観世能楽堂 観世会定期能12月 野宮 合掌留

観世会定期能12月1日(日)
野宮 合掌留
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私の六条御息所のイメージは、内向的で冷たい印象の美人というものだったが、お家元の「野宮」の御息所は、凛としているけれども、まるで源氏物語絵巻の絵の中から立ち出でたようなあどけなさをも残す表情の女性で、そのことがとても印象的だった。そういう可能性を考えたことはなかったけれども、考えてみると御息所の恋が破れたのは彼女のせいではなく多分に源氏の移り気のせいであり、冷たい女性だという記述は無い。紫式部は、御息所をどんな女性と想像していたのだろう。

以前、観世能楽堂能楽講座の「野宮」の回に、松岡心平先生が、「野宮」には「野」と「森」が醸す伊勢の神聖な雰囲気や共鳴きしないという「松虫」に通づる孤独が、作者の禅竹によって付加されているというお話をされていた。後場は、それに月が加わり、「秋」、「木の間から漏れ来る月影」、「下露」といった詞が、『源氏物語』「賢木」の巻の長月七日の出来事を思い出させるだけでなく、御息所の内面や、源氏との恋の行く末の暗喩になっていて、改めて感じられた。

後見によって、作り物の黒木の鳥居に小柴垣が付いたものが正先に出される。

野宮にワキの僧(殿田 謙吉師)が現れると、鳥居の前に下居して、
「伊勢の神垣隔てなく 法の教への道直(すぐ)に ここに尋ねてみやすどころ 心も澄める夕(ゆうべ)かな」
と謡うと、ワキ座に座る。先日、観世能楽堂能楽講座の『野宮』の回で松岡心平先生が、「野宮」では斎宮が向かう場所である伊勢の神聖性を、その旅路の途上におかれた野宮にも敷衍させているという趣旨の話をされていたが、この曲のごく最初に出てくることで、この曲の物語の場である野宮のイメージを決定付けている。ここでいう「伊勢」のイメージは、江戸時代の「お伊勢参り」の伊勢ではなく、西行が「なにごとのおはしますかはしらねども かたじけなさになみだこぼるる」と詠った伊勢なのだ。

ワキの僧がワキ座に付くと、ゆっくりした、寂寥感のある囃子が演奏される。大鼓の音も鋭い音ではなく、どこか柔らかさのある音で、品があり清らな女性が現れることが予感させられる。現れた女性(観世清和師)は、実は六条御息所の霊なのだけど、幼さを残す、清楚で寂しそうな面立ちで、少し驚いてしまった。私のイメージする御息所は、もっと大人で、ガラスのような神経を持つエレガントな女性だったのだ。お家元が以前、能楽講座の『野宮』の回で話されていた話によれば、面は節木増だという。それでも、まるで源氏物語絵巻から出てきたような優美な姿だった。紫式部自身は御息所をどんなイメージの人ととらえていたのだろう。このような儚げな女性が怨霊となって葵上に取り憑いたと思うと、彼女の苦しみに同情したくなる。

里女は白、紅、焦げ茶の段替の唐織という出立で、左手に榊を持っている。唐織には柴垣や秋草の文様があしらってある。

女は常座で[次第]の、
「花に馴れ来しののみやの 花に馴れ来し野の宮の あきより後はいかならん」
を謡うと、もの寂しい秋の夕暮れ、心が他の女性に離れていってしまった光源氏と、世の常で容貌の衰えてしまった自分のことを考えると、心が砕けるようである、とひとりごつ。そして、あきらめきれず、源氏を忍んでこの世に戻り野宮に現れてしまう自分の未練を嘆くのだった。

女は[上ゲ歌]で「野宮の 森の木枯らし秋ふけて 森の木枯らし秋ふけて 身に染む色の消えかへり」と詠うが、この部分は、能楽講座での松岡先生のお話によれば、定家の、
「消えわびぬうつろふ人の秋の色に 身を木枯らしの森の下露」(新古今・1320)
を踏まえているという。私に飽きて心が移ってしまったあの人に、私は身を焦がすほどの焦燥感の末に、流した涙で木枯らしの吹きすさぶ森の下露となって消え入ってしまいそうです、という歌だ。

伊勢物語』の中では東宮の后となった藤原高子を恋い、身を焦がすのは在原業平の方だったけど、『源氏物語』では、六条御息所が源氏の心離れによって恋いわび、身を焦がすことになる。在原業平はその後、芥川で禊ぎをし、傷心を癒すために東下りをすることになるが、彼はまたみやこに帰ってきた。一方、六条御息所の方は、斎宮となる娘に従い伊勢に下向し、みやこに戻ってくることは無かった。紫式部は傷心した女の人の末路は、男の人より哀れだと言いたかったのだろうか。

「野宮」に話を戻すと、僧が女を「なまめきたる」女性だと思って眺めていると、女は僧を見つける。女は「ここはその昔、伊勢の斎宮に立ったお方が潔斎を行う仮屋の野宮です。ご神事をなすところに伊勢太神が忌む出家がいては憚(はばか)りがあるでしょう。」といい、僧にすぐに立ち去るよう促す。

僧はその言葉に動ぜず、女に対して昔の謂われを教えてくれませんかと問う。その詞に誘われるままに、女は、その昔、御息所と後の秋好中宮である娘の斎宮が野宮で潔斎していたところに源氏が現れ、榊の枝を斎垣に差し置いた時のことを語り始める。そして、すっかり変わってしまった自分と対照的に、榊の色だけは昔と変わらないことを嘆く。

女は、
「末枯れの 草葉に荒るる野の宮の」
で、黒木の鳥居の前に座り、源氏を忍ぶかのごとく、鳥居に榊を差し置く。今日は源氏が御息所を訪ねて野宮にやってきた、あの長月七日なのだ。

