文楽[国立劇場小劇場 文楽9月公演2部

9月文楽公演<第二部>4時開演
近江源氏先陣館 和田兵衛上使の段 盛綱陣屋の段
日高川入相花王 渡し場の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2014/26-9.htm

第一部の『双蝶々曲輪日記』と第三部の『不破留寿之太夫』に挟まれつつも、大満足の第二部でした。


近江源氏先陣館

期待していた以上に面白かった。多分、物語そのものは9月公演の演目の中では「盛綱陣屋」が一番文楽らしくて、面白かったかも。また、今まで自分で分かってなかったことが演じられているのを観て腑に落ちるといおうことが今回もあり、そういう時は、本当に楽しい。

今まで腑に落ちなかったところというのは、何故、盛綱は「思案の扇からりと捨て」の後、自分で直接、小四郎に自害するよう諭さずに、母微妙に頼むのか、という点だった。どんな理由であれ、戦の当事者は盛綱なのだから、そのような生死にかかわるような重大な内容の説得には、あくまでそのような決断を下した盛綱本人がかかわるべきだし、母親を巻き込むというは良くないのではないか、という気がしていた。


「小四郎恩愛」にあたる部分の冒頭、盛綱は一人、膝に立てた扇に手をついて思案している。今回上演された部分の前の「坂本城の段」で、高綱の子、小四郎は初陣で盛綱の子、小三郎に捕らえられ、捕虜として盛綱の陣屋にいる。「和田兵衛上使の段」では和田兵衛秀盛が盛綱の陣屋に乗り込み、自分の首と引き替えに小四郎を返すよう頼んだ。盛綱はその時、和田兵衛がわざわざ丸腰で盛綱の陣屋に乗り込んで来るという異例中の異例の行動をとってまでして小四郎を取り返そうとしており、さらに今、北条時政に直接訴えに行こうとしている。盛綱は高綱がどれだけ小四郎が捕らえられたことで動揺しているかについて、きっと和田兵衛の行動から察したのだろう。和田兵衛は「よき大将」と自認しているほどの大将だけども、おそらく、彼が命の危険をおかしてまで小四郎を取り戻さねば話にならないほどに、弟の高綱は自失しているのだと盛綱は思った。

さらに盛綱は、仮に降参せずとも小四郎が人質となっているために弓矢も弱り、刀金も鈍ると考えた。故鶴澤八介さんのサイトにある床本集には今回上演されている段の前段にあたる「坂本城の段」があるが、そこには弟の高綱が出てきて、高綱の人となりが端的に表されている。

坂本城の段」では、盛綱は、北条時政の「何卒高綱を鎌倉方に味方せん」という頼みを受け、合戦前に高綱の坂本城に乗り込む。盛綱は高綱の心底を探りを入れるために京方に投降するので取りなしを頼むと持ちかける。盛綱は兄弟が斬り合いをすることの不毛や二人の母親である微妙が盛綱を頼って盛綱の陣中に来ていることを理由に兄弟融和を訴える。しかし高綱は、そういった兄の申し出を不忠であると激しく拒絶し、高綱の義心が鉄石であることを見せるのだった。そしてこの段によって、高綱という人は武士として忠義を非常に重んじており、たとえ親や兄弟の恩愛であれ、忠義を妨げるものがあれば激烈な拒絶をみせ、返ってその忠心に油を注ぐ結果になるような人なのだということが分かる。

北条時政から兄が寝返るそぶりをしてみたとき、その不忠に激しい拒否反応を示した高綱が今、小四郎のために冷静な判断力を欠く状態になっていると、盛綱は推測した。盛綱はそれは弟高綱のためにあってはならないことだと考えており、そのために小四郎は死ななければならないという結論に至っていた。それが弟が忠義を全うするための道なのだと盛綱は思う。ただし、自分が小四郎に自害するよう説得するのは時政に対する背信だととらえており、そのために母の微妙に説得と小四郎自害の際の介錯を頼む。

なぜ盛綱は敢えて微妙に頼むことにしたのだろう。盛綱と高綱が共に親子の恩愛に惑わされることなく忠義を全うしたとして名を揚げる為には、二人以外の人が小四郎に切腹するよう説得しなければならない。早瀬と篝火はそれぞれ小三郎、小四郎の母親であるため情に流されずに説得するのは難しく、ここは盛綱と高綱の母である微妙こそが唯一、小四郎を説得できる人、と盛綱は考えたのだろう。

私はこれまでは、こんなことを母に頼む盛綱は母に責任を転嫁するようなものではないかと思っていた。けれども今回やっと、盛綱もそんなことは百も承知なのだと納得した。彼は、母を自分で引き取り介抱しているような孝にも厚い人であって、そのような願いが孝の道に背き、母を苦しめることになることは盛綱にとっても苦渋の選択なのだろう。この物語の中では、母に孫に自害させるよう頼むことにより母を苦しめてでも守るべきが、忠義なのだ。

