国立文楽劇場 夏休み公演第三部 女殺油地獄(その2)

国立文楽劇場開場30周年記念
夏休み文楽特別公演第3部 【サマーレイトショー】 午後6時開演
近松門左衛門没後290年 女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)
 徳庵堤の段/河内屋内の段
 豊島屋油店の段/同 逮夜の段

女殺油地獄』の感想の続きです。


豊島屋の段

咲師匠の一世一代の豊島屋。そして何と燕三さんが「軽い脳梗塞」とのことで休演され、清志郎さんの代演となった。燕三さん、一日も早いご回復をお祈りしています。

この段の冒頭は、

葺きなれし。年もひさしの。蓬、菖蒲は家ごとに、幡の乙のざわめくは、男持ちの印かや

ではじまる。

端午の節句のために幟(のぼり)を立てたり、そのひさしに蓬や菖蒲を飾ったりという家々の描写は、ほのぼのとした幸せな光景に思える。けれども、端午の節句というのは、昔、中国の楚の屈原という人が讒言により川に身を投げ、その供養として始まったものだという。それに、五月といえば五月闇(さつきやみ)という梅雨の頃の夜の暗さを表す歌詞(うたことば)もあるし、五月の水田に現れるホトトギスは、和歌の世界では、死後の世界にある死出(しで)の山へ導く鳥と言われ、別名、「死出の田長(たおさ)」とも呼ばれる。草木が瑞々しい葉を広げ、美しく生い茂るこの季節は、人々の心の奥深いところでは死の影をと結びついている。近松は、親たちの与兵衛への愛情と、若くて衝動的な与兵衛、理不尽な殺しを、五月という季節の持つ生と死の両面のイメージで結びつけようとしたのかもしれない。

冒頭はお吉が娘たちの髪を梳いてやるところから始まる。徳庵堤の段の出茶屋のお吉の登場場面も、娘と出茶屋でお茶を一服するところから始まった。七左衛門の家は七左衛門以外は母のお吉と娘三人の女家族だ。「女は髪より形より、心の垢を梳き櫛や」という詞からも、心優しい母娘の細やかな日常が伝わり、その後の与兵衛の刹那的で利己的な行動が、一層照らし出される。夫の七左衛門は節句前日も掛け売りの代金の回収に走り回っていて、お吉が夫の留守を守っている。

その様子を外から伺う与兵衛は二升入りの桶に脇差しを持っている。なぜ与兵衛はこのような出立なのだろうか?詞章には「一しやう差さぬ脇差も、今宵鐺(こじり)の分別」となっており、『新編日本古典文学全集 近松門左衛門集?』では、ここの注釈で「脇差狂言自殺をほのめかして、お吉から金を借りようとする算段か」と記されている。殺しの場面の直前に与兵衛は「今になつてこの金の才覚、泣いても笑うても叶わぬこと。自害して死なうと覚悟し、これ懐にこの脇差し差しいて出たけれども」と言っている。このことからも、お吉に対して、「このとおり、油を売って借金の金を整えようとしたが時はすでに夜。このままではこの脇差で自殺するしかございません」などと泣きつくつもりだったのかもしれないと想像される。

今日は節句前日、既に夜も更けている。旧暦の五月の夜は短か夜であることが詞章では強調されている。代金の回収の途中で家に戻った七左衛門も、つい立酒をしてしまうほど気がせいていた。与兵衛も金策に焦っていたことは間違いない。折悪しくも借金相手の口入綿屋の小兵衛が現れる。小兵衛と与兵衛の会話から、観客の私達も親の印で謀判して借りた二百匁が明日の朝には一貫目になってしまい、与兵衛がのっぴきならない状況にあることを知るのだった。

そして、与兵衛が豊島屋の戸口で内の様子を伺おうとしていた正にその時、徳兵衛が現れる。お吉に与兵衛への小遣いを渡してもらおうとお沢が寝入ったのを見計らって来たのだった。徳兵衛は与兵衛が兄の太兵衛のところにいると思っているが、そのうちに豊島屋のお吉のところにも現れることはお見通しなのだ。おそらく河内屋と豊島屋は家族同然といっていいつき合いなのだろう。徳兵衛は与兵衛を諭して家に戻るよう伝えてくれというと、銭三百を出す。

ここだけでも感動的だが、もっと悲しいのは母親のお沢だ。「河内屋の段」では、与兵衛に強く出られない徳兵衛に代わって養父以上に手強い態度で与兵衛を追い出した。けれども、豊島屋に訪れたお沢は、徳兵衛よりも多い銭五百を持ち、さらに節句の粽(ちまき)一把まで持ってきていたのだ。彼女の持ち出したお金の多さは愛情の大きさの現れとも言えるかもしれない。けれどもそれ以上に胸を締め付けられるのは、一緒に粽も持ってきたお沢の心の内だ。誰かの好物をその人のために手作りするというのは、言葉以前の素朴で深い愛情の現れではないだろうか。彼女の与兵衛への愛情は、お金などではとても換算できないものなのだ。お沢は節句の「身祝いをしてやりたさ」というが、端午の節句男児のための節句だ。すでに成人した与兵衛ではあるけれども、母にとってはまだまだ小さな子供同然なのだろう。

