国立文楽劇場 夏休み特別公演

第3部 【サマーレイトショー】 午後6時30分開演
夏祭浪花鑑 (なつまつりなにわかがみ)
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2013/2597.html

『夏祭波花鑑』は、大坂の夏にふさわしい、好きな狂言の一つ。何度観ても発見がある。今回は、「内本町道具屋の段」が省略されていたことで、「道具屋の段」がある理由がわかったことが発見の一つ目。それからもうひとつは、義兵次のこと。和生さんが義兵次をされていて、今まで観た義兵次と結構違ったので、改めて、義兵次って何者で、どうして長町裏の悪態に及んだんだろうということを考えてしまった。


まず、今回は「道具屋の段」が省略されていた。観る前は、玉島磯之丞様(以下、めんどくさいので「磯様」とす)の「アホぼん」ぶりを見てイラっとする回数を最低偈にできるかと思っていました。しかし「道具屋の段」がないと、最後の「長町裏の段」で団七vs.義兵次の因縁の対決感が薄くて、両人の殺意もそこまで感じられず、イマイチ、カタルシスが感じられないのです。意外にも「道具屋の段」があることの意義の大きさが知られました。

「道具屋の段」は、主人公団七のお主筋の嫡男でお守りしなければならない磯様が、騒動を起こす段だ。磯様は、和泉の国浜田の御家中、諸士頭の玉島兵太夫様のご子息で、遊女の琴浦に入れあげ勘当された身。団七の世話で、清七と名を変えて道具屋の手代とって身をやつしている。この段では、清七こと磯様がそこの娘と深い仲になった上に、50両を騙られ、偽の浮牡丹の香炉をつかまされ、さらには人まで殺(あや)めてしまう。一方で、この磯様を騙るのは、清七が道具屋の娘と深い仲になていることに横恋慕している番頭の伝八、仲買の弥市、そして、田舎侍に化けた、団七の義理の父、義兵次だ。最終的には、出入りの肴屋、団七が、偶然、お得意先廻りがてらに磯様の様子を確認にきたときに、義父の義兵次の騙しの現場を押さえることになる。

この段がある時は気がつかなかったけれども、この段がなくなると、その意義がよくわかる。

たとえば、団七と義父、義兵次との関係はそのひとつだと思う。この場面では、団七と義兵次は、直接、ひどい喧嘩や口論に至ることはないが、実は、以前からお互いに相手に対してわだかまりと憎しみの心を持っていて、一発触発の関係であることを暗示している。

団七は、最初は、偽侍に扮した義兵次が周囲の人に自分の舅であるこを明かせず、自分の舅に似ていると言い繕い、義兵次に対して、娘が見たらどれだけ悲しいと思うか考えて見るがよい、と諭す。しかし、その心の内は、鉛の熱湯を呑む思いで、悔し涙をぐっとこらえている。そして、思わず、

コレ侍、待つた。この九郎兵衛が言う事はな、エヽ見るもなか/\腹が立つわい。腹が立つてならぬわい。

と、非難の言葉が口を衝いて出てきてしまう。

この場面があって、団七と義兵次がさらに憎しみを募らせるからこその「長町裏の段」なのであって、この段が無いと、義兵次が初めて登場するのは、「三婦内の段」で団七の名を騙って、三婦の家から駕籠で琴浦を連れ去ってしまう場面になる。駕籠で連れ出すのは、琴浦を磯様の恋敵、佐賀右衛門に売り飛ばすためにとはいえ、この場面だけでは、団七と義兵次が、殺し合いに至るほど、深く憎しみ合う関係であることが、心情的にピンと来ないように思う。


それから、義兵次についても考えさせられた。

私が最初に観た義兵次は、伊達大夫X玉也さんの超凶悪な義兵次で、その印象が強かったので、和生さんの、本来は人を殺しそうもないけど、つい怒りが爆発してしまったという感じの義兵次というのは、義兵次にしては、あっさりしているような気がした。しかし、それは義兵次としてはアリなのか、無しなのか、考えようにも自分が義兵次のことをよくわかってないことを思いだし、今まで見たこともない部分を含めて、『夏祭波花鑑』の詞章を読んでみることにした。

