国立劇場小劇場 文楽素浄瑠璃の会

平成25年度(第68回)文化庁芸術祭協賛 文楽浄瑠璃の会

日蓮聖人御法海(にちれんしょうにんみのりのうみ) 龍の口の段(たつのくちのだん)
      竹本 千歳大夫
      竹澤 宗 助
妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん) 金殿の段(きんでんのだん)
      豊竹 咲大夫
      鶴澤 燕 三
入間詞長者気質(いるまことばちょうじゃかたぎ) 持余屋の段(もちまるやのだん) 
      豊竹 英大夫
      鶴澤 清 介
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2013/2891.html

日蓮聖人御法海(にちれんしょうにんみのりのうみ) 龍の口の段(たつのくちのだん)

先日、駒之助師匠のを聴いたが、パンフレットにはその段の前半が「龍の口の段」となるとあった。詞章を探してみたところ、国立劇場が未翻刻浄瑠璃集のような形で出版していたようだが、所蔵する図書館に確認しに行く時間がなく、ぶっつけ本番で聴くことになってしまった。

内容は、日蓮上人が処刑されそうになるが、奇瑞が起きて無事赦免され、取り囲んだ民衆に別れを惜しまれつつも、日蓮上人は、どこに行こうと授法の契りは朽ちないので念仏を怠らぬようにと諭し、龍の口を去っていく、というもの。

パンフレットの千歳さんのインタビューによれば、嶋師匠が一日だけ文楽で半通しを勤めたことがあり(中之島公会堂)、二代目野澤喜左衛門の弾き語りのテープと大正十五年(1926)6月21日に七代目竹本文字太夫(後の六代目住大夫)と野澤勝平(後の二代目野澤喜左衛門)が五代目竹本春太夫五十回忌追福で勤めた際の床本があるとのこと。

この段は、日蓮上人が主役という非常に珍しい浄瑠璃お能には高僧が出てくる能や宗教色の強い曲はある。たとえば、「鵜飼」で日蓮上人と覚しきワキの僧が出てくるし、ほかにも、明恵上人が出てくる「春日龍神」、西行が出てくる「西行桜」、空海がワキの僧だと考えられている「卒都婆小町」などがあるが、すべて高僧はワキとなっている。シテが僧という場合もあるが、「自然居士」のように宗教的な身分は低い人が中心のように思う。これは、神仏や宗教のご利益を讃えることを芸能の主題にすることはあっても、仏そのもの、高僧そのものを主人公にした宗教劇を芸能者が演じることに対することをはばかったのではという気がする。

一方、宗教の方でも芸能めいたことをすることがある。以前、中将姫の伝説で有名な奈良の當麻寺に行ったことがある。その際、「当麻曼陀羅」の「絵解き」を聴聞した。これは当麻曼陀羅に描かれる仏陀の一生を唱導する際、五十文字前後の単純で大変短い曲節を用いて、曼陀羅を二、三十ぐらいの単位に分けて(うろ覚えですみません)曼陀羅全体の意味するところを説明するというものだ。古くから伝わっているものなのだという。この当麻曼陀羅の絵解きは全国に広まったが、その伝播には、回国する高野聖が関わった可能性があるという説がある。実際、當麻寺には今でも高野山から僧が派遣されていると聞いた。

このように寺院では法事をする以外にも、絵解きや説経などを通じて民衆を教化するということが古くから行われており、芸能と宗教とは交錯し分かち難い側面もある。この「日蓮聖人御法海」も、芸能としての浄瑠璃というよりは、宗教の教化の方便に近いものとして制作された浄瑠璃なのだろう。また、江戸時代に日蓮宗と同様に盛んだった浄土宗では法然上人の行状を描いた「法然上人絵伝」が広く知られているが、日蓮宗日蓮上人に関しては行状を描いたものに有名なものがないのも、こういった日蓮上人の事跡を忍ぶ浄瑠璃が生まれる背景となったのかもしれない。

