神奈川県立青少年センター 文楽地方公演(その2)

夜の部
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)  
寺入りの段、寺子屋の段
釣女(つりおんな)(楳茂都陸平 振付)
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/p811343.html

夜の部は寺子屋と釣女。


菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)  
寺入りの段、寺子屋の段

寺子屋」の中で、

梅は飛び桜は桜は枯るゝ世の中に、何とて松のつれなかるらん

という歌がキーワードになっている。

梅は梅王丸が、桜は桜丸が、松は松王丸がそれぞれ掛けられている。「何とて松のつれなかるらん」というのは、教科書的に言えば、「なにゆえ松はつれないのだろう?」という疑問の意味と「なにゆえ松がつれないということがあろうか」という反語の意味の両方を掛けている手法と受け取ることも出来るけれども、こういう歌は、反語の方の意味を伝えるために、作られていると思って間違いないと思う。

しかし、寺小屋の前の段である「天拝山の段」で、三つ子の親、白太夫は管丞相の御歌を聞いて、

ヤイ、梅王、ありがたい今の御歌、この桜に准へその方をお誉め御遊ばし、『桜は枯るゝ世の中』は死んだ倅を御悔み、『つれなかるらん』とある松王めは、時平に追従しておろな

と言う。白太夫は松王の親でありながら、自分自身は管丞相に仕える身であったから、管丞相を思って太宰府まで来た梅王丸や管丞相や斎世の宮が讒言されるきっかけをつくってしまったことを悔いて自害した桜丸のことは理解できても、時平に仕える松王の、管丞相の仇に忠誠を尽くさなければならない苦悩を察することは出来なかった。松王自身もその自らの性格から、その苦悩を白太夫に対して素直に打ち明けることはできず、「佐竹村」では勘当を願い出で、返って白太夫の怒りを買い、勘当されたのだった。

しかしながら、管丞相は、松王の立場をよく分かっていた。管丞相は「筆法伝授」で、源蔵に対して「伝授は伝授、勘当は勘当」として筆法を伝授しつつ、密通の科で主従の縁を切ったり、「丞相名残」で、苅屋姫が父に詫びようと道明寺まで追って来るも面会を拒んだり、「天拝山」では太宰府に流されても「私なき臣が心、帝はしろし召されずとも、天の照覧明かなり」と語ったりしていて、清廉潔白で理を重視する人だということが分かる。だから、松王丸の、讒言した時平に仕える辛さやそれを公に出来ない無念を察することができるのだろう。

管丞相の「梅は飛び」の御歌の直後には、

つれなかるらん松王丸は時平が舎人、枯れし桜は宮が舎人、梅王はわが舎人。花の栄へは安楽寺

と続く。管丞相は、三つ子は三つ子で性根は同一であり、本来は皆、安楽寺に飛んできた飛梅のように管丞相を慕っているが、それぞれの仕える先によって、その身の処し方と運命は大きく違ってしまったのだと言いたかったのだと思う。それを聞いた白太夫と梅王丸にはその意味は通じなかったけれども。

作者達は、この物語の中で、敢えて、三つ子がその仕える先に見合った性根を持った似ても似つかない三つ子であるかのように描いている。そのため、観ている側は、つい三人が全く異なる性格を持っているように感じながら観てしまう。しかし、管丞相に仕える親白太夫と梅王のみならず、桜丸も梅王丸もそれぞれがそれぞれの形で管丞相に忠義を尽くす。作者達は同腹同性の人間でも、その運命によって異なる人生を歩む悲劇を描こうとしているのかもしれない。

松王は、首実験の後、再度、源蔵の住家に現れる時、この歌を吟じながら入ってくる。松王丸は、管丞相だけは自分の立場と苦しみを分かっていてくれていたというしるしの「梅は飛び」の御歌を、この悲劇に際して、唯一の心の拠り所としていたのだと思う。

「梅が飛び」の歌は、実際には「北嵯峨」で御台所の夢に現れることによって松王丸達の知るところとなる。夢ではあるけれども、今のように「夢とはレム睡眠中に脳が勝手に作り出す幻覚」などという概念がない昔は、夢はもっと現実味を持ってとらえられていたと思う。お能は夢幻能というジャンルがメインで、それはワキの夢の中にシテが出てくるというパターンだけど、もしこれが「単なる夢です」という話になれば、夢幻能自体が成立しない。今の人間でもリアルな夢を見るなどして、夢と現実が分かちがたい感覚に陥ることがある。この物語では「梅が飛び」の歌は御台所の夢に出てくるものだけれども、御台所が管丞相を案じるが故に、太宰府での管丞相の様子を夢を通じて見ることになったと考えないと、物語の本質が見えなくなると思う。

松王丸は、小太郎を悼みながら「思い出すは桜丸。御御送らず先立ちし」という。やはり松王丸は三つ子の片割れだからこそ、名付け親の管丞相と主の斎世親王の双方を自分の不注意な行為で讒言の餌食にしてしまったことを悔いて自害した桜丸のことが頭から離れなかったのだと思う。

太夫一家の御恩を受けた管丞相が讒言から流刑されたことによりそれぞれが辿った悲劇は、親にも兄弟にも理解されず、管秀才を守るために自分の息子を失った松王丸の悲劇に集約されると思う。だから、松王丸の寺子屋は三つ子のエピソードの最後に描かれ、最も悲しい物語なのだと感じさせられました。