文楽劇場 文楽新春公演 第一部(その1)

2015年の文楽の見初めは成人の日の新春公演にしました。
どれもすてきでしたが、「関寺小町」と「封印切」に特に胸を打たれた文楽公演でした。


花競四季寿

四季をそれぞれの季節の曲にのせて表現する景事で、私は大好きな曲。春のお目出度い雰囲気を味わえる「万才」、夏のお能の「松風」を彷彿とさせる「海女」、秋の百歳の小町を描いた「関寺小町」、冬の雪に舞う「鷺娘」。どれも好きだけれども、特に「関寺小町」は、もっとも好きな曲のひとつ。

「関寺小町」では冒頭、暗闇の中、床だけにライトが当たり、太夫の謡ガカリで始まる。古い古い時代の伝説の中での小野小町は、若い頃は帝の后候補にもなったほどの才色兼備の娘だった。しかし、驕慢だったが故に、その後、零落したという。のちに中世に興隆したお能の中では、その歌詠みとしての才が尊ばれたほか、深草少将との恋をテーマとした曲も作られた。文楽の「関寺小町」が謡ガカリで始まるのは、観客にお能の世界の小町のイメージを呼び起こさせるためだろう。

暗闇だった舞台が明るくなると、一面の薄(すすき)野原の中に一人、小町が倒れた卒都婆に腰かけている。以前、東京公演では薄が数カ所にあったが背景は暗闇だったと思う。今回の大阪公演では一面の薄野原であることに、感銘を受けた。

お能の「関寺小町」にも薄は出てくるがイメージとしては逢坂の関の近くの山の中だ。薄野原は、むしろ「通小町」を思い出させる。「通小町」の中の小町は死んだ後、深草少将の妄執が障りとなって成仏できなかった。そのため、小町の亡霊が彼女の髑髏が野ざらしになっていたという京都北部の市原野から、成仏を願って八瀬の里の僧の所に毎日通ってお供え物をしていた。その市原野は一面の薄野原なのだ。

そして、お能で「薄野原に佇む老女」は、もう一つの風景を思い起こさせる。その曲はお能の中でも最奥の曲である「姨捨」だ。「姨捨」の舞台である更科の姨捨山には、その平らかな峰に一面の薄野原が生い茂る。煌々と月に照らされた薄野原の中、旅僧の前に老女の亡霊が現れる。老女は月にその面を晒され「恥ずかしや」と恥じらいつつも、秋の月夜の興にまかせて、袖を翻して、かつて舞った夜遊の舞を舞う。そして老女は若く美しかった自分や恋の思い出を語るうちに、ふと慰めかねる自分の心に気づき(「わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」古今集・詠み人知らず)、自分の中の妄執の心を見るのだ。

姨捨」は小町が主人公ではないけれども、『四季寿』の「関寺小町」には「姨捨」も投影されている。私は小町の姿を見ながら、かつてお能の老女物に関して明治大学教授の土屋恵一郎先生が問題提議した「老体は老人が演じるものなのか」と「老女物は三番目(女性を主人公とした曲)の格で演じるべきでは」という二つの問いを思い出した。

土屋先生は、お能における老体の舞というのは、老人が演じるものということではなく、年齢を重ねて得た自由な境地を抑制された舞の中で表現することだという。そして、老女物というのは、その中に女性、アニマといってよいものが表現されているべきなのだという。

土屋先生の二つの問題提議は、お能をテーマにしたものだけれども、『四季寿』の「関寺小町」を観ている間に、その言葉が思い起こされた。文雀師匠の遣う小町は、お能の老女物に引けをとらない素晴らしい老女だった。その抑制された所作によって、複雑に揺れ動く小町の心が映し出された。そしてその小町の心は、呂勢さんと清治師匠によって、文雀師匠の小町に艶やかさが加えられる。三者の魅力が合わさったその一点に、若い小町と百歳の小町が二重写しになり、小町の生涯を一瞬にして表現された気がした。そして私も小町の心に同化した。

本当に素晴らしい「関寺小町」でした。