国立劇場小劇場 12月文楽鑑賞教室

12月文楽鑑賞教室
団子売(だんごうり)
解説 文楽の魅力
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
     寺入りの段
     寺子屋の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2013/2184.html

Aプロ、Bプロ両方鑑賞しました。寺小屋は何度観ても面白いのでした。


団子売(だんごうり)

一曲の中で、曲調が変化に富んでいて、聴いていて楽しい曲。

杵造の手足は、他の人形に比べてすごく長い。何故だろう?曲調が杵造の時はゆったりとしているから、ゆったりとした踊りの見えるようにあんなことになっているのだろうか。

一方、Bプロ簑紫郎さんのお臼が、最初の老女形の時はたおやかな踊りだったのに、お多福のお面を被ってからは、リズムに合わせて肩をすぼめたり、可愛らしいひょうきんな踊りとなっていた。今まで気が付かなかったけど、首によって踊り方って変わるんだなと、面白かった。


菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

Aプロは玉女さんの松王丸に、和生さんの源蔵。Bプロは勘十郎さんの松王丸に、玉也さんの源蔵。AプロBプロで全く異なる松王丸と源蔵で、とても興味深かった。

寺入りの段

Aプロの寺子屋の子供達の悪ガキっぷりがすごかった。ふつう、口上の時は、人形はお芝居が始まっているような始まっていないような微妙な感じで大人しくしているものだけど、Aプロの悪ガキどもはそもそも口上からして無視で、全力でいたずらしている。他の子の顔に落書きするとかは序の口で、隣の子の頭をスコーンという音が劇場中に響きわたらせ気持ち良いくらいの勢いで叩いたり、けんか相手をすごい勢いで突き飛ばしたり、一人をみんなでボコボコにしたり…。手習いしていても、よだれくり(文哉さん)は、筆を根元まで潰したボサボサの筆で力いっぱいのぐるぐるの絵を描いたりしてる。で、その絵を持ち上げてみると、いつもの通り端正な「へのへのもへじ」なんだけど、絶対にそんなもんじゃなかったです。あのぐるぐる絵は…。

彼らは源蔵の妻、戸浪が注意しても全然効き目なし。そう、子供は動物的勘で、その大人の言うことを聞かなくても大事無いかどうか、瞬時に悟ってしまうのだ。この場面を観るといつも、自分が学生時代、初めてのバイトで塾で子供達を教えた当初のことを思い出して、ちょっと胸が痛む。でも、ふつうは何だかんだ言っても子供は子供なので、早晩、大人の方が子供をおとなしくさせる方法を編み出して、落ち着くものだ。戸浪はきっと長いこと子供の相手をしているだろうに、あそこまで子供達にナメられているというのは、どういうことだろう。戸浪が頼りなさすぎるか、子供達が悪ガキすぎるのかのどちらかなんだろう。ま、Aプロの場合は間違いなく子供達が悪ガキすぎるからだけど、菅秀才が模範的良い子であったり、源蔵が「いずれを見ても山家育ち」と漏らすことから考えても、彼らが手を付けられない野生児ということなのかも。

そこに松王丸の妻、千代が現れる。寺子屋に小太郎を入門させるためという口実で小太郎を、菅秀才をかくまう源蔵夫婦のところに預けに来たのだ。以前、文雀師匠の千代の「寺入りの段」があまりに感動的だったので、それ以来、「寺入りの段」で千代が出てくると、小太郎と今生の別れとなるかもしれないのに、何気ない風を装わなければならない千代の苦しい胸中を思いやってしまう。しかし、今回は、Bプロで、玉翔さんの小太郎が、母のいつもと違う様子を鋭敏に察したのだろうか、じっと千代を見つめ、寺子屋の玄関口の柱にすがって千代を目で追う様子を観た。そうだ、小太郎は、寺子屋の段での最期の様子を考えれば、利発な子供であろうから、両親からこれまで聞いた話やここ数日の両親の様子をみて、彼なりに自分に課せられた役割について、何か感じるものがあったのかもしれない。小太郎は、「ちょっと隣村まで」と言って寺子屋を立ち去ろうとする千代に向かって、一度は「かヽ様、わしも往きたい」とすがりつくが、結局、寺子屋に踏みとどまる。子供なりに親のことを考え、寺小屋に残る決心をした彼の気持ちを考えると、切なくなってしまった。


寺子屋の段

松王丸は、黒天鵞絨に雪持松と鷹の長羽織を着て現れる。先日、高輪区民ホールで開催された三味線中心の「床だけコンサート」で、「冬八景」という冬にまつわる曲のメドレーが演奏された時、文楽の中での雪の役割に改めて興味をもった。

