世田谷パブリックシアター 杉本文楽

『杉本文楽 曾根崎心中付り観音廻り』
2014年03月20日(木)〜2014年03月23日(日)
世田谷パブリックシアター
[原作] 近松門左衛門『曾根崎心中付り観音廻り』(岩波書店『新日本古典文學大系』より改訂)
[構成・演出・美術・映像] 杉本博司
[作曲・演出] 鶴澤清治
[振付] 山村若
[映像] 束芋
[出演] 鶴澤清治/豊竹嶋大夫/桐竹勘十郎/ほか
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2014/03/post_353.html

震災の影響で延期となった初演は観ていないため、今回初めて拝見しました。現代的なアーティスティックな舞台空間の向こうに古い近松の時代の人形浄瑠璃の面影を映し出すような、幻想的な劇空間でした。


プロローグ

暗転して舞台も客席も真っ暗な中、読経の声がぼんやりと聞こえる。読経の声が止むとスポットライトが舞台を照らし、暗闇の中の舞台中央に三味線をかかえた清治師匠が一人、浮かび上がる。清治師匠の弾く三味線はどこか懐かしい旋律だけど普段聞く義太夫とはまた少し違ったもの。義太夫の語りの代わりに笛の音と絡みつつ、雄弁な三味線は悲しい物語の始まりを告げ、消えていく。再び読経の声がどこからともなく聞こえてくるが、それもまた闇の中に消えてしまう。

そもそもは、この後の「観音廻り」自体がプロローグの役割を果たしているものと思うが、敢えて清治師匠の三味線ソロのプロローグを付けたことの意味は何だろう?(もちろん清治師匠のファンは三味線ソロを聴けて嬉しいのではあるが、それはさておき)文楽を初めて観る人にとっては、この義太夫という音曲を特徴づける三味線という楽器の音色やそれが奏でる音楽を聴くことによって、文楽の世界を端的に知るのに役立つかもしれない。

そして、このプロローグが入ったことで、オリジナルの『曾根崎心中』の段の構成が「道行」「語り」「語り」「道行」という「道行」が物語を挟むシンメトリーな形式になっていることに気がついた。「道行」の特徴は美辞麗句に彩られた美しい詞章に地名を織り込みつつ、メロディアスな三味線に乗せて歌うように語られることだ。『曾根崎』のオリジナルは、「生玉社の段」「天満屋の段」の物語を、二つの音楽的色彩の強い「道行」で挟んでいる。近松は「曾根崎」を時代物のような物語世界の面白さを全面に出すものとは扱いを変え、音曲的側面を強調することで、もっと情緒的な情感の部分を揺さぶるものを目指したということなのかもしれない。


観音廻り

暗闇に再びスポットライトが当たって床が浮かび上がり、呂勢さんと藤蔵さん、清馗さんの観音廻りが始まる。自分が想像していたよりずっと速いテンポだった。近松の時代はどんなテンポで演奏されていたのだろう?全くの想像だけど、私自身はゆっくりとした曲だったのではないかという気がする。なぜならこの「観音廻り」では単にお寺の名前を列挙するだけではなく、なかなか味わい深い詞章がついているので語りがいもあるだろうし、また聴く方も味わって聴きたいと思ったのではないだろうかと思うからだ。また、大阪の観音寺の名前が次々と出てくるが、きっと当時の大坂の人々は、馴染みのあるお寺の名前一つ一つを楽しく聴いたのではないかと思う。実際、口ずさめるくらいに何度も読んで、心の中で詞章を思い出しながら大阪でお寺めぐりをしたらとても楽しいのではないかと思う。私はここに出てくるお寺では多分天王寺の六時堂ぐらいしか行ったことは無いので、六時堂が出てくるところを聴き逃すまいと、ちょっとドキドキしてしまった。六時堂のところは何とか聴き逃さずに済んだけど、まるで新幹線で通り過ぎるような語りに、六時堂は目の前に立ち現れるや否や、ビュンと後方に飛んでいってしまった。

しかしあれだけ速いテンポで演奏されるのも一理あるとは思う。結局、味わい深い詞章とはいっても、当時の人であれば常識レベルとして理解できても、今の時代では謡曲などを聴きなれているか古典に詳しくないかぎり、その意味を深く味わいたいと思う人はごく少数だろう。また、数多くの大阪のお寺の名前が出てくるが、大阪の地理に詳しくなければお寺の名前を羅列されても退屈なだけだろう。

