。心からおさんを守らなければと思っていたのだ。けれども、舅五左衛門は、「非人の女房にはなほならぬ。」というと、荷物をまとめて娘を連れ帰ろうとして、簞笥の引き出しを開け、驚く。既に、簞笥も葛籠(つづら)も長持も衣装櫃(びつ)も、中身は全て空だったのだ。どちらにしても、もう紙屋の暖簾を守ることすら出来ない状況に追い込まれていたことが、明らかになる。

なおもおさんは別れまいと抵抗するが、五左衛門は無理矢理おさんを引き連れて行く。おさんは涙ながらに子供達を治兵衛に頼みつつ、治兵衛と別れるのだった。


場面は大和屋前に移り、大和屋からは小春を二階に残して治兵衛が出てくる。治兵衛は、大和屋の亭主に、これから買い物に京に向かうといって去っていく。それと入れ違いに現れるのが、孫右衛門だ。孫右衛門は、治兵衛とおさんの事の次第を知り、治兵衛は小春の元に向かったはずと、追いかけてきたのだ。治兵衛のことを尋ねる孫右衛門に、大和屋の亭主は、治兵衛は店を出て京に買い物に行き、小春は二階で寝ていると応える。ひとまず心中の心配は無くなったと、寒い中、異見の種に連れてきた勘太郎に襟巻きを掛けると、去っていく。治兵衛をこの世に引き止める最後のきっかけはこれで、失われてしまった。

治兵衛と小春は以前から示し合わせたとおり、咳の合図を送ると、二人で連れ立ち、心中に向かう。どんなことがあっても変わらなかったこと、それは、治兵衛と小春が、誰にも止められないくらい、惹かれ合っているということだ。けれども、二人の運命はここでついえてしまった。他にそれぞれの人が幸せになれる道は無かったのだろうかと考えてみるが、治兵衛と小春が後戻りできないところまで惹かれ合ってしまった時点で、死出の道を歩み始めてしまったのだ。『竹取物語』のかぐや姫や「羽衣」の天女のように、情を持たず、過ちも犯さないでいれられば、どんなにいいだろう。けれども、地上の人間である以上、情にからめとられ、過ちを犯してしまう。人間として生きるということは、自分や他人が情にからめとられ、過ちを犯すことを受け入れ、その中で何に対して誠実に生きるかということを探すことなのかもしれない。


道行名残りの橋づくし
治兵衛と小春は、網島の大長寺に行くと、樋の上を死にどころと定めて、治兵衛は、小春を藪の中で殺した後、樋におさんのしごきをかけて首をつる。心中なのに、二人別々の場所で別々の死に方をするのは、衝撃的でもある。小春は、おさんに縁を切って欲しいと言われたにもかかわらず、治兵衛と心中することで、おさんから蔑み、恨み妬みを買うことが未来の迷いと思っているのだ。そのため、最後まで、おさんに義理立てして、別々の場所で事切れる。多分、それが、治兵衛と小春が絡め取られた情と犯した罪に対する、おさんへの償いなのだろう。