保谷こもれびホール 文楽地方公演 昼の部

解説(あらすじを中心に)
曽根崎心中
 生玉社前の段、天満屋の段、天神森の段
義経千本桜
 道行初音旅

秋の地方公演とで配役を変えての公演。本公演に負けない充実した公演でした。

曽根崎心中

和生さんの徳兵衛は初めて観ると思う。なので、これが今回、一番観てみたかった。観てみた和生さんの徳兵衛は、意外にも、ごく普通の人でした。徳兵衛は『冥途の飛脚』の忠兵衛に似て子供っぽい感じに演じられることもあるけど、和生さんの徳兵衛はそんな風でもなく、また玉女さんの徳兵衛のようにお初に狂ってしまった人という感じもない。今回の勘十郎さんのお初が非常に色気のある女性なので、私たちと同じで特別変わったところのない徳兵衛が、お初の恋に巻き込まれ、九平次の陰謀に巻き込まれ、死を選んでしまう、という風に感じた。

ところで、九平次と共に現れる町の衆は、よくある納戸色の縞の着流しを着たツメ人形のときもあった気もするけど、今回みたいに伊達な着流しのツメ人形が現れる時もある。こういう服装だと、九平次達は、いかにもワルの一味って感じに見える。こうなると、徳兵衛の九平次に対する当初の評価、「彼奴も男をみがく奴」という言葉は、『冥途の飛脚』の八兵衛のような「男気のある奴」のことを言っているというよりは、ヤクザまがいの仁義とか任侠の話に近い気がしてくる。そして、喧嘩のシーンには上手(かみて)と下手(しもて)から沸いて出るようにツメ人形が四体、現れる。喧嘩を聞きつけ見物に集まってきたという風情で、どさくさに紛れて一緒に徳兵衛をボコボコにし、喧嘩のカタが付くと、散り散りに去っていく。詞章には明確には描かれていないけど、そこにもさりげなくドラマがあっておもしろい。

それから、勘十郎さんのお初。天満屋では最初キセルを使っているんだけど、途中、徳兵衛の「死ぬる覚 悟が聞きたい」というあたりでキセルを縁側に突き立てると、そのまま地面に落とした。以前お初をされた際にも、そのあたりでキセルを落としていた気がするけれども、今回は、その後、懐紙を懐から出して、「お前も殺すが合点か」とすごんだ後、「しめりしめりていたりける」のところで、懐紙を顔に当てて涙する。

生玉社前は床は、芳穂さんと清志郎さん。お二人ともこの段は初めて聴いた気がする。私は生玉社前は語りも床も大好きなのだけど、こういう(ほんとは悲劇だけど)おもしろい段をやるときは、どんな気分なのでしょう?

天満屋の床は咲師匠。嶋師匠の天満屋は高い調子で語り、まるでお初と徳兵衛は自ら運命をカミソリで切り刻んでしまうみたいに聴こえるけど、咲師匠の天満屋は深く沈んで、淡々と死に向かっていくように聴こえる。お二人の個性の違いが現れておもしろい。


義経千本桜 道行初音旅

秋の地方公演では呂勢さんと清治師匠で 、本当にすばらしかったけど、呂勢さん錦糸さんの初音旅も、とてもおもしろかった。錦糸さんには、もっと景事もやっていただきたいですね。

この曲は春の霞立つ空と麗らかな陽射し、咲きほころぶ桜を思い起こさせる曲調で、大好き。梅が満開で、桜は次よという時節に聴くと、さらに桜に思いを馳せたくなる。

この曲の前が天神森の段で、その対比も面白かった。たぶん、『曽根崎心中』の作曲者の松之輔も『千本』道行の作者も 、あふれんばかりの音楽的才能に恵まれた、希代のメロディ・メーカーであることは間違いないと思う。けれども、二つの曲はそれぞれ曲調もぜんぜん違うし、また演奏も、津駒さん・宗助さんの天神森が死に行くお初徳兵衛をせつせつと感情を込めて語っていたのに対し、千本道行はオペラの間奏曲みたいに、『千本』で通底している朝敵となった平家の公達と義経の悲劇を描くという文脈から切り離された曲であり、呂勢さん・錦糸さん共に 情緒性よりは音楽性に重きをおいた演奏だ。

とにかく楽しい演奏で、人形の方の静御前(一輔さん)、忠信(幸助さん)も素敵で、大いに楽しみました。