ところで、親たちがお吉に託した銭八百とはどのくらいのお金だったのだろう。『新編日本古典文学全集 近松門左衛門集?』の冒頭にある「古典への招待」には、

上演の年享保六年も相場の記録がないので、酒一石を元年の三百二十八匁三分と十一年の百五匁の中間をとり二百匁として計算すると、二十万円。たった二十万円で殺人事件が起きたことになる。

とある。また劇場でいただいた神宗さん作成のリーフレットによれば、親たちの出した銭八百は与兵衛の借金の約二十四分の一とある。この二つの基準をそのまま一緒に使って問題ないのかよく分からないけれども、とりあえず、仮に与兵衛の借金が現在のお金で約二十万円であり、親たちの出した小遣いが二十万円の二十四分の一だとしたら、親たちの出した小遣いは、計算上は約8,300円、つまり、一万円前後ということになる。だとすれば、与兵衛の「これが親たちの合力か」という詞や「肝心のお慈悲の銭が足らぬ」という詞の意味も、実感を伴って分かってくる気がする。

質素な暮らしを営む親たちの市井の商人としての慎ましい金銭感覚や、与兵衛をいつまでも子供と思う気持ちの現れである銭八百。それに引き替え、親たちの想像の範囲を越えた放蕩にのめり込み、謀判した上に明らかに不利な条件で、借金せざるを得ないところまで追い込まれた与兵衛。

両親の帰る姿を見送った与兵衛は「心一つにうち頷き、脇差抜いて懐に」仕舞う。私は今迄ここの部分は、与兵衛が最初からお吉からお金を借りられなかったら彼女を殺す算段で、あやしまれないよう懐に脇差をしまうのではないかという気もするし、改心したようにも思えるし、どちらなんだろうと思っていた。けれども今回、この部分を観て、語りにも人形にも与兵衛の決心が感じられ、与兵衛は、親たちの自分に対する深い思いを感じ取って改心する決心をしたから「心ひとつにうち頷き」、狂言自殺をしてみせるという計画を撤回するため「脇差抜いて懐に」仕舞い、場合によってはお吉に本当のことを告白してお金を借りようとしたのだろうと思った。

与兵衛は親たちにかけた心痛を受け止め、「真人間になる」とお吉に決意表明して、借金を願い出る。しかしながら、結局のところ、その決意は遅すぎた。いったん借金を断られた与兵衛は動揺し、「不義になつて貸して下され」などと妄言を口走る。借金の金額や謀判したこと、今夜限りに借りていて明日になれば一貫目になること、このことは明日になれば先方が訴え出て周知の話になってしまうことなど、二百匁が必要な理由をありのままに話した上で再度借金を願う。「ピーターと狼」のピーターのように、与兵衛は自分がいままでさんざん人を騙っていい気になっていた過去を忘れて、真実を告げることで起死回生のチャンスにかけたのだ。

お吉はその詞をどう受け取るか迷ったものの、過去の彼の行状から疑がわしい話だと判断し、「フウヽまが/\しいあの嘘わいの。まだ尾鰭付けて言はしやんせ。ならぬと言うてはきつうならぬ」と、借金を断る。与兵衛の尾鰭付けて騙(かた)ってきた過去が仇となったのだ。

与兵衛は「ハア、なんとせう。借りますまい」というと、「心の一分別」となる。この「一分別」は『新編日本古典文学全集 近松門左衛門集?』の注釈には殺しの決心と書いてある。

多分、彼はそれまでお吉を殺すことまでは考えていなかったのではないか、という気がする。銀二百匁がもし現在の約二十万円の価値しかないなら、いくら刹那的な与兵衛でも、お吉を殺し殺人の重罪を負うには割に合わない金額と思うのではないだろうか。仮に殺人をしてお金を盗もうと考えたにしても、それならばすぐに身元が割れてしまうような家族同然の家に押し入らず、他の家に押し入るのではないだろうか。それに、豊島屋での親たちの心情の吐露を聞くまでは、与兵衛は心のどこかで、「仮に借金を返済できず、謀判がばれ、徳兵衛が窮地に陥ってもそれはそれ」という考えがあったのではないかという気がする。彼は「河内屋の段」で「叔父が銀三貫目余り手をつけた」という、よくぞまあとあきれたくなるような口から出任せの作り話をして、徳兵衛からお金をだまし取ろうとしていた。そのことを思えば、いくら狂言を演じてみても真に受けず、お金を出そうとしない腹立たしい徳兵衛への、一種の復讐とさえ思った可能性も無くはないように思う。しかし、因果応報というべきか、豊島屋で影ながら親たちの心痛を聞いた与兵衛は、これまで打てども打てども響かなかったなけなしの良心を、最悪のタイミング、最悪のシチュエーションで発動してしまった。今夜限りで借りた二百匁は、彼の中で、「親を守るために、どうしても用意しなければならないお金」に変わってしまったのだ。彼の心に思い浮かぶ唯一の方法は、お吉を殺めて豊島屋の上銀を奪うしかない状況だ。そうして、与兵衛が狂言自殺のために持ち込んだ二升の油の桶と脇差は、お吉殺しの道具と変わったのだと思う。

