国立文楽劇場 11月文楽公演

平成26年度(第69回)文化庁芸術祭主催 国立文楽劇場開場30周年記念 11月文楽公演

第2部 午後4時開演
奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)
 朱雀堤の段/環の宮明御殿の段/道行千里の岩田帯/一つ家の段/谷底の段
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2014/11152.html

奥州安達原

名作でした。阿倍貞任・宗任兄弟の朝廷への反逆という側面からみれば、複雑に入り組んだ、仕掛けの多い重厚な物語です。しかし、私にとってはそれ以上に、袖萩や岩手の、「情」というよりもっと深い、女の情念や女であることの哀しさ、そして、それを乗り越える女の強さを感じ、それが非常に心に響いた物語でした。


袖萩祭文の段

前回観た時、文雀師匠が演じた浜夕に感動したことが、強く印象に残っていた。ところが今回は、今まではそれほど好きでもなかった袖萩に感情移入して観ていて、ひどく心が動かされたということに、自分自身が驚いてしまった。

袖萩は、若気の誤りで東国の浪人と名乗る者との間お君が生まれてしまったため、勘当され家出したものの、夫に別れ、さらに内障を患い盲目となってしまっている。彼女は夫との別れを「朱雀堤の段」では「扇の別れ」と表現している。「扇」は、漢の時代の班女が秋になると捨てられる扇のように飽きられて捨てられたことを恨んだという故事から、「男女の別れ」や「飽きられて捨てられた女の人」を象徴するものだ。つまり「扇の別れ」とは夫に捨てられてしまったということなのだろう。

袖萩は、実は平けん仗直方の娘だ。「朱雀堤の段」の最後に八重幡姫が口走る「けん仗様の一大事、アヽ気遣はしや」という詞で、先ほど自分を詮議した武士が父のけん仗であり、父の身の上に難儀が降り懸かっていることを知る。人目みて娘の袖萩だと気づいた父は名乗らずに娘を尋問したが、娘は盲目となり、十一年も離れていたので、声だけでは父と分からなかったのだ。

いても立ってもおれない袖萩は、娘のお君と二人、父のいる環の明御殿を訪ねる。

本当は両親ともに十六で遁走し十一年も行方知れずとなっていた袖萩が、極寒の雪の中、わざわざ訪ねて来たのだから、諸手を挙げて迎え入れたい気持ちであったにちがいない。けれども、袖萩は武士の娘にあらざらんことをして勘当された身である上に、今は非人で盲目という状況だ。そのため、袖萩が三味線と唄に包んで身の詫び言と孫娘のお君のことを伝えるも、けん仗は、
「親が難儀に遭はうが遭ふまいが、女めがいらざる世話、同じ姉妹でも妹の敷妙は八幡殿の北の方と呼ばるゝ手柄、姉めは下郎を夫に持てば、根性までが下司女め」
と、返って袖萩を恥ずかしめるばかり。

袖萩は自分の身から出たことと分かってはいても、耐えられず、
下司下郎とはお情けない。夫も元は筋目ある侍、黒沢左中とは浪人の仮の名、別れた時の夫の文に、筋目も本名も書いてござんす。これ見て給べ」
と、夫の本名が書かれた手紙を渡すが、それが決定的な悲劇をもたらす。

袖萩の夫の名は、鶴殺しの科人、安倍宗任の兄、貞任だった。しかもそれだけではなく、その筆跡は、けん仗が大事に懐にしまっていた環の宮を誘拐したと思われる犯人の手と思われる書状の筆跡と合致していたのだ。すなわち、環の宮を奪った犯人は安倍貞任でその貞任と縁組したのが自分の娘、袖萩ということになる。

環の宮の養育役であったけん仗は宮の行方の詮議の責任を問われており、明日までに宮を救い出せなければ切腹という状況にあった。そのけん仗に対し、義家公は、環の宮守護の落ち度を問われるのは致し方なしとしたものの、娘の敷妙を使者とすることで娘とは縁を切らないことを示した。

