国立文楽劇場 4月文楽公演 第2部(その1)

第2部 午後4時開演
絵本太功記(えほんたいこうき)夕顔棚の段/尼ヶ崎の段
天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)紙屋内の段
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)火の見櫓の段
※16日(木)より第1部と第2部の演目を入替
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2015/4132.html

吉田玉女さん改め二代目吉田玉男襲名記念公演、昼夜入れ替え後の第2部。

そういえば、私が文楽を観始めた2007年の9月には、東京で初代玉男さんの一周忌公演があり、菅原伝授手習鑑の通しが出ました。玉女さん改め二代目玉男さんは今回の襲名で「轉女成男」というキャッチコピーを使われています。仏教では女性が成仏するには一度男性になってから成仏するという「変成男子(へんじょうなんし)」という言葉がありますが、そこからとられたのでしょうか。素敵な言葉です。「轉女成男」した二代目玉男さんが、これからどのように「成男」されていくのか、非常に楽しみです。


絵本太功記(えほんたいこうき)夕顔棚の段/尼ヶ崎の段

絵本太功記の尼崎の段は最近、鑑賞教室などでしょっちゅうかかっている印象があり、ちょっと食傷気味でした。が、今回は夕顔棚の段から尼崎の段を聴くことによって、今まで私自身が汲み取れていなかった物語の面白さの源泉が垣間見えた瞬間があり、浄瑠璃を聴く醍醐味を感じた演目でした。

聡明な光秀には、自分が謀反を起こすことによって、逆賊とされ、一門の人間や家族を犠牲にする可能性が高いことはよく分かっていたと思う。だからこそ、春長の非道な仕打ちにも耐えてきたのだろう。しかし、いじめのような卑劣な仕打ちの段々に加えて、領地を没収、真柴久吉の幕下に下り西国へ下向せよという理不尽な厳命をそのまま聞けば、そのことに不満が噴出している一門の統率がとれなくなる危険がある。義に厚い光秀にとって、このような仕打ちを行う春長達に義を通すには、反逆するしかなかったのだ。そして一門の統領である光秀は、その罪も責めも独りで背負わなければならなくなった。

このような光秀の状況は母さつきにも分かっていたと思うが、さつきは光秀の行動を受け入れず、夕顔棚の段では、京中の千本通りにある屋敷から尼崎の片田舎の、夕顔棚があるようなみすぼらしい一軒家に隠居してしまう。

さつきは、尼崎の段の後では、光秀が旅僧に扮してさつきの隠居する家に来た久吉を殺害しようとしたことを利用して、久吉の身代わりとなって自分が竹槍に刺されてしまう。さつきは苦しい息の下で、光秀を「不孝者とも悪人とも、たとへがたなき人非人」と断罪する。

このように断罪する言葉は気強い母さつきのものであるが、同時に、そのことは実は光秀が内心、葛藤していることでもあるのではないかと思う。母さつきの主張する「どんな場合も主君に不忠を行ってばならない」という考えは、まさに光秀が謀反を起こす直前まで彼の心の中で優勢を占めていた考えだろう。母の言葉は彼の心を最も苛んでいる考えだったのではないかと思う。

だから、母さつきと光秀の葛藤は、光秀の心の中の葛藤でもあるのだ。母さつきが気丈であるのは単に武士の妻だからというだけでなく、光秀の忠義を貫く心と義を貫くためには主君でさえ誅殺する心の、息をもつかせぬせめぎあいを表現しているのだと思う。

そして、彼は決して自分で一歩踏み出してしまった以上、母を誤って殺害し、十次郎を失い、妻の操や初菊の嘆きを聴いても、彼の後悔を表に表すことは出来ず、孤独の中で、この悲劇に耐えなければならなかった。

そういう光秀のことをよくわかっていたのは、やはり母さつきだった。最期に久吉に光秀の罪が万分の一でも亡ぶことを願って自ら久吉の代わりに光秀の引っそぎ槍にかかったと告げる。光秀と鋭く対立するだけでなく、その罪深い光秀を心の底では許し、守ろうとするさつき。さらに彼女はその深い愛情で、尼崎の段の前半の十次郎と初菊に祝言をあげる段取りを整える。

尼崎の段では、自分の謀反によって家族が悲劇に直面するのにじっと堪え忍ぶ光秀、厳しさと優しさを兼ね備えたさつきを軸に、光秀の謀反が引き起こした十次郎、初菊、操の悲劇を描かれる。これを表情豊かでスピード感ある語りと三味線で表現するようになっていて、本当によく出来た段だと、やっと気が付きました。

床は夕顔棚の松香・清友さん、尼崎の呂勢さん・清治師匠、千歳さん・富助さん。個性的な松香さんとそれを支える清友さん、情緒を添える呂勢さん・清治師匠、パワフルな千歳さん・富助さんと、物語の中身と合ったリレーで大変楽しく聴きました。人形は勘十郎さんの光秀に、和生さんのさつき(文雀師匠代役)、勘弥さんの操、幸助さんの十次郎、一輔さんの初菊、文司さんの久吉と、魅力的な配役でした。