大神神社

またいつか、大神(おおみわ)神社に行くこともあると思うので、メモを残しておくことにしました。

大神神社に行った日は、本当は朝から夏休み公演の第一部を再度観たかったのだが、あいにくその日の第一部は貸し切り公演だった。それで、午後2時の第二部の『妹背山婦女庭訓』の開演時間までの時間を使って、今まで行きたい行きたいとばかり思ってなかなか行けなかった『妹背山婦女庭訓』の舞台の一つ大神神社に行くことにした。


朝9時過ぎに出れば、余裕で午後2時の第二部『妹背山婦女庭訓』開演までに戻ってこれるだろうと思って、それぐらいの時間に近鉄大阪難波駅を出発した。途中、鶴橋駅で乗り換えて、急行で桜井駅まで行き、さらにJRに乗り換えてJR桜井駅から1駅先の三輪駅で降りて大神神社へという旅程。方向音痴の私でも何とかなりそうだと思ったのに、奈良の鉄道というのは、全く油断がならないのだった。

まず、鶴橋でプラットフォームの向かいに桜井駅に行く電車が来ているので、何も考えずに飛び乗った。案の定、電車が走りだしてから、急行に乗らなければならないのに間違って各駅停車に乗ってしまったことに気がついた。しかも各駅停車の車掌さんは、準急に関しては詳しくアナウンスしてくれるのだが、急行に関しては全くアナウンスしてくれない。各駅停車&準急の電車の乗客と、急行の乗客は生活圏が異なるんだろうか。途中で何本かの急行に追い越されながらも、なんとか急行に乗り換えることが出来た。

近鉄桜井駅について、そこからJRの桜井駅に乗り換えようとしたところ、なんと三輪駅へ行く電車はJR桜井駅を出て行ってしまったばかり。しかも、駅員さんによれば、次の電車は20分後だという。目的地の三輪駅は桜井駅から一駅先で、乗車時間はたかだか3分程度。どうしようと思っていると、大神神社に行くバスがあるという掲示があった。駅員さんにバスについて聞いてみると、バスは1時間に1本しかないという。さらに、大神神社まで歩いたらどのくらいかかるか聞くと、30分弱だという。普段なら歩くところだが、炎天下を30分は歩きたくないし、道もよく分からない。駅員さんも「悩むところですねえ。」と同情してくれる。結局、決め手がないので、時間に優先順位を置き、タクシーで大神神社まで行くことにした。


タクシーの運転手の方は親切な人で、電車に乗れなかった話をすると、「そうなんですよ。でも三輪駅から桜井駅は1時間に一本ですから、まだ行きの方がましです。」と言われて、びっくりする。車を走らせて大和川を越えてすぐ三輪山が見えると、「あれが三輪山ですよ。」と教えてくれた。山の頂がいくつかあるので、どれが三輪山かはっきり分かったので、タクシーに乗ってよかったと思う。

タクシーの運転手さん曰く、大神神社に行くには、普通は、三輪山から少し離れたところにある国道を通るのだが、今日は山に近い方の旧道を通ってくれるという。国道ができる前は、皆、この旧道を通って大神神社に行っていたのだそうだ。古い家並みで風情があるけれども、車一台がやっと通れるものすごく狭い道。たまに歩いている人がいるので、少し申し訳なく思う。大神神社の縁日には出店がでるため、そのときは車は通れないとか。

また、運転手さんによれば、大神神社では蛇を祀っているので、巳年には参拝者が倍に増えるのだとか。「今年もそうでした。」ということだった。

その後、話の流れで、「三輪山って登ることが出来るんですよね。」と私が聞いたとたん、運転手さんは、三輪山は低い登りやすそうに見える山だがいかに登るのが大変かという話を切々と語った。すごく急な山道で、登山靴とリュックじゃないと、とても登れないし、運転手さんが初めて登ったときは500mgのペットボトルの水だけをもっていったところ、500mgのペットボトルぐらいじゃ足りなかったんだとか。もともと登る気はなかったけど、話を聞いてすっぱりあきらめた。見た目は、低くて登りやすそうな山なのに。以前、当麻寺に行った時、ちょうど三輪山と同じぐらいの高さに思える二上山について、当麻寺の金堂で番人のボランティアをしている人に、「二上山って登れるものですか?」と聞いたら、あたり前だという感じで、「幼稚園の遠足で行くくらいだから、登れますよ。」と言われたことを思い出した。まったく、ものごとは聞いてみないと分からないものです。

