国立劇場小劇場 5月文楽公演 第二部

<第二部>4時開演
 祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)
 金閣寺の段、爪先鼠の段
 桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)
 六角堂の段、帯屋の段、道行朧の桂川
http://www.ntj.jac.go.jp/schedule/kokuritsu_s/2015/5141.html

舞台を東京に移した二代目玉男襲名公演夜の部。

祇園祭礼信仰記

ストーリーに惹き込まれる作品というよりは繊細に作り込まれた世界と趣向を楽しむ作品という感じ。

まず舞台は、誰もが一度は中に入ってみたいと思うであろう、きらっきらの金閣寺。壁面全面に金箔、竹に虎の禅画風大和絵、蒔絵で彩られた調度品、名物裂等の品々にかこまれた、超ゴージャスな空間。松永大膳は当時の戦国大名らしく、これまたきらっきらの装束に身を包み、金閣寺の段の前半は2番も囲碁をしている。さらには、雪舟の孫娘で自らも絵を描くというアート系美女の雪姫に迫っている。

また金閣寺の段の詞章も、多くの浄瑠璃と同様、歌詞(うたことば)や小謡、説話が出てくるだけでなく、囲碁用語が掛け言葉となって出てくきて、囲碁の勝負に本音を掛けながら、会話が二重の意味を帯びて進行していく。この碁の勝負と雪姫との話とが平行して交互に展開し、時には詞が交錯する。目にも耳にも趣向に走る金閣寺の段なのでした。

金閣寺の段の最後、大膳が東吉の才智を試すために、井戸の中に碁笥を投げ入れて、「手を濡らさず碁笥をとれるか」とか無茶振りをする。それに対して東吉は、すかさず金閣寺の金の雨樋を壊して引き外し、近くにある滝の水を井戸に流し入れる。すると、みるみるうちに井戸の水面が上昇し、東吉は難なく手を(あまり)濡らさずに碁笥を井戸から引き上げる。観てる方は、一瞬、「おー、さすが!」ってなるけど、ちょっと考えてみると、十人いたら七、八人は思いつきそうな、わりと平凡なやり方。とゆーか、そんな水量のある滝と雨樋で繋げられるくらい近くに井戸を掘る意味がよく分かんないんですけど?…なーんてツッコミは、ここでは御法度☆ここは大坂のヒーロー、東吉=秀吉が知謀に長けてる印象が大事なのです!このあたり、床がすごい勢いでダイナミックに、がーっと力で押していく感じになるのは、ひょっとして観客にツッコミを考える余地を与えないためかも…?

その後に続く爪先鼠の段もまた、ちょっと斜めから観てみるのも楽しい段。

「祖父、雪舟の手本がないと龍の絵が書けない」と言う雪姫に対して、大膳が龍の手本を示すといって、倶利加羅丸を鞘から抜くと、あら不思議、龍が現れる。

以前、観た時は、龍は鯉のぼり状態に差し金に頭が固定されていたのだが、見た目はひょろひょろと細長かった。なので、印象としては、「…ヘビ?」って感じの、しょぼさが否定できないものだった。

今回は龍を一新。おそらく元の細長いひょろっとしたヘビにしか見えない形状に対する反省が込められたのであろう。黄金に輝く、もっとがっしりした龍が出てきた。しかし残念ながら、差し金の位置がよくなかった。おそらくがっしりとした龍は、従来の鯉のぼり型の差し金では支えられなくなったのではないだろうか。今回の差し金は、ちょうどウナギの蒲焼き風に、龍の横腹に二本、刺さっているのだ。したがって、今度は龍が出てくると、「…ウナギ?」という印象になるという、せっかくの改良がイマイチ利いていない結果になった。いやはや、難しいです。

ついでに、動物つながりでいうと、鼠も新調された気がする。雪姫が雪を足でかき集めて鼠を描く、この段の一番の見所の場面では、雪姫の清十郎さんも、もちろん素敵だったのは言わずもがなだけど、雪姫の足遣いの人の、目にも鮮やかな、雄弁な足捌きに、目を奪われました。ああ、桜の花びらが足で舞い上げる様子はホント、キレイでした。

そして桜の花びらで描かれた鼠がなんと本物の鼠になるのですが、今回の鼠は小型ハムスターって感じに丸々としていていました。従来の鼠は、もうちょっと日本画に出てくるみたいな胴長の鼠だった気がするんだけど。何故だ?

