国立文楽劇場 11月文楽公演(その1)

平成25年度(第68回)文化庁芸術祭主催 公益財団法人文楽協会創立50周年記念 竹本義太夫300回忌
通し狂言 伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)

第1部 午前10時30分開演
鶴が岡の段/和田行家屋敷の段/円覚寺の段/唐木政右衛門屋敷の段/誉田家大広間の段/沼津里の段/平作内の段/千本松原の段

第2部 午後4時30分開演
藤川新関の段 引抜き 寿柱立万歳/竹藪の段/岡崎の段/伏見北国屋の段/伊賀上野敵討の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2013/11122.html

東京では上演されなかった伊賀越の大序の「鶴が岡の段」を観てみたくて、大阪まで行ってきました。

休日だというのに10時半の開演に間に合うように早起きして新幹線の飛び乗った。が、「鶴が岡の段」は、一応、岩波の新日本古典文学全集で内容は知っていたものの、敵討ちの当事者である志津馬くんの『夏祭浪花鑑』の磯様に引けを取らないあほぼんっぷりに、「ああ、私は志津馬くんの茶番を観るために早起きして大阪まで来たのか。」と、がっかりしてしまった。でも、見方を変えれば、作者の近松半二は、大序という物語の冒頭で、敵討ちのきっかけが、志津馬くんが股五郎にだまされて泥酔した上での失敗から起こったであると示すことで、仇討物の形を借りているが、これからはじまる物語は仇討ち物の形を借りているが、本当に描きたいことのは別のところにあるということを観客に知らせたかったのだろう。

さまざまな演者の方々が東京公演の時とは演奏や演技を若干変えていたりして、それを観たり聴いたりするのもおもしろかった。中でももっとも印象的だったのは、平作内の段の呂勢さん・清治師匠&簑助師匠によるお米のクドキの部分だ。お米は十兵衛の持つ印籠の妙薬を盗もうとして十兵衛に捕まってしまうが、十兵衛に促されて妙薬を手に入れたかった訳を明かす。この部分を丁寧にされていたというのが印象的だった。本当は東京でも丁寧にされていて、私が分かっていなかっただけかもしれないけれど。改めて考えてみると、沼津の物語は平作・十兵衛親子の物語というよりは、もっと複雑で、そこにお米が絡まり家族の物語になっている。そして、このお米のクドキで語られていることは、この家族に悲劇が訪れ、十兵衛が自身の忠義のあり方を再考する発端となる大事な話なのだ。

お米は、「平作内の段」のクドキの中で、身の回りのもの、櫛笄まで売り払い、年をとった親にまで迷惑かけ、今日死のうか明日死のうかということを考えるが死んだら親が嘆くことを考えるとそれすらも出来ないと嘆く。さらに自分が瀬川という名であったことも匂わす。このクドキで十兵衛はすべてを悟り、「石塔代」という名目で金子三十両を手渡し、お米が志津馬のために盗もうとした印籠の妙薬をわざと平作の家に忘れて出ていく。

一方、お米と平作は置き忘れられた印籠から、十兵衛が股五郎側の人間であることを悟る。股五郎の行く先を聞きたいと思わず印籠を持って走りだそうとするお米を平作はお米を引きとどめ、自分が代わりに聞くから立ち聞きせいという。もしお米が直接、十兵衛に股五郎の行く先を尋ねれば、それは世界にたった二人きりの兄と妹が敵同士として会うことを意味する。二人の親である平作は、それだけは避けたいと思ったから自分がお米の代わりに追いかけて行くことにしたのに違いない。

最終的には、平作は志津馬側である自分のお腹に十兵衛の刀を突き刺し自刀する。志津馬側の人間を十兵衛が殺したという手柄を立てさせることで、代わりに十兵衛から股五郎の行く先を聞き出そうとするのだ。平作の命がけの訴えに、義理よりも血の絆をとって「理を非に曲げ」、十兵衛は、股五郎の落ち着く先は九州相良であると、妹のお米に聞こえるように叫ぶ。さらに最後に十兵衛が草藪に隠れているお米たちに対して「ソレ、今が親仁様のご臨終」と平作の最期を看取るよう促す。お米たちが平作のところに駆け寄ると、十兵衛は笠で隠しつつ、その場から足早に立ち去る。今まで十兵衛が足早にその場を立ち去る意味があまりピンと来ていなかったけれども、これは、今や敵同士と分かってしまった妹と顔を合わせれば、その場で妹を殺さないわけにはいかないからだろう。十兵衛は、いくら武士に負けぬ「心は金鉄」の人間ではあっても、妹を敵として殺すことはできなかったのだ。そういったことがお米のクドキを改めてきちんと聴くことで、はっきりと分かった。