タクシーは、しばらく旧道を走った。大神神社に近づいたあたりの右手に三輪駅が見えた。そこから数十メートルも行くと、右手に大神神社の二ノ鳥居があり、そこで止めてもらった。930円。ちょっと微妙だけど、いろいろお話を聞けたからいいとしよう。タクシーが行ってしまってから、そういえば三輪駅から桜井駅には一時間に1本しか電車がないという話を思い出した。どーすんだと思ったが、まあ、三輪駅の駅前にはタクシーが数台とまっていたので、万が一の場合は、またタクシーに乗ろうと思って、二ノ鳥居の方に向かった。


今回の大神神社訪問の目的のひとつは、『妹背山婦女庭訓』「道行恋苧環の段」の背景に描かれた山と鳥居と灯籠は、果たして大神神社のものか否かを見極めたいというものだったので、早速、二ノ鳥居と灯籠をしげしげと見てみたところ、形はおなじだったが、色が違った。舞台上の書き割りは朱色の鳥居と灯籠なのだが、大神神社のそれは、白木だったのだ。

とりあえず、あの背景画は大神神社ではありません、ということは分かったので、ミッションその1は達成。さらに見たいものがあるので、それを求めて大神神社の方に向かった。


お能の「三輪」の舞台は大神神社で、大神神社について、いろいろ興味深い話がでてくる。

たとえば、大神神社には「しるしの杉」と呼ばれる二本のご神木があるということ。お能の「三輪」では、そのうちの一本に、ワキの僧の玄賓僧都が「里の女実ハ三輪明神」に授けた受戒のしるしの衣がかけてあり、衣を授けた里の女が、実は三輪明神であったことが明らかになるのだが、その「衣掛けの杉」が、大神神社に残っているという。ちなみに、以前世田谷美術館でやてっていた「白州正子展」みたいなもので見た大神神社所蔵の「三輪山絵図」には、参道の途中に「二本の杉」という絵があったので、ホントに参道の途中にあるのか、確かめようと思った。

それから、お能の「三輪」の和泉流の間狂言を聞いたとき、アイの里人が、「以前、氏子達が集まって三輪明神の社をたてようとしたところ、三輪明神が氏子の夢の中に現れ『生類畜生も、『しるしの杉』を目印として三輪明神に参拝しにくるのだから、鳥居も社も必要ない』というご神託があった」と語った。そのうち鳥居はすでにあることは確認したけど、社の方はどうなってるのか見ようと思った。


それでまず鬱蒼と木々の生い茂る参道を行く。その木々のほとんどは杉で、さすが大神神社なのだった。途中の小さな社にお参りしつつ、しばらく歩くと石段がある。その手前に手水舎があって、手を洗って清める。そして本当はその手水舎の近くに、間狂言で語られていた「しるしの杉」があるらしいのだが、そして見たと言えば、そんな気もするが、はっきりと見た記憶が無い。残念。とにかく周りが杉の木ばっかりなので、こんなんじゃ目印にならないと思ったりもするが、「しるしの杉」の「しるし」は「示現する」という意味らしいので、別に目印って意味ではないのだ…。


石段を登って行くと一番上には大注連縄があって、その奥に大神神社拝殿がある。拝殿はあるけど、本殿は造ってないから許してね!ってことのようだ。山自体はそれほど高くないのに、何か神聖な感じがあって、心を静かにお参りする。


お参りしてから向かって左手を見ると、大きな杉の大木がある。それから、右手には、巳の神杉という杉があった。これは、大物主大神の化身の白蛇が住んでいるご神木だそう。木の根元に穴が開いていて、そこにもお参りした。お賽銭を投げる場所には、拝殿と同様、お酒と卵が供えてある。さすが、杜氏の先祖神と蛇をお祀りする神社なのだ。


それから、お能の「三輪」で、玄賓僧都が、前シテの里の女(実ハ三輪明神)に受法のしるしとして受衣した衣が、杉の木にかかっていたという場面が後場にあり、その「衣掛(ころもが)けの杉」が拝殿の近くにあるようだ。けれども、見回してもどこだかよく分からなかったので、警備の人に聞いてみると、石段を登る前の右手にあったのだという。それで石段をもう一度下りてみると、ちゃんと右手(南側)に「衣掛の杉」があった。ただ、既に折れてしまったようで、株だけが残っているが、その周囲は10メートルあるらしい。こんな大木に衣がかかっていたなんていったら、絶対に手の届く場所じゃないなあ、と一瞬思ったが、玄賓は奈良時代から平安時代にかけての人なので、玄賓が生きていた時は小さい木だったかもしれない…?