盛綱は微妙の前で、「現在の甥が命、申し宥めて助くるこそ情ともいふべけれ。殺すを却って情とは情なの武士の有様や。」と訴える。武士にとって生死を越えた致命傷は不忠の名を流すことであり、その武士の名を守ること、すなわち忠を全うする方向で考えることが、結果的には名誉を重視する「武士」と呼ばれる人々にとっての本当の意味での「情」であり、その「武士の情」というのは、時に実際の恩愛の情とは相入れない場合があるのだ。自然と心に沸く恩愛の情とは相入れない「武士の情」を全うするのは、盛綱にとっても「胸に盤石こたえるつらさ」なのだ。盛綱はこの言葉を語る時、心の葛藤を振り絞るよう語ってみせると、こらえきれずに扇で涙を隠す。

そして微妙は、盛綱から刀を受け取る時、盛綱の苦悩を引き受ける取るようかのように、盛綱の方に身を乗り出してしっかりと体全体で刀を受け取る。微妙も、盛綱のそういうことを母に頼まざるを得ない苦悩をよく分かっているのだ。

盛綱の叫びに心動かされると共に、詞章に表現されている部分に直接的には表現されていない登場人物の心情こそ、もっとも心動かされる部分だと改めて思った。江戸時代の人々はどうして人の心に自然と宿る情と忠義や世間体といったものとの間で引き裂かれる悲劇を好んで観たのだろう?


この後、高綱の首実検となり、盛綱も予期しなかったことが起こる。盛綱は小四郎に自害させようともくろんだが、結局、小四郎は微妙から逃げ回って成就しなかった。しかし高綱の首実験の場で、小四郎はそろそろと後ろからその場に近づくと衆人環視の中、切腹して周囲を驚かせる。驚いた盛綱に理由を問われると、小四郎は「親子一所に討ち死して、武士の自害の手本を見せる」と言うのだった。

盛綱はその様子を見て、小四郎が初陣で捕えられたのも、和田兵衛が小四郎を取り返しに来たとうそぶくのも、微妙の説得にもかかわらずこれまで小四郎が自害しなかったのも、すべてこの偽首の前で自害して敵の目を欺くための作戦だったと悟る。

この直前に盛綱は弟の高綱と自分が共に忠義を全うできるようにするために小四郎に自害するよう説得しようとしていた。けれども、弟の高綱はもっと壮絶な奇策を用意していたのだ。小四郎はその奇策を盛綱にも微妙にも悟られることなく、ここで見事に完遂してみせる。武士として、情にも厚い盛綱としては、高綱・小四郎親子に敬意を表せざるを得なかったのだろう。時政の表情を横目で伺いながら「矢疵に面体損じたれども、弟佐々木高綱が首、相違御座なく候」と証言する。さらに時政に向かって真実を言っているという意味の、小刀のようなものを叩くという所作もしてみせる。

ここでは「情」というのは何だろうと考えてみたくなる。盛綱が、一度は恩愛の情を捨て小四郎を自害させようとするという冷酷な判断をしてみせたのが「武士の情け」なら、最後に高綱親子の捨て身の奇策に心打たれて自分の忠義を犠牲にして弟の高綱の策略を後押しする証言をしたのも「武士の情け」だろう。

時政に対する不忠に対する義を全うするために盛綱は自害しようとするが、そこに和田兵衛が現れ、ここで自害してはすべてが水の泡と帰すのだから、いつか高綱が現れた時にこそ切腹せよと諭す。この物語はとても悲劇的な結末なのに、どこか救いが感じられるのは、盛綱や和田兵衛に情を感じられるからかもしれない。

人形は盛綱が玉女さん、微妙は文雀師匠、小四郎が玉翔さん(以前された寺子屋の小太郎といい、哀れな子役が上手いのです)で、今日現在の人形陣ならこの配役がベストだよね、という素晴らしさなのでした。床は「和田兵衛上使の段」が咲甫さん・宗助さんと、「盛綱陣屋の段」の千歳さん・富助さんと迫力のある床が続いて時代物って感じでした。ただ、千歳さんの微妙の激しい慟哭が、文雀師匠の武士の妻の品格を崩さない微妙とはちょっとニュアンスが違ってて、私は文雀師匠のファンなので、ちょっぴり残念だったかも。

文雀師匠の微妙を観たら、文雀師匠の関寺小町も観たくなってしまいました。多分、和生さんがやってもすばらしいだろうけど、文雀師匠の関寺小町が、観たい…。


日高川入相花王 渡し場の段

これもまた、文楽らしい演目。華やかな清姫(簑二郎さん)のケレンが楽しい。それにしても、大蛇になった清姫は、このあと一体どうなるんでしょうか…。お能の「道成寺」では一応、法力によって退散させられるけど、「日高川入相花王」の「渡し場の段」も歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」も最後は一面の桜の中、見得をして終わるだけで、どうも退治はされてなさそう。お能は舞台をはける登場人物はかならず自分の身の振り方に落とし前をつけてから橋掛リを去っていくけど、文楽や歌舞伎はそれとは違って、細かいコトはあまり追求しないで、とりあえず華やかな絵面で盛り上がって幕切れにしたいのです!ということなのかも。いろいろ違いがあって面白い。