そして女は[クセ]の中で、御息所が源氏への思いは尽きることが無かったものの、別れを決心して野の宮に分け入ったことを語る。源氏が様々に恋情の言の葉を「鈴鹿川八十瀬渡りて誰(た)が故か夜越えに越えむ妻もあらなくに」(万葉集・3156)を踏まえた「ふりすてて今日は行くとも鈴鹿川 八十瀬の波にぬれぬれず」という歌を詠い、御息所は返歌として「鈴鹿川八十瀬の波にぬれぬれず 伊勢間で誰か思ひおこせむ」を詠った。そして結局、御息所は源氏に恨みを残しつつ伊勢の多気(たけ)に旅立っていったことを語る。

僧はその謂われを聞いて不審に思い、女に名を尋ねると、女は「みやすどころはわれなり」というと、「夕暮れの秋の風の中、森の木の間の夕月夜、影幽(かげかす)かなるこのしたの くろぎの鳥居の二柱に立ち隠れて失せに蹴り」となって、女は消えてしまう。この「森の木の間の夕月夜」のあたりは、新潮日本古典集成の『謡曲集』によれば、

木の間よりもり来る月の影見れば心尽くしの秋は来にけり(古今集・秋上・184)
(木の間からこぼれる月の光を見ると、秋という思い悩む季節がきてしまったことを実感します。)

の歌が下敷きになっているという。


狂言では、アイの所の者が出てきて、そこに見慣れない僧がいるのでそちらに足を向ける。僧は御息所のことを語ってほしいというと、所の者は自分が知っていることを話し出す。

曰く、野宮はいにしえ伊勢の斎宮に立つお方が、仮初めに精進をする場所である。すなわち、その方は、ここで御身を清め、桂の祓いに赴き、伊勢に御下向し、伊勢の斎宮の宮殿である多気宮にお住みになる。

御息所が娘とともに伊勢に御下向したいきさつは、前坊と呼ばれた東宮であった人に先立たれた後、光源氏が御息所をご寵愛され、契りは浅からぬものであったが、その後、御息所は伊勢へ御下向することを決めた。それを聞いた源氏は、御息所が離れていってしまうことはさすがにつらいこととて、今一度、ご対面するために訪れ申すと言って、長月七日に野宮を訪れた。

さすがに御精進屋なので、斎垣の中に入ることは無かったが、源氏は手に榊の枝をとって斎垣のうちに差し置くと、御息所は、
「神垣はしるしの杉もなきものを いかにまがへて折れる榊ぞ」
と、このように詠んだ。源氏の御返歌には、
「少女子(おとめご)があたりと思へば榊葉の 香をなつかしみ求めてこそみれ」
と詠まれ、また帰る時も歌を詠み、源氏は御心強く帰ったという。その後御息所は伊勢に御下向したのだそうだ。

アイの話が終わるとワキの僧は、ことの次第を語る。それを聞いたアイは、僧に、しばらく逗留して回向をするよう進める。


後場は、僧が「片敷くや 森の木陰のこけごろも」で始まる待謡を謡うと、後シテの六条御息所の霊が橋掛リに現れる。

後シテの御息所の霊は、赤味が退色した紫色の長絹に金糸で松や藤・蒲公英などが刺繍されたもの、緋の大口という出立。その長絹のせいか、面は意外にりんとした表情にも見えた。

御息所は、車争いのことを語り出す。かつて賀茂祭にお忍びで源氏の晴れ姿を見に行った時、所狭きまでに立ち並んだ網代車の中に、葵上の物見車が来ると、御息所の車はお供の女房の乗る牛車のひとだまいの奥にまで押しやられてしまった。そのとき、御息所はいやというほど「身の程ぞ思ひ知られたる」と感じた。そして小車の車輪は巡る輪廻と重なり、その妄執の輪廻から逃れることが出来ない。御息所は僧に助けを求めて下居して合掌すると、[序ノ舞]となる。

憂いを含んだ[序ノ舞]の後、小柴垣の黒木の鳥居ところまで行き、逡巡しつつも「たれまつむしの音はりんりんとして風茫々たる 野の宮の夜もすがら なつかしや」、強い風の音と松虫の音の混じる野宮の鳥居で御息所は心弱く涙ぐんでしまう。

[破ノ舞]で妄執に駆られ輪廻を巡るように揺れる心を表現した後、合掌をする。この合掌が「合掌留」の小書なのだと思う。能楽講座で「合掌留」の合掌を、お家元は「うその合掌」と習ったと仰っていて、そのときはその意味がピンと来なかった。しかし、実際に観てみると、確かに御息所は解脱を強く求めて、まるで回る輪廻の小車のように何度も源氏への恋心を絶とうとしながらも、その恋慕の情を捨てることが出来ないでいる。だから「うその合掌」なのだと思った。そして鳥居にすがりつつも、足を鳥居の外に踏み出すという非常に印象的な型をする。それは、伊勢に向かう身でありながら、源氏が差し出した榊を受け入れてしまった御息所の心を表現しているのかもしれない。

そして御息所の霊は車に乗って「火宅の門をや出でぬらん 火宅の門を」で終曲となる。最後は「火宅の門を」と尻切れトンボに終わり、「葵上」が「火宅の門を出でぬらん」で終わるのとは対照的だ。


同じ御息所を主題とした世阿弥改作の「葵上」が一種の鬼の能であるとすれば、禅竹の「野宮」は『源氏物語』の世界の心象風景を「もののあはれ」という観点から描き出そうとする作品だと思った。今まで六条御息所のことは共感する手がかりが全く無い気がしていたけれども、「野宮」で少し御息所という人のことが分かってきた気がする。