詞章を読んでみて分かったのは、義兵次はそもそも、娘のお梶を玉島家に奉公に出していたということだった。ところがお梶は、出入りの魚屋の団七と恋仲になってしまい、お屋敷内での恋愛は御法度な当時、お暇を出されてしまった。その後、お梶は団七と魚屋を営んでいたが、団七が磯様の恋敵、佐賀右衛門の配下のものと喧嘩沙汰を起こして投獄され、その間、お梶と子供を引き取っていたのだ。

義兵次の屋号、三河屋が何を商売にしているのかは不明だが、本人がゆすり騙りをしていたり、「長町裏の段」で団七が月々仕送りをしていたと言っているところからして、真っ当な商売で生計が成り立っているとは言い難い状況のようだ。しかし、娘のお梶をお屋敷に奉公に出したということは、きっとお梶だけは、自分とは違い、真っ当な人生を歩んでほしいと思って、花嫁修業を兼ねて、良縁に恵まれるよう箔をつけるためにお屋敷奉公に出したのではないだろうか。ところが、そのお屋敷で、あろうことか出入りの魚屋の団七と恋仲になって、お屋敷からお暇をいただき、魚屋風情と子供までもうけてしまった。

団七の職業、魚屋のイメージは、この当時、どういうものだったのだろう。そもそも、船長など海にかかわる職業の人というのは気性が荒い人々、というのが少なくとも古典の物語世界の通り相場だ。団七の全身の入れ墨や、「長町裏の段」の義兵次の「おのれは元宿無団七というて粋方(すいほう、侠客など)仲間の小歩き(小使い)、貰い喰ひして暮らしてをつたを引上げて(中略)その後、堺の浜で魚(うお)売りさせ」という詞から考えても、魚屋には真っ当な職業のひとつではあるが、裏の世界の人間が更正して最初に付くような、裏の世界と表の世界の境界線に近い職業のイメージがあったのかもしれない。時代は下るけれども、黙阿弥の歌舞伎「魚屋宗五郎」なども、宗五郎の妹はお屋敷奉公だったが宗五郎本人は呑んだくれだった。

また、魚屋というのは、地位の高い人と出会ってそこから話が発展する物語がいくつもあるので、ひょっとすると様々な商いの中でも最も地位の低い商売の一つだと見なされていたのかもしれない。それ故に、身分の高い人との出会いが、思いもかけない組み合わせとして物語たりえるという物語の構造になっているのではないだろうか。たとえば、魚屋と身分のある人とのやりとりを描いた物語には、『魚屋宗五郎』があるし、鰯売りの猿源氏が大名しか相手にしない位の高い傾城、蛍火と恋に落ちた『猿源氏草紙』(浄瑠璃としては三島由紀夫の『鰯売恋曳綱』)がある。もっと古くには、『今昔物語』巻十二にある、聖武天皇霊夢によって鯖を売り歩く老人を東大寺の花厳会の読師に指名したところ、その老人は法会が終わると突然消えてしまい、残った鯖は八十巻の法華経となったという話がある。

話を『夏祭』の義兵次の話に戻すと、お屋敷に奉公に出した義兵次の娘は、そのような魚屋風情の男と夫婦となってしまった。義兵次は、お屋敷奉公に出したにもかかわらず、荒々しく世間の底辺で暮らす魚屋の団七に娘を奪われ、自分の娘の将来に対する思いが全くの無駄に帰してしまったことに相当の怒りを感じていたようだ。「長町裏の段」では、義兵次が悪態をつくが、その最初の言葉は、「コリヤ、六年この方おれが娘を女房にして、慰みものにしてゐる。サア揚代(あげだい)せふかい」というもので、詞はかなり汚いものだが、団七が娘を妻にしてしまったことを、未だに恨んでいるのだろう。