音楽的には、テンポが速いだけあって密度の濃く、面白いものだった。

一方、勘十郎さんの一人遣いのお初には、目を奪われた。角隠しのような帽子を被り、右手を胸の上に置き、反り返るようにして歩くお初は、よく浮世絵や錦絵などで見る遊女そのままの姿だった。私が知っているいつものお初ちゃんではなかったけれども、初演の時のお初ちゃんはきっとこんなお初ちゃんだったに違いないと思わせられた。

背後には束芋さんのアニメーション。一人遣いのお初という回顧的試みをする正にその場面で、現代美術家のアニメーションが流れるという状況に一体どういうことになるのか興味津々だったけど、暗闇の中に白黒の動画が流れ、意外にも期待したほどの違和感は感じず。せっかく束芋さんをフィーチャーするなら、もっとお初ちゃんの存在が薄くなるぐらいの衝撃的な映像にするとか、お初ちゃんとのインタラクティブな関わりとかがあるとかいう試みがあってでも良かったかも…。まあ、あくまで作品世界を壊さない範囲で現代アートもとり混ぜてアーティスティックな雰囲気を出しましょう、ということだったのかな。


生玉社の段、天満屋の段

観音廻りが終わると、暗闇の中に舞台天井から白木の鳥居が降りてくる。この鳥居をくぐって徳兵衛が登場する。聞きなれている浄瑠璃とは旋律も詞章も違うので不思議な感じ。逆に言えば、今まで本でしか読んだことのない言葉に音程がついていて語られるのは、素朴に楽しい気分。

人形と白木の鳥居以外には一切無い暗闇の空間で徳兵衛とお初が語り合い、九平次が現れる。やぼったさがその魅力の一つでもある文楽をミニマルな舞台空間で観るのは面はゆいような気もするが、興味深くもある。

以前、狂言方野村萬斎師、笛方一噌幸弘師、大鼓方亀井広忠師が主催していた「能楽現在形」で「安達原」を観た時のことを思い出した。「能楽現在形」では「安達原」という曲に現代の舞台で使用される音響や照明、大道具が使用され、お能では想像で補うしかなかった「安達原」の世界を目に見える形で補完した舞台となっていた。初めてお能を観る人にとっては、想像力の不足を補ってくれる舞台だっただろうと思う。そしてお能を見慣れた人間にとっても、自分の想像と同じ世界が広がる舞台を観て、演じる側と観る側が同じ認識であったことを改めて確認することができた新鮮な体験だった。

杉本文楽では、「能楽現在形」とは逆に、いつもの舞台から沢山のものをそぎ落とすことで、文楽の間口を文楽ファン以外にも広げる役割をしているとしたら、それは興味深いことだ。そして、そのような形でも文楽の魅力が失われないということは新鮮な驚きでもあった。むしろ、人形と素朴な道具だけの舞台を観て、きっと近松の時代の舞台も素朴な舞台装置と人形しかない舞台だったのではないかという気もした。普段の文楽とはかけ離れたものなのに、それでもまだ根元的な魅力を放っているその舞台を観て、文楽の魅力の奥深さを見た気がした。

疑問もあった。九平次の首が普段の首よりかっこいい首に変わっていたが、どういう効果をねらったものだったのだろう。私にはちょっと想像がつかなかった。お初は九平次がかっこよかろうと悪かろうと、彼女の行動に何ら違いは生まれないだろう。九平次自身はどうだろうか。いつもの九平次の首(陀羅助)なら、「生玉社の段」で「雛男」と呼ばれる徳兵衛に恨みを持つこともあるかもしれないというような想像ができる。けれども九平次がかっこよくなってしまうと、なぜ九平次が徳兵衛を陥れようとしたのかよくわからない。杉本文楽のサイトにあるプロダクション・ノートには、新たに制作した九平次の首について、「徳兵衛と兄弟同然の友人関係にある九平次は、徳兵衛同様にちょっといい男に違いない」「徳兵衛への非道な振舞いは、あるいはお初への恋のさや当てなのかもしれません」とある。確かにそうかもしれないけれども、九平次の一連の行動の裏には、お初に対する恋というよりは(それも少しはあるかもしれないけど)、徳兵衛に対する劣等感とその裏返しである憎しみのようなものが透けて見えるように思う。やはり、九平次は容姿を含め、徳兵衛に劣等感を感じ、それが故に卑劣な手段を使って彼を陥れることになったのではないだろうか。