ところで、お能の「三輪」の作り物の上には二本の杉の枝が飾ってあって、工芸品でも三輪明神を表す図像は二本の杉の木だ。この二本の杉もどこにあるのか知りたかったが、よく分からなかった。大注連縄の前の石段の始まる前に、左手(北側)に「しるしの杉」、右側に「衣掛けの杉」があるので、この二つが二本の杉なんだろうか。


拝殿で参拝し終えたので、拝殿の北側にある三輪明神の荒魂(あらみたま)を祀るという狭井(さい)神社の方に行ってみる。参道の途中で、ボランティアか何かでお掃除をしている人を見つけたので、「山の辺の道」への行き方を聞いてみる。その人によれば、狭井神社へ行く参道の途中に二軒の茶屋があって、その茶屋の先から山の辺の道が始まるのだそう。「山の辺の道」は桜井から大神神社長谷寺石上神宮などを経て奈良に通じる最古の古道のひとつとか。石上神宮より先は、どこを通ったかよくわからないらしい。『妹背山婦女庭訓』の「道行 恋苧環」の道筋と山の辺の道がちょうど被るので、恋苧環の道行は山の辺の道の道行なのかも。お能だと道行は大体、内容が実際の街道の道筋と合致するけど、この恋苧環の道行はどいういう想定なのだろう?参道を歩いて二軒の茶屋を見つけると、確かに「山の辺の道」があった。とりあえず、場所だけ確認して、狭井神社の方に行ってみる。

狭井神社の鳥居をくぐると、最初に市杵島姫神がある。九州宗像の神様だそう。どうして九州の神様がここにいるのか面白いなと思う。この神様は弁天様でもある。そしてその小さな社の背後には、池がある。池の名前は鎮女池(しずめいけ)という。謂れはどこにも書いていないので、よくわからない。何か、猿沢池采女の入水のような謂れがあるのかしらん。その先には、狭井神社があった。狭井神社の脇には薬井戸というのがあり、地下水が飲めるようになっている。手で汲んで、ちょっとだけ飲んでみると、冷たくてやわらかく、甘かった。そんなに高い山でないのに、こんな水が湧いているのだ。

実は狭井神社で登録すれば、そこから三輪山に登ることが出来るのだが、今回は登らず。

その後、本当は山の辺の道を通ってみたかったけれども、大神神社宝物殿を見忘れていることに気がついたので、久延彦神社経由で宝物殿に行ってみる。

その途中に、展望台があって、平野と向いの山並みを眺めてみた。どうも大和では、大神神社の方角から日が昇り、二上山の沈むということになっているらしい。大神神社の方は良く分からないが、二上山の方は、春分の日秋分の日に二つの山の頂の間に日が沈むという話をどこかで読んだ。それで以前、当麻寺に行ったときに地元のボランティアの人に聞いてみたところ、「そんな話は聞いたことがない。」といわれてしまった。あとで調べると、二上山の山の頂の間に日の落ちる写真のベストスポットは、当麻寺からかなり離れた場所にあるらしい。どうも当麻寺で見られるという話ではないようだ。この大神神社から日が昇り云々という話も奈良の都のあった場所から見た話なのかも。ちなみに写真は、展望台から見た風景なのだが、この時は、ここから二上山が見えると気づいておらず、適当に開けたところに向けて写真をとってしまった。山のシルエットからして、右端の2つの頂きをもつ山が二上山だと思います。


宝物殿に入ると、係員の人は、私が入っていったらちょっとびっくりしていた。たしかに、私レベルの知識ではおおっと喜べるお宝はなく、ちょっと残念。


で、今回は、時間が足らなくて、ここまででお終い。本当は、さらに、三輪明神の若宮を祀り十一面観音やおだまきの杉があるという大直禰子神社や、山の辺の道の先にある玄賓庵や桧原神社にも行ってみたかった。また近いうちに行ってみたい。


帰りは、二ノ鳥居まで出たら、ちょうど桜井駅行きのバスが出発しそうだったので、急いでバスに乗り込んだ。バスも1時間に1本しか無いのに(毎時00分発)、ラッキーでした。160円。バスは国道を通るので、一ノ鳥居を通ることができる。一ノ鳥居は3階ぐらいの高さがあって、ものすごく大きかった。

無事、桜井駅に着くと、近鉄線で日本橋まで出て、文楽劇場で『妹背山婦女庭訓』の「井戸替の段」から「金殿の段」までを観た。実はチケット売り場でチケットを買おうとしたら、ものすごく良い席2席と、残りは、もうお話ならないような端っこの席ばかりが残っていたので、これは三輪明神の「お三輪ちゃんの物語をちゃんと聞きなさい」という神慮なり、と思って、ありがたく良い席2席の中のさらに良い席をゲットした。

大神神社に参拝した後に観る『妹背山』は、全く新鮮で感慨深いものでした。