というのも、お能は現行曲が230番ぐらいあるうち、雪の場面というのはほとんどないのに、文楽では、雪の場面が数多くあるからだ。最初は、どうしてお能には雪の場面がほとんど無いのか考えていて、お能は昔は野外で行われることが多かったために、冬、寒風の吹きすさぶ中、雪の場面を観たいとう需要があんまり無かったからかしらん、などと思った。一方の文楽の方で雪の場面があるのは、義太夫節は基本的に屋内で聴くし、一作品の中で四季が移り変わる物語が多いので、季節を象徴するものとして雪の場面が選ばれるのかもと思った。

そして、「冬八景」のメドレーに選ばれた8曲は、『源氏烏帽子折』の「伏見の段」、『伊賀越道中双六』の「岡崎の段」、『染模様妹背門松』の「質屋の段」、『奥州安達原』の「袖萩祭文の段」、『中将姫古跡松』の「中将姫雪責の段」、『信州川中島合戦』の「輝虎配膳の段」、『心中天の網島』の「大和屋の段」、『競四季寿』の「鷺娘」。最後の「鷺娘」以外は全て、その物語の中の一番の悲劇や受難の場面の先触れに当たる部分だった。他にも、雪が印象的な場面は、当日演奏された『傾城恋飛脚』の「新口村」や、『本朝廿四孝』で母の冬に筍が食べたいという無理難題に慈悲蔵が雪の中で筍を掘る「勘助住家の段
」、今年嶋師匠・富助師匠で聴いた近松門左衛門の『雪女五枚羽子板』に出てくる娘が主人公を助けようとして乗り込んだ屋敷で吹雪の中に捨て置かれて凍死してしまう場面なども思い出す。また、雪持の衣装は、松王丸の他に『伽羅先代萩』の政岡もいる。どちらも、雪は悲劇や受難の場面がこれから始まることを象徴しているようだ。

『菅原伝授手習鑑』に話を戻すと、「寺子屋の段」では、冒頭に源蔵が庄屋での村の寄り合いから戻ってくる。Aプロから先に観たが、Aプロの和生さんの源蔵がすごくよく動くのが印象的だった。2010年の文楽劇場の夏休み公演で、玉女さんの松王丸、和生さんの源蔵を観た記憶があるが、その時は和生さんの源蔵が動きを極力抑えた演技だったことを印象深く覚えているので、余計に興味深く思われた。

今回、2010年と同じく玉女さんの松王丸が出てきたが、松王丸は、これから起こる悲劇に対する沈痛な思いや作り病のため、物憂げな様子だった。私は今までうかつなことに、松王丸の作り病は風邪か何かの仮病だと思っていた。けれども、今回の玉女さんの松王丸を観て、松王丸はこの作り病を口実として時平の臣下の職を辞するつもりであるので、回復が見込めないような長患いの病のつもりなのだと思った。そして、小太郎が身替りとして首を刎ねられること自体が、決して後戻りできず、松王丸が死ぬまで癒されることの無い悲劇だから、作り病ではあっても、心の内は回復の見込めない病を得た苦しみや悲しみと同等かより深いのだと思った。さらに、松王丸の企みを知らない源蔵は、切羽詰まった刃の上の綱渡りのような状況で、全てを上手くしおおせるには気迫で押し通すしかない状況なのだから、あんな風に動くのだろうと思った。

その時はそういう解釈で大いに納得したが、Bプロを観た時、Aプロと全く違う行き方をする勘十郎さんの松王丸と玉也さんの源蔵だったので、大変興味深かった。勘十郎さんの松王丸は、豪快に動く松王丸で、玉也さんの源蔵は、動きを抑えた源蔵だった。これはこれで、また納得感があったのだ。

そもそも松王丸は、「茶筅酒の段」では、「見るからどうやら根性の悪さうな松王」と言われるような人で、「喧嘩の段」では、父の七十の賀で兄弟夫婦が集まったにもかかわらず、梅王と喧嘩をはじめてしまったりする血の気の多い人だ。以前、観世能楽堂東京大学が共催した「世阿弥シンポ」で、松岡心平先生が、「能楽はその成り立ちにより、老人と子供を主なテーマとして選んでおり、若者を意識的に外している。一方、歌舞伎は荒事の主人公として若者の物語をテーマとして取り入れている」という趣旨の話をされていたことを思い出す。文楽ではどうだろう?文楽では荒事という分類は多分あまり考えられていないと思う。それでも亡霊の悔恨や心残りを描くお能と違って、義太夫は主に生きることの苦しみや悲劇を描いている。だから、主人公はどうしても、青年や分別盛りの男の人が多くなる。

松王丸は、生の苦しみや悲劇を描く文楽にふさわしく、子供の小太郎を菅秀才の身替りとすることにしたことや弟の桜丸との死に別れという、その決して癒やされることのない苦しみの中で、もがいている。だから、その勘十郎さんの松王丸を活かすために、抑えた動きにしているのかなと思った。

思いもかけず、全く正反対の松王丸・源蔵を観て、しかも両方感動できる、楽しい鑑賞教室でした。