また、床のテンポが速かったことに、少し違和感を感じてしまった。多分、あの時間内に原文の詞章を納めるためにはあのくらいのスピードで語らなければならないのかもしれないけれども、詞章の世界に入り込み、登場人物に共感するには少し速すぎるスピードであった気もする。松之輔作曲の現行の『曾根崎心中』に大胆な改変があるのは、結局のところ、現代の観客の要請に合う時間内に納めるためには、近松の原文通りに演奏することは出来ないという認識が出発点になっているのではないだろうかという気がした。しかし、普段、文楽を観たことのない人は、そうは感じないのかもしれない。というか、そもそも普段文楽を聴いたことのない人はどのくらい聴き取れるのだろうか。


お初徳兵衛 道行

清介さん、籐蔵さん、清志郎さんのトレモロで始まる道行。途中、文楽以外の音曲から取り入られた部分(「どうで女房にや持ちやさんまい。」〜「放ちはやらじ」)で、文楽以外の曲調が取り入れていたり、謡ガカリ風のところがあったり、最後は読誦のような語り方で終わったりと、聴き所も多い曲。の道行だけは、いつもの文楽らしいテンポで、文楽の世界に浸ることが出来た。

この道行で圧巻な場面は、徳兵衛がお初を刺そうとして何度も失敗し、やっと刺されたお初が苦しむ最期の場面。以前、近松の詞章を読んだ時には、残酷で舞台で表現されたらきっと直視できない場面だろうと思った。しかし、実際に観てみると、徳兵衛がお初を刺すことが出来ないのは、お初をあまりに可愛く思うが故に刺すことが出来ないからで、徳兵衛の天満屋の縁の下でお初の足を抱く場面とともに、徳兵衛のお初への愛の深さを感じさせる場面だった。また、お初が苦しむのも二人の凶器のような愛情を表すようで、心を揺さぶるものがあった。

詞章の最後は「誰が告ぐるとは曾根崎の森の下風音に聞こえ、取伝え貴賤群衆の廻向の種。未来成仏疑ひなき恋の。手本となりにけり」と締めくくられる。

私は以前は、近松はこう書きながらも本当はそう思ってはいないのではないか、もっと二人は突き放して書いているのではないかと思っていた。しかし、今回、杉本文楽を観る前に近松の原文を一読してみて、考えが少し変わってしまった。

道行の詞章の中には、徳兵衛の「潔(いさぎよ)う死ぬまいか 世に類なき死に様の。手本とならん」という言葉がある。古典の中で、死に様を見せるという言葉がでてくるのは圧倒的に武士の世界だ。大勢の敵に囲まれ、死を選ぶしかない場合、多くの人々は敵から身を隠してひっそりと自害しようとする。しかし、一握りの勇気ある武士達は、自分を取り囲む敵に向かって、「日本一の剛の者の死に様を見せん」などと言い放って、壮絶な最期を遂げるのだ。
徳兵衛の発言は、まるで大勢の敵に囲まれて死を選ぶ以外の道を無くした武士のようだ。最後の最後に徳兵衛は日本一の剛の者のような心で、心中を全うしようとし、近松はその徳兵衛とお初の心中を描ききった後に、曲の最後を「恋の手本となりにけり」と締めくくったのだ。

道行の詞章の中には「今年の心中よしあしの。言の葉草や茂るらん。聞くに心も呉羽織 綾なや昨日今日までも。よそに言ひしが明日よりは我も噂の数に入。世に歌われん 歌はゞ歌へ」という詞章もある。ここから分かることは、おそらくお初徳兵衛が初めて心中をしたわけではなく、当時の大坂では心中をするカップルが年に何組もあり、それがスキャンダルとして話題となり、『染模様妹背門松』に出てくるお染久松の歌祭文のように語り物や歌い物のようなものとなって人の興味をひき、流行ったりしたのかもしれない。

そして近松はそんな年に何度もある心中の中から、お初徳兵衛の心中に流行り廃りを越えた人々の心を捉えて放さない何かを見出し、心中物の決定版として浄瑠璃に仕立てようと考えたのかもしれない。それでは、一体、この心中の何が人々の心を捉えるのだろうか?私にはまだよく分からないけれども、少なくとも、一度、伝承が途絶したこの『曾根崎心中』が復曲され、歌舞伎でも文楽でも大人気となり、さらに今回、杉本文楽として再度、命を吹き返すこととなったのは、やはりお初徳兵衛が、何か人の気持ちを捉えるものがあるからだと思う。