龍の口の段自体は大変短い段だ。今にも上人を斬首しようとする場面からはじまる。

日蓮上人を斬首しようと首切り役人が振り上げた刀が折れて斬首されずに済むという奇瑞は、もともとの日蓮聖人の事跡ではあるが、謡曲の「盛久」にも同様の場面があり、「盛久」の方は日頃厚く信仰していた清水寺観音菩薩の霊験ということになっている。どちらも、『法華経』の「観音強菩薩普門品(観音経)」にある刀杖難の説話で、刑せられる際に観音の力を念ずれば、刀が段々に砕けて壊れるという話がもとになっているようだ。

日蓮聖人に奇跡が起こると、先日聞いた「勘作住家の段」で聴いたのと似た荘厳な三味線の旋律となり、テンポもゆっくりとなるのは日蓮聖人の偉大さや有り難さを表現するためなのだろう。その後、赦免状が出され日蓮は放免される。その際、日蓮が龍の口を離れることを嘆くクドキがあるのだが、これが普通の浄瑠璃とは異なりクドキの主体が誰だか特定されておらず(クドキだから日蓮上人を慕って集まった群衆の中の女の人の詞だとは思うけど)、千歳さんの語りでも特に性格や人物像の色付けはされておらず、ちょっと不思議な感じ。

全般的な筋の印象としては以前、麻布区民センターで観た越後猿八座の越後角太夫さんが紹介された越後国の高僧・弘知法印の一代記、『弘知法印御伝記』を彷彿とさせるものだったが、語りや三味線の演奏は角太夫さんのものに比べると千歳さん・宗助さんのものは圧倒的に大人しかった(というか洗練されていたというべきなのかな?本当は)。角太夫さんの『弘知法印御伝記』は近松門左衛門の『出世景清』の初演と同年で貞享五年(1685)で、『日蓮聖人御法海』は初演が寛延四年(1751)10月(作者は並木正三(なみきしょうざ)、並木鯨児(げいじ))だという。恐らく角太夫さんの方は、『日蓮聖人御法海』も把握された上で、初期の古浄瑠璃の荒削りな感じを出すために、力強く演奏されたのかもしれない。江戸時代も半ばになっても『日蓮聖人御法海』のように純粋な宗教劇が新たに創作され、それがパンフレットによれば昭和のはじめ頃までは通し上演されていたというのは、大変興味深い。今秋、女義の駒之助師匠や文楽の千歳さん・宗助さんのお陰でこういった浄瑠璃があることを知ることができて、良かったと思う。


妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん) 金殿の段(きんでんのだん)

今まで聴いた中で一番、感動した金殿の段で、名演でした。

咲師匠・燕三さんの演奏は、今年7月の文楽劇場での夏休み公演に人形付きで観たときよりも、間を効果的にとり、お三輪ちゃんの心理の変化に焦点を当てていたという印象だった。

先日、観世能楽堂能楽講座「野宮」を聴講した際(非常におもしろかったので、改めてメモを書きたいと思います)、『源氏物語』の葵の巻で描かれる六条御息所の車争いの話が話題にのぼり、ふと、金殿で官女達がお三輪ちゃんをなぶりものにする場面を思い出した。7月に「金殿の段」を観た時は、官女たちによるいじめに「後妻打ち」(先妻とその親しい同志が後妻を打ちに行くという古い時代の因習)を連想したが、むしろ、六条御息所の車争いを下敷きとしているのかも知れない。車争いというのは、光源氏賀茂祭で勅使を務めることになり、その晴れ姿を見るために御息所がお忍びで牛車を出し見に行ったところ、偶然、本妻の葵上の車と鉢合わせとなり、車夫や従者達による場所争いとなった事件のことだ。その結果、お忍びの車が御息所のものだと分かり、葵上の従者や車夫達によって御息所の車はさんざんに痛めつけられ、源氏の晴れ姿を見ることの出来ない場所に押しやられてしまう。賀茂祭の行列の見物にきた大勢の人々の前で恥辱的な仕打ちを受けた御息所は、このことを契機に嫉妬や恨みの感情に苛まれ、その生霊が葵上や夕顔君に取り付くことになる。