1秒ほどの熟考の末、おそらく、確かに『祇園祭礼信仰記』の当時の一般的な鼠はやせ細っていたかもしれないけど、こと金閣寺の段においては丸々している方が正しいのでは、という結論に達した。というのも、大膳がグルメ三昧だったろうから、金閣寺在住の鼠の栄養状態は良く、結果、丸々としていた…と、小道具を作った人は考証したに違いないという結論に達しました。丸々とした鼠を作った人の、工夫が思い遣られます。私としては細長い日本画風の鼠もかなり捨てがたいけど。

そして今回は東吉が桜の木をよじ登って、究竟頂に慶寿院を救出に行くバージョン。過去のメモを確認したら、2008年1月に文楽劇場で観てました。2008年には既に大阪にまで文楽を観に行っていたのだと気づき、ちょっと自分の文楽へのはまりっぷりが恥ずかしい。

その慶寿院が幽閉されている究竟頂を取り囲む桜の眺めが素晴らしい。私が慶寿院だったら、東吉が救出に来ても、「あと、二、三日、桜が散るまでここにいさせて!」と頼み込みたくなると思う。慶寿院の究竟頂への幽閉と言い、雪姫への極楽責めと言い、大膳って意外におもてなしの達人なのかも!


桂川連理柵 六角堂の段、帯屋の段、道行朧の桂川

今まで長右衛門が心中するという決断に至るところがどうしても納得できなかったのに、今回、初めて腑に落ちるという経験をし、自分的にショックな公演でした。

今までは長右衛門の考えは私には分からないし、賛同できないので、むしろ、このまま一生分からなくて良いと思っていた。

けれども、今回、帯屋の段切で、長右衛門がお半ちゃんの書置を読み桂川で入水しようとしているのを知り、十五年前に一緒に心中しようとした宮川町の芸奴の岸野の名前を口走ったとき、長右衛門が何故、心中を決意したか分かった気がしてショックを受けたのでした。

長右衛門は岸野と心中しようとして桂川に行ったものの、岸野が入水したのに自分は入水できず、そのまま逃げ帰った。彼にとっては、岸野を見殺しにしたことが十五年間、彼の心をむしばんできたのではないだろうか。

お絹とは夫婦になって十年というから、岸野との一件の後、長右衛門はお絹という妻と共にまっとうな人生を築こうとしたのだと思う。岸野がファム・ファタルなら、お絹は生の方向に長右衛門を導く女性だった。実際、彼女は長右衛門が生き延びるために、彼女ができる、ありとあらゆる策を講じた。

けれども、長右衛門は、お半ちゃんの書置を見て、自分は十五年間、岸野から逃げ続けたけれども、結局、逃れきることは不可能だったことを知る。

お半ちゃんと長右衛門の間には、石部の宿屋の一件が無ければ、何事もなかったのだろうか?以前は漠然とそうだと思っていたけれども、今は違う気がする。なぜなら、お半ちゃんは、ずっと長右衛門にあこがれていたのだ。そして長右衛門は、いつしか無意識のうちに、芸奴の岸野の影をお半ちゃんに見いだしていたに違いない。

帯屋の段切で長右衛門が岸野の名前を口走った時、岸野だけを入水させた罪から逃げ回っていた長右衛門がその罪を真に受け止めるには、お半ちゃんと一緒に桂川で入水するしかなかったのだろうと感じた。常識的にも、道徳的にも全く理屈にあわないけれども。


「道行朧の桂川」は、私は道行の中では一番嫌いな曲の部類に入る。あれを弱々しく感傷的にやられると、「長右衛門、良い年して、年端の行かないお半ちゃんと同レベルでおセンチになってるんじゃないっつーの!」と言いたくなって、イラっとする。

今回は藤蔵さん率いる三味線が非常に力強く、グルーヴィで、納得感があった。今回の呂勢さん、咲甫さん、藤蔵さんの道行が、奇妙な喩えではあるけれども、ある種、死へのエネルギーというか、死への肯定感に満ちているものだったからだと思う。というのも、私自身は帯屋の最後に、長右衛門はお半ちゃんと桂川で入水することで、岸野の呪縛から真に解放されることが出来るのだという気がしていたからだと思う。やっとこの道行の良さが分かった気がしました。