心優しいお吉は油を桶に注ぎながら、なおも与兵衛に「祝うて節句もお仕舞ひなされ。こちの人ともわり入つて相談。ある金なれば役に立てまいものでなし」と、助け舟を出す。けれども、節句当日になれば謀判が明らかとなり、親に一貫目の借金を負わる立場になってしまう。与兵衛にとって、その詞は少しも助け舟にはならない。彼はもう、お吉を殺して棚の中の上銀を奪うことしか考えていない。

刃を振り下ろした与兵衛と逃げるお吉の迫真の攻防は、舞台いっぱいを油で滑り、脇差を振り回し、油の入った大樽を倒し、柄杓を投げつけ、桶を投げつけ、さながら本当の殺しの有様。お吉の、
「アヽ/\、そんなら声立てまい。今死んでは年端もいかぬ三人の子が流浪する。それが可愛い。死にともない。金も入る程持つてござれ、助けて下され与兵衛様」
という詞に、与兵衛は、
「こなたの娘が可愛い程、おれもおれを可愛いがる親仁がいとしい」
と返す。しかし、謀判借金と殺しのどちがら重罪かを考えれば、もう彼の答えは理屈にもなっていないことは明らかだ。与兵衛は、このとき、殺しのために殺しているとしか言いようのない状況に陥っている。多数の傷を負って動くのも難しくなったお吉が、最期に最愛の娘達の眠る蚊帳の方に這って向かう途中で息絶えるのがあまりにも悲しい。

お吉が絶命すると、与兵衛は我に返り、がたがたとふるえながら、一目散に豊島屋を出る。多分、彼はやっと自分のしでかした罪の、とてつもない重さに気づいたのだ。


逮夜の段

お吉が殺されて三十五日の法要の前夜、近所の人が集まり、お吉の死を悼み、七左衛門(文司さん)を慰める。憔悴した七左衛門は遺された娘たちのことを語るが、幼い三姉妹はそれぞれ年相応にお吉の死に衝撃を受けており、遺された家族の無残さに胸が締め付けられる。その時、桁梁を走る鼠が落とした与兵衛の手跡の書付が、七左衛門の手元に舞い落ちる。

これで与兵衛が犯人であるという確信が皆の間に生まれてしまった。皆、与兵衛の普段の行状から、与兵衛ならやりかねないと思っていたのだ。そしてその最悪のタイミング、最悪のシチュエーションに、与兵衛が現れる。

自分が殺したことを悟られまいとして憮然と対応する与兵衛だが、とうとう検非違使別当に捕まってしまう。それに続いて伯父の森右衛門も現れる。森右衛門は原作では「逮夜の段」に当たる「豊島屋の場」の前の「北の新地の場」で遊女の松風や小菊のところを与兵衛を追って与兵衛を探し歩く。彼は与兵衛をどうにか逃がそうと、方々探しまわっていたのだ。与兵衛が殺しの当日に着ていた着付に酒を注ぐと血痕が現れる(初演当時、流行っていたトリックだとか)。与兵衛が犯人であることに極まった。

そこで与兵衛は、大音声で新銀一貫目の借金が親にのしかかる「不孝の科、もったいなし」と思うが故にお吉を殺したと告白する。

彼は、

思えば二十年来の不孝無法の悪業が、魔王となって与兵衛が一心の目を眩(くら)まし、お吉殿殺し、金を取りしは、河内屋与兵衛、仇も敵も一つの悲願、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

と語る。

あの与兵衛がこんな殊勝なことを言うのは不自然な気もするが、江戸時代の観客にとっては、勧善懲悪で大悪人も最後には仏のご慈悲により悟りを開くというような結末でないと、とても受け入れられないだろうと、近松は考えたのかもしれない。


咲師匠の豊島屋の段は素晴らしかったですが、一世一代というのは少しもったいない気も。清志郎さんの三味線は緊張感のある、気迫のこもった演奏でした。