「沼津の段」で、平作はお米と十兵衛のために喜んで命を捨てたが、そのような父の死に立ち会った十兵衛にとって、物語はそのままでは終わらない。偶然とはいえ父親を死なせてしまった十兵衛が父と妹のために何をすべきかを考え、それを行動に移したのが、「伏見北国屋の段」の後半に出てくる十兵衛なのだと思う。「伏見北国屋の段」は、「岡崎の段」の後なので、観る側もいいかげん疲れきってしまって、つい流して観てしまいそうになるが本当は、重要な段なのかもしれない。十兵衛は、股五郎側の桜田林左衛門を追う志津馬から桜田をかばい志津馬の手にかかり深手を負う。それは、いったんは股五郎に預けた命であるため、桜田を逃した上で志津馬の手にかかり、自分のたった一つの命を股五郎側と志津馬側に分けようとしたからなのだ。十兵衛は股五郎側に付くという「非道に与せし先非を悔い」たものの、義心ある彼とっては、たとえ非道の股五郎であっても裏切ることも出来なかったのだ。くわえて十兵衛は、志津馬に股五郎が九州相良へ行くルートを知らせることを一種の手土産にして妹を志津馬に添わぜようとする。それは妹のお米ためでもあり、千本松原でお米のために命と引き換えに十兵衛から股五郎の行く先を聞き出した親平作への孝の道なのだ。

そして、その場に政右衛門がいたことは大きな意味があると思う。二人とも生まれながらの武士でないにもかかわらず最も義と孝を重んじる人達で、十兵衛の心の内を十二分に理解できるのは、この物語の中には政右衛門を置いて他にいないからだ。この物語には、政右衛門や十兵衛だけでなく、武士・庶民に関係なく、多くの義と孝を重んじる人々が出てくる。和田行家、行家の後添えである柴垣、股五郎の母鳴見、行家の教え子・丹右衛門、平作、幸兵衛などなど。そういった人々を登場させることで、『伊賀越』に半二は何を託したのだろう?私自身は、半二は、浄瑠璃は本当は武士の物語ではなく、武士の世界に仮託された庶民の義と孝の物語なのだと言いたかったのかもしれない、と思わずにはいられない。


一方、「岡崎の段」に関しては、やはりまだ分からない部分も沢山あるが、政右衛門に関して「荒ぶる神」というものを感じた。以前読んだ篠田正浩氏の「河原者ノススメ」(幻戯書房)に、説経節浄瑠璃をはじめとする「日本の芸能に登場する人物は、それぞれに聖性を秘して現世の苦難に耐え」、その苦難の放浪を通じて「御霊」=「現人神(荒ぶる神)」が顕現するのだという趣旨の論があり、その例として義経曽我物語の五郎時政、忠臣蔵の塩冶判官などがあがっている。確かに、浄瑠璃の中には、決して慰められることのない悲劇を背負う登場人物が、名前を挙げたらきりがないくらいに、沢山いる。それが浄瑠璃の主人公の条件といってもいいくらいだ。そう考えると、『伊賀越』の中の政右衛門は、義のために自分の子供を自分の手で殺さざるを得なかった人であり、決して癒やすことのできない悲劇を背負った人物として浄瑠璃の主人公たる条件を満たしている。一方のお谷は、まるで『小栗判官』の照手姫や『信徳丸』の浅香姫などの説経節の登場人物のように一切のためらいなく政右衛門を求めてさまよい、子供を父に殺され身悶えして嘆く。この二人がさながら説経節古浄瑠璃に現れる登場人物のような悲劇を経験する物語が半二が書いた絶筆だったというのは、何を示唆しているのだろう。


何度観ても考えさせられるのが『伊賀越』でした。