そもそも、けん仗は平家の一員であり、源氏の統領の義家公からいつでも両家の縁組を破棄されて当然だ。それでも義家公は、けん仗の落ち度は落ち度、娘との縁組は縁組と理を分けて対応しようとし、その対応にけん仗は感じ入った。それ故、娘が実は安倍貞任の妻となっていたことが分かった今、安倍兄弟と通じていたという嫌疑がかかれば、恩義ある娘婿の義家公まで累が及ぶことになるのだ。

父は動揺を隠して、
「穢らはしいこの状、いよ/\以て逢ふ事ならず」と声を荒げると、書状を袖萩に向けて放り投げ、去っていく。

何という運命のいたずらか、父の難儀を思い、恥を忍んで宮の御殿まで来たことが、返って父を更なる難儀に追いこんでしまったことを、袖萩はまだ知らない。

さらに降り盛る雪に袖萩はとうとう気を失ってしまう。お君がそんな母を気遣い、降りしきる雪の中、自分の単衣を母にかける。襦袢姿で震える娘に気づいた袖萩は、
「親なればこそ子なればこそ、わしが様な不孝な者が何として、そなたの様な孝行な子を持つた、これも因果の中か」
と慟哭し、伏しまろぶ。非人で盲目となった袖萩には、泣いても叫んでも娘一人、助けることが出来ない。自分だけなら身の因果と納得できても、いじらしい娘までも自分の犠牲にしなければならない袖萩は、冷たい雪の中、娘を抱きしめて、悲痛な叫びをあげることしか出来ない。

さっきから娘と孫娘の姿を枝折戸越しに伺っていた浜夕は堪えきれずに、自分の裲襠をひらりと二人に投げ出す。「まゝならぬ世ぢやな。」と武士の家に生まれた不運を嘆き、泣き崩れる。

運命に見放され、女ゆえに何も為し得なず、ただその運命に翻弄されなくてはならない苦しみと哀しみが胸に迫る。

浜夕が去ると、袖萩とお君の前に貞任の弟、宗任が現れる。彼は袖萩に貞任と袖萩の息子、清童のことを問われると、清童は傷寒で亡くなったと答える。そして、
「何かにつけて一家の敵は八幡太郎、こなたも兄貞任の妻ならば、今宵何卒近寄って、直方が首討たれよ」
という。

袖萩は、彼女の悲劇に追い打ちをかけるように清童が亡くなったことを知っただけでなく、今や自分の存在が父を窮地に陥れていることを知る。

袖萩にとっては、とても父を討つことなどできない。単に肉親というだけではなく、あのように実直で義を重んじる父であればこそ、余計にそのような思いは強いだろう。一方、もし父を討たなければ貞任に対する裏切り行為とも言える。袖萩は意を決して自刃した時、思いも寄らず、ものすごく感動してしまった。

以前の私だったら袖萩のように、運命のなすがままに流されるように生きていかなければならない境遇の人物はあまり好きではなかったと思う。けれども、今はなぜか、そういう風に運命に翻弄されざるを得ない人の苦悩に共感して観ている。たぶん、自分が年をとって、そういう境遇におかれた人の気持ちも少しは分かるようになったのかもしれない。

そしてその袖萩が、最後の最後、自刃するという究極の方法で、強い意志を示したということに、深く感銘を受けた。野分の風に煽られ続けているか細い萩の花のごとく思われた袖萩は、自分なりに筋を通そうとしたのだと思う。夫や娘のために非人になり盲目になっても生きようとした袖萩は、今度は、父をこれ以上窮地に陥らせないために、自分の命を絶ったのだ。今までは私は彼女の弱々しさばかり見ていたけれども、芯に強さを秘めた人だったのだ。

作者の近松半二等は、そういう袖萩のためにもう一つの場面を用意している。袖萩が自刃したのと時を同じくして御殿では、父のけん仗が切腹をするのだ。袖萩は、十六の頃に親に背いて家を出たが、やはり、父の精神を受け継いだ、紛れもないけん仗の娘であるということが、二人の自害を通じて知られるのだった。


