国立文楽劇場 文楽鑑賞教室

第30回 文楽鑑賞教室
 日高川入相花王
   渡し場の段
 解説 文楽へようこそ
 絵本太功記
   尼ヶ崎の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2013/2599.html

とりあえず、A班とB班を観に行ってはみたものの、あまりに疲れていて、わざわざ新幹線に乗って大阪の文楽劇場まで昼寝をしにいったも同然の状態だった。非常に贅沢といえば贅沢、大変もったいないといえばもったいない、単なるばかといわれれば、はいそうですとこたえるしかない、小さな旅でした。

今回の教訓は、日高川はいざしらず、『絵本太功記』は、頭が回らない時には観るべきではない、というところでしょうか。とにかく、ぼーっとした頭では、あらすじも追えなければ感情移入も出来ず、舞台がいくら盛り上がっても、ますます盛り上がりについていけなくなって眠くなるだけという最悪の状況に陥ってしまった。寝てたくせして言うのも何ですが、いきなり尼ヶ崎からやって、「さあ、ここから感動的な場面が続くんで、どうぞ感動してください」っていわれても、あまりに話の途中すぎて、ちょっと物語に入り込めない。そういう意味では、鑑賞教室でもあるし、初心者にも優しく、夕顔棚の段ぐらいからやってほしかったかも。

眠気の方は、さすがに、午後のB班の尼崎の段の後(津駒さん、燕三さん)の頃には覚めてきた。津駒さんの誠実そうな印象と泣き節風の語り口が、瀕死の十次郎やさつきの忠孝一筋の性根や口説に合うし、燕三さんの重厚で華麗な三味線が、いかにも大曲にふさわしく、時代物を聴いたなあという充実感を得ることが出来ました。それに、玉女さんの勇壮でありながら苦しみを抱えた光秀や幸助さんの「優美の骨柄」の久吉。最終的には、なんだかすっきりした気分で劇場を後に出来たので、まあ、大部分、寝てたけどいいってことにした。

あと、目から鱗だったのは、ひとつは、一人遣い人形。簑紫郎さんや文哉さんが人形解説で、三人遣いの前に使われていた人形として見せてくれもの。三人遣いのものより小さく、以前、見た白川郷の東二口村の文弥人形と同じぐらいの大きさ。しかし、文弥人形と違ったのは、右手が差し金になっているところ。文弥人形は、今の文楽の三人遣いの人形同様、人形の袖の中から自分の手で直接、人形の右手を扱うというものだった。おもしろい。いつごろ、文楽の人形の右手は、直接袖の中から扱うようになったのだろう。

それから、もうひとつは、B班の寛太郎さんの三味線の解説。三味線の役割の定義について、まず、「太夫の語りに色を付けるもの」としていて、その際、三本の絃と撥の当て方で如何に変化を付けるかということを説明するために、五、六種類の撥の当て方を実演してくれました。さらに、泣きの時に入る三味線の旋律を、清姫のお姫様としてのお上品な涙に、嫉妬に狂った涙、さらに船頭が泣く場合は、という三種類を弾き分けてくれました。ごくごく短い簡単な説明ではありながらも、ちゃんと自分の中に義太夫三味線の演奏に関する理論体系が出来ているという感じで、感銘を受けました。もちろん、ほかの三味線の方もそれぞれに自身の理論体系はお持ちに違いないけど、それを、あの若さで自分の言葉で説明できるっていうのがすごい。寛太郎さんといい、何気に芸達者な勘介さんといい、これらの人々が年をとって、よぼよぼになって引退するまでは、文楽もそれなりのレベルを保って存続しているに違いない。是非、早いとこ、立派になっていただきたいものです。