保谷道行

千本道行で気分が高揚したせいで、会場でそのままじっと夜の部を待つ気にもなれず、会場近辺をふらふらと散策しました。というのも会場に来る時に、いくつか気になっていた梅の木があって、それを近くまで行って見てみたかったので。

来る時には気が付かなかったけど、保谷は主要な道路をちょっと入ると、昔の生活の面影を未だ色濃く残しているようです。住宅街にぽつんと小さな商店街があります。たとえ ば、八百屋さんがあって、そこには近くの畑でとれたと思われる野菜があったり(普通の流通ルートを通ったにしては安すぎる!)、いかにも手作りの干し柿が売っていたり。ほかにも何故か小さな焼鳥屋さんが数件、それから、庭を飾る花が沢山揃った植木屋さん。

そのすぐ近くには畑があって、白梅や薄桃色の梅の巨木が見えます。近づいてみると、誰もいない畑の側道に三毛猫が一匹、眠そうに座り込んでいて、その光景を梅の巨木が 静かに見守っています。通りに戻って歩いていると、梅の木がしばしば家々の庭に見つかります。その様子は、昔の和歌によく詠われる「軒端の梅」という言葉を思い起こさせます。あるいは、管丞相の物語を観るのにぴったりの季節であることを思い出させます。

さらに歩いていくと、「天神山」というバス停を見つけました。昼の部の曾根崎心中では「天神森の段」があったし、夜の部は『菅原伝授手習鑑』だし、小さなセレンディピティです。保谷に来る前にホールまでの行き方を調べていた時、「天神山行き」というバスを見つけたので、気にはなっていたのですが。

このバス停は、終点となっている割には、近くにバスの操車場があるわけでもなく、何か行き止まりとか目的地となるような場所があるわけでもなく、道の途中にぽつねんとバス停があるだけなので、なんだか不思議な感じです。「天神山」といってもそのあたりが高台になっているわけでもなく(近くに 小高くなっているところはあるにはあるけど、ちょっと離れています)、神社もありません。けれども、バスの終点であることを考えると、かつてはこの場所は、地元の人には「村のはずれ」というような感覚があったのかもしれません。この近くに防災井戸を見つけたし、この辺りには川の跡があるらしいので、昔は水神としての天神が祀られていたのかもしれません。どちらにしても、古い土地の記憶を残す昔の地名が残っているのはゆかしいことです。

天神山のバス停の近くに何かの説明プレートを見つけました。見てみると、民族博物館の跡地とあります。この民族博物館というのは、渋沢敬三のアチック・ミューゼアムのことみたいです。かつて読 んだ民俗学者宮本常一の本の中に確かアチック・ミューゼアムの話が出てきてぼんやりと知っていましたが、ここにあったのでした。私にとっては保谷の駅の付近をふらふらと散策する機会はそうそうないので、思わぬ機会に思わぬ場所に巡り会えて、ちょっと感動しました。

そろそろ夜の部の開演時間が近づいてきたので、会場の保谷こもれびホールの方向に戻ります。西の方を見ると、美しい夕陽に照らされた雑木林のシルエットが見 えます。まだ本格的に暗くはなっていないけれども、さっきみた天神森の段の天神森を彷彿とさせます。そういえば、天神森の背景には、いつもソテツのような木が出てきますね。この日もお初の打掛がかかる木はソテツのような木でした。何故でしょう。詞章にはなかったと思いますが、松之輔が『曽根崎心中』を復曲したとき、天神森はあったのでしょうか。そしてそこにソテツはあったのでしょうか。

そんなことを考えながら、道に迷いつつ、夜の部を見るために会場に戻って来ました。