根津美術館 燕子花図と紅白梅(その1)

尾形光琳300年忌記念特別展
燕子花と紅白梅
光琳デザインの秘密2015年4月18日(土)〜5月17日(日)
http://www.nezu-muse.or.jp/

ここのところ寝ても覚めても仕事仕事の日々が続いたせいか、朝、目が覚めた時、「どうしても何か美しいものを観て心の底から陶酔したい」という気持ちがふつふつと沸き上がって止みがたく、根津美術館に来てしまいました。

光琳がテーマの展示室は、入るなり、俵屋宗達の「蔦の細道図屏風」があった。

この「蔦の細道図屏風」は、タイトル通り、蔦の這う細道の図ではあるが、実は細道は「描か」れてはいない。代わりに金地に大胆な構図で萌葱色の山を描き、この山のフォルムが細道の輪郭を浮き上がらせるというテクニックが使われている。

その山道には摺絵の蔦の葉が何枚も配置されていて、蔦を表している。その摺絵の濃淡が、潤いを湛えた瑞々しさを表現するようでもあるし、観る者の恍惚とした気分を表しているようにも思える。

いつもはそこで思わずうっとりとして終わりなのだけど、今回は、蔦の細道の絵の上部に描かれた詞書にも心惹かれた。

この詞書は、烏丸光広が揮毫したものだ。『伊勢物語』からの引用で、ちょうど今回、展示会のテーマになっている尾形光琳の「燕子花」に関連した、美濃国八橋での「かきつばた」を読み込んだ歌のエピソードの直後の部分に当たる。

光琳の「燕子花図屏風」の本歌となるエピソードも、宗達の「蔦の細道図屏風」のエピソードも、有名な在原業平東下り段にある。「昔、男ありけり。その男身をえうなきものに思ひなして」で始まるこの段では、業平は藤原高子との恋に破れ、藤原氏が権勢を誇る宮廷での出世の見込みもなく、自ら存在意義の無いものと思いなし、京を去り、東に向かう。

この屏風図に採られた部分は、

行き行きて、駿河の国に至りぬ。宇津の山に至りて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、つた、かへでは茂り、物心ぼそく、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者にあひたり。「かかる道はいかでかいまする」といふを見れば、見し人なり。京にその人御もとにとて、文書きてつく。

 駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり

という個所となる。

蔦の細道という意匠は、それだけでも昔の人にとっては『伊勢物語』の宇津の山を思い浮かべるのがお約束だったろう。しかし、敢えて光広の詞書を付けることによって、歌枕としての宇津の山の蔦の細道の図像が描かれているだけでなく、そこには人生に失望し、新天地を求めてさまよう業平の東下りのアナロジー、もっと言えば、苦境の中を進む人間のアナロジーが重ねられていることが、より強調されている。

人生には、暗く、先のよく見えない険しい細道を、ひとり黙々と歩まなければならない時がある。蔦の細道の主題は、人生の蔦の細道を、ひとり、わき目もふらず黙々と歩いている最中の人、かつて人生の蔦の細道を越えた人に共感を呼び起こす主題なのかもしれない。

烏丸光広が書いた蔦の細道の歌と、宗達のストイックな金と萌葱のみの配色のミニマルなデザインの宗達の図は、私に「黙々と歩け」と訴えかけているように思えた。今までこの蔦の細道図屏風をそんな風に観たことはなかった。私が今、置かれている状況が光となって、蔦の細道図屏風に内包される別の側面を見せてくれた。名画というのは、見る者の気持ち一つで様々な物語を見せてくれるのだと、改めて思ったのでした。