一つ家の段

袖萩ともう一人、心を揺さぶられたのが岩手だった。

老女の設定というのも興味深かった。

先日、国立能楽堂の普及公演で観世清河寿師の「安達原」の演能があったが(大変おもしろかったので後日メモを書こうと思います)、その時、解説をされた歌人の馬場あき子さんご自身が安達原にある観世寺でお聞きになったという興味深いお話をされていた。お能の「安達原」に出てくる老女は、旅人を家に泊めては殺している鬼で、なぜ旅人を殺しているかはお能の中では語られていない。しかし、安達原にある観世寺の縁起には、その老女を擁護するような伝説が残っているのだという。その老女は元は高貴な家の乳母で、その乳母が大層かわいがっていたお姫様が病を得た。その病を直すためには生き肝が必要で、それで老女は安達原に移り住み、人を殺しては生き肝を得ていたのだとされているのだとか。

その話を聞いて、「まるで『奥州安達原』の話ではないか」と思って、Webで観世寺の縁起を調べると、その老女の名は岩手といい、ある日、生駒之助と恋衣という夫婦が岩手の住む一軒家に来るという話になっている。妊婦の生き肝を探していた岩手は恋衣を殺すが、その恋衣は実は岩手が都においてきた娘だったということが、彼女の身につけていたお守から分かる。岩手はその事実に気が狂い、鬼になってしまう、というお話で、およそ『奥州安達原』の「一つ家の段」の通りの筋だ。

浄瑠璃の方が先に出来たのか、縁起を反映して浄瑠璃が出来たのか、ちょっと分からない。けれども、たとえば、中世の頃に成立した伝説の中に、今の台東区浅草の辺りの浅茅ヶ原と呼ばれたところの「石枕伝説」というものがある。荒野の一軒家に住む父母が娘を遊女にしたてて旅人と共寝させては石の枕で殴殺して金品を盗んでいたが、ある日、いつものように石枕で殴殺するとそれは夫婦の悪行を悲しんで旅人の身代わりとなった娘だった、という話だ。「一つ家の段」の骨格となるような類似の説話は、昔から流布していたのだろう。

そういう怪談まがいのグロテスクな話ではあるけれども、私は文楽の岩手が嫌いにはなれない。

彼女は実は安倍貞任宗任兄弟の父、頼時の妻で、夫が八幡太郎に滅ぼされた後、息子達と共に環の宮を擁立し十握(とつか)の御剣を手に入れ、奥州に国家を樹立しようとしていた。その環の宮が口がきけない病だったので、妊婦の生き肝を探していて、計らずしも娘を殺してしまったのだ。岩手は、
「思はず知らず我が娘が君の病の薬となるは手柄者とも果報とも、この上のあるべきか、『オヽ出来しをつた』ととてもなら褒めてやつて殺さうもの、何にも知らず死にをつたが、たつた一つ残念な」
と涙をはらはらと流すものの、決して安達原の伝説の老女のように気が狂ったりしない。正に貞任宗任の母はかくらんという人なのだ。

彼女は最後は、自分達がまたもや八幡太郎にだまされたことを知る。環の宮は実は義家の子で、内通していたと思っていた匣(くしげ)の内侍は義家の末弟、義光だった。岩手はそれを知ると、
「とても叶わぬ我が運命、かヽる方便の有りとも知らず、夫の敵、国の敵、子供に討たしとも思はぬ天罰、たちまち報ふて血を分けし娘を親がなぶり殺し、さぞや苦しかりつらん、地獄畜生餓鬼修羅道、その苦しみを身一つに受けし因果を断ち切って、冥途の旅で言ひ訳せん、娘よ、孫よ、暫く待て」
というと、懐剣をくわえて家の手前にある谷底に真っ逆様に身を投げる。


「袖萩祭文」の袖萩は、非人盲目になり運命に翻弄されながらも、そのか弱さの中に強さ秘めた女性だった。一方の「一つ家」の岩手は、鬼女となってまでして安倍一族の朝廷への反逆と国の再興を果たそうとしたが、それが失敗に終わったことを知り、自害することで自分を罰した。袖萩と岩手という二人の女性の経験した現世での地獄のような苦しみと、自害するという究極の方法で衿持を見せた強さに、心をゆさぶられた「奥州安達原」でした。