「金殿の段」では、求馬を探して入鹿館をさまよっていたお三輪ちゃんは今夜求馬と橘姫が内々の祝言を執り行うと聞いて、偶然通りがかった官女たちに、自分が何者かを隠して祝言の晴れ姿を見たいと訴える。ところが、官女達はお三輪ちゃんが橘姫の恋敵と悟ってさんざんになぶりものにする。そのせいでお三輪ちゃんは、嫉妬と怒りに狂わんばかりになって御殿の中を求馬を探して歩き回ろうとする。恋の相手の晴れ姿を見ようとして正体を隠して見に行こうとするが本妻の従者にさんざんになぶりものにされ、恥辱を受けるという構図は、車争いの構図と似ている。

「金殿」のこの場面が車争いの構図を下敷きにしたものかどうかは、簡単に判断を下せるものではないかもしれないが、半二がお三輪ちゃんが「疑着の相」を現すに至るのに、単なる嫉妬の感情だけではなく、このような恥辱を受ける場面を採り入れたというのは、一考の価値があると思う。

謡曲の「道成寺」の元となった安珍清姫伝説では清姫は、自分から逃げる安珍を恨み怒って追い掛け、「鉄輪」に出てくる女は、自分を捨てて後妻を娶った夫への怒りと後妻への嫉妬で二人を呪い殺そうとする。六条御息所は、一度関係を持ってしまうと足の遠のいてしまった源氏への怒りや恨み、葵上への嫉妬、車争いでの恥辱といった複雑な感情に翻弄され、自分を見失いそうになりながら、最終的には伊勢の斎宮となった娘に付き添って伊勢に行くことで、自ら源氏の元を去ることを決心する。お三輪ちゃんも同じように求馬・橘姫に対する怒りや恨み、恥辱で狂わんばかりになり、その疑着の相のために鱶七(金輪五郎)に刺されてしまう。そして、お三輪ちゃんは鱶七から自分の血が求馬の計略を助けることになるのだという話を聞かされ、求馬のために死ねることを忝ないと言う。この時のお三輪ちゃんは「志度寺縁起」に出てくる謡曲「海士」の元となった海女を彷彿とさせる。その海女は、淡海公のために竜宮城に「面向不背の珠」を取りに行き、龍王に殺されてしまうのだ。

お三輪ちゃんは、六条御息所の経験した怒りや恨み、嫉妬、恥辱といった感情から志度寺縁起の海女の純粋な愛情や究極の母性を一人で体現している。これは女の人が人を好きになった時に感じるあらゆる感情に通ずるものではないだろうか。そして最期に海女の純粋な愛情や究極の母性が残ったというところが、正に「婦女庭訓」なのかもしれない。だとすれば、私達は、お三輪ちゃんの物語をつい表面だけなぞって陰鬱な物語だと捕らえたりしてしまうけれども、半二は実はお三輪ちゃんの物語にこれだけの複雑な面を持たせているのだから、享受する私達は、もっと物語の意味するところおを深く汲み取らなければだということを心に置きながら観なければならないのかもしれない。


入間詞長者気質(いるまことばちょうじゃかたぎ) 持余屋の段(もちまるやのだん) 

お金が有り余っている長者のお話。おどけ浄瑠璃というジャンルで素人浄瑠璃で主に演奏されたとか。その割には清介さんの三味線がすごいことになっていて、あんなのお素人の人が弾けるのだろうか。実際にはプロの三味線弾きさんに弾いてもらって、お素人の人がその気になって気持よく語るというものかも。それに今回は英さんが模範的な語りをしていて面白かったけど、考えてみると、確かに今年5月の天地会で、主に勘寿さん、玉女さん、文司さんなどが惜しげもなくご披露下さったような超絶・棒読み式義太夫で語ったほうが、『妹背山』の官女達じゃないけど、「ほてつ腹」がよじれるほど笑える気がしないでもないかも…?