乱拍子とセメと文楽の段切

先日11月1日の古典の日には。国立能楽堂金剛流の御宗家、金剛の「道成寺 古式」があった。ダメ元でチケットは買ったけれどもやっぱりお休みをとることが出来ず、拝見することは出来なかった。残念。

これはかなり観たかった。なぜかというと、先日、観世能楽堂で行われた「第一回 世阿弥シンポジウム」で「乱拍子」が取り上げられたほか、同じく観世能楽堂で行われた観世流の企画公演「檜垣」は「蘭拍子」の小書付きで、常の演出では序ノ舞となるところを蘭(乱)拍子にするという面白い趣向で、乱拍子について興味が沸いていたからだ。

乱拍子と関連してもう一つ気になっていたのは、ちょうど去年観た白河郷の旧東二口村に伝わる文弥人形のことだ。ワークショップがあり、その時のメモを眺めていたら、文弥節の曲節のパターンのひとつとして「攻め」というのがあって、この「攻め」について、自分で「段切りの時に必ず演奏される」というメモをとっていたのだ。確か文弥人形保存会会長の方が説明してくださったのだったと思う。

なぜ、「乱拍子」に関連して文弥人形の曲節の「攻め」が気になるのかというと、すでに滅びてしまった白拍子舞の後半にも「セメ」と呼ばれる部分があるからだ。そして、先日の観世流企画公演のパンフレットにある「白拍子として舞うこと ー 檜垣蘭拍子再考」という文章の中で著者の横山太郎氏が、沖本幸子氏の「白拍子舞から幸若舞へ」という論文を紹介しているのだが、その中で沖本氏が、一五世紀頃の白拍子の芸態を記述した『今様之書』に、白拍子舞の後半のセメという部分と、能楽の「乱拍子」の鼓の打ち方と同じだと述べていることを指摘していると記述しているのを読んだからだ。

白拍子舞の「セメ」というはどういう舞だったかというと、同じ文章の中で横山氏は山中玲子氏の「<序ノ舞>の祖型」を紹介して、

セメの芸態は、鼓の伴奏に合わせ足拍子と共に舞台を回ってから和歌を上げ足を踏み込んでいくというもので、「道成寺」乱拍子にきわめて近い。

と説明している。

白拍子舞のセメの部分は室町時代前期に成立した『義経記』にも具体的な記載がある。頼朝側にとらえられた静御前鶴岡八幡宮白拍子舞を披露する場面がそれで、「能を読む(4) 信光と世阿弥以降」(角川学芸出版)の中の、「『道成寺』と『乱拍子』 ー 能の古層の<責め>の身体」という松岡心平先生の本に引用されており、

静その日は、白拍子多く知りたれども、ことに心に染むものなれば、しんむじやうの曲といふ白拍子の上手なりければ、心も及ばぬ声色にて、はたと上げてぞ歌ひける。上下「あつ」と感ずる声、雲にひびくばかりなり。近くは聞きて感じけり。声も聞こえぬ上の山でもさこそあるらめとて感じける。
これは、白拍子舞の本体であるc.の部分(引用注:白拍子歌謡、お能でいう曲舞の部分)の記述で、このとき静は「しんむじやう(新無常)」という曲を選んで謡ったのであった。しかもこれを「心も及ばぬ声色にて、はたと上げて」謡ったので、観客は心を奪われた。「はたと上げて」は、一段と声を張り上げて、とも解釈できるし、上音(じょうおん)のような高い声で、とも解釈できるだろう。このような白拍子歌謡を歌うことを「数へる」と言うが、それは続く記述からも分かる。

しんむじやうの曲、半らばかり数へたりける所に、祐経心なしとや思ひけん、水干の袖を外して、責めをぞ打ちたりける。
白拍子の小鼓を担当していたのは、工藤祐経であった。祐経は、静の白拍子歌謡の選択とその謡い方が気に入らなかったので、早く終曲へもっていこうとして<責め>を打ちかけた。<責め>は小鼓にとってもとくに気合が入るところなので、祐経は「水干の袖を外して打ちかけたのだ。

というものだ。

今、文弥節の「攻め」の部分の曲節がどんなものだったのか思い出そうとしてみるのだが、残念ながら、本当におぼろげにしか思い出せない。段切りの三味線がそうだとすれば、刻みっぽい感じだった気はするのだが。ただ、考えてみると、他の「口説き」や「船道行」といった、メロディラインが大変特徴的な曲節は今も覚えているので(「記憶に残す」というのがメロディの持つ役割のひとつだから当然といえば当然だ)、おそらくメロディに特徴があったというよりは、その拍子が特徴だったのかもしれない。

そして、文楽のことも少し考えてみたくなる。文楽の段切りというのは、恐ろしくパターン化されている。最後の数分、太夫の語りの方は、たっぷり歌うように語る場合もあるが、三味線は、ほとんど例外なく速いテンポで演奏される。最後の最後でやっとリタルダンドとなり、曲が終わることを観客に知らせる。

ここでいきなり、文楽の段切の曲節が白拍子の<セメ>から影響を受けているという気は毛頭ないけれども、曲の終末部を速いテンポでたたみかけるように進めていくという行き方は、文楽の発明というよりは、白拍子の活躍した昔からあった、ということは言えるかもしれない。