それに、その「長町裏の段」の義兵次の悪態の中には、「乳守の町で喧嘩仕出し、和泉の牢(むし)へ構つて、百日の上女房子を、コリヤ誰が養ふたと思ふぞい」とうのがある。ここから分かることは、戻ってきたお梶と子供を義兵次が養っていたということだ。文楽の数ある浄瑠璃の中には、傾城や遊女の数だけ、娘を売ってお金を手にした親というのがいるのに、義兵次は少なくとも、お梶を置屋などに出したりせず、手段はどうであれ、自分の稼ぎで二人を養ったのだ。それほど娘に対しては、世間一般の親と同様、可愛く思い、何くれとしてやってきた義兵次だから、魚屋のような底辺の仕事で娘を苦労させておきながら、くだらない小競り合いの喧嘩で牢に盃ってしまい自分に苦労をかける団七への憎しみは、相当大きかったのだろう。


一方、団七には、団七の理屈があったに違いない。ほとんど侠客と魚屋の狭間のようなところで生きる団七ではあるが、そのような世界の人々は、普通の人々の常識を越えて、恩や仇(あだ)を非常に重視し、それを示すためには、命さえも捨てる気概があることを見せることを厭わない人々であると思う。たとえば、団七自身、出所に際して玉島兵太夫様の取りなしがあった。そのため、「住吉鳥居前の段」では、兵太夫様の子息、磯様の恋人である琴浦を助けるために牢からの出所早々、佐賀右衛門の手下、こっぱの権やなまの八、一寸徳兵衛と喧嘩をしてしまう。三婦は三婦で、五六年前まで『ちよつと橋詰まで出て貰ふ』が毎日毎晩という調子だし、徳兵衛の妻のお辰も「こなたの顔に色気がある」から磯様を預けられないと言われて、熱い鉄弓を顔に押しつけてしまうという鉄火な人だ。ちなみに、仮にも武士の磯様があれだけアホぼんなのも、本来、武士というのも忠孝に重きをおく人々であるけれども、主人公・団七たちの任侠の世界の厳しさを強調するために、そういう設定にしているのかもしれない。

さて、そのような恩や仇が人間関係の機軸を成している団七のような人から見れば、義兵次のように自分大事でゆすり騙りをする小悪党は、我慢することのできない存在なのだろう。実際、義兵次は、今回上演された部分には出てこないところで、「ひねくれたやつだもの」といわれたり、「あの親父に意趣有る者といったら、大坂に残る者が無い」などと評されているような人で、そのような性格が、ますます団七に我慢ならない思いを抱かせるのだろう。


ひるがえって、和生さんの義兵次は、底意地悪く暑苦しい嫌がらせをする人間という素地はあまり感じず、純粋に、団七への恨みや怒りを感じさせる義兵次だった。今、ここで考えてみたことをふまえると、ちょっとあっさりし過ぎていた気もするけれども、義兵次が単に性格が悪いから悪態を付いたというのではなく、団七に怒りを持っていたから悪態をついていたのだということは、よく分かった。

ただ、今回は、「道具屋の段」が無かったため、それだけだと、このような義兵次だと特に、彼の悪態に対して団七が耐えきれなくなって殺してしまうに至る心境というのが、イマイチ、ピンと来なかった。そういう意味では、次回『夏祭』がある時は、是非、「道具屋の段」も付けてほしいと思いました。


その他、第3部は、文雀師匠のお梶、簑助師匠のお辰、紋壽さんの三婦、住師匠の語りと、豪華キャストで楽しかったです。住師匠は、毎回、拝見する度に凄い勢いで回復している。人間の回復力ってすごいって言いそうになるけど、多分、住師匠のリハビリが凄いのだ。

あと、何度も出てくる二人組のチンピラが、こっぱの権となまの八の二人だということに、今回初めて気がついた。今まで、似た感じの2人組が何組も出てきてると思っていた。あの二人組、面白い。本筋にはほとんど絡んでこないのに、なんて出番が多いのだ?