国立劇場小劇場 文楽九月公演第二部(その1)

一番興味深かったのは、和生さんの橘姫と勘十郎さんの身分の違い。

和生さんの橘姫は位取りが高く、今回四段目はなかったけれども、明らかに雛鳥よりも位が高く、気品ある姫だった。橘姫は、一見、お三輪ちゃんから求馬を横取りするように見えるけれど、姫戻りの段では官女が求馬のことを「七年物の恋人様か」と言っているし、最終的には求馬と橘姫が祝言をあげるらしいので、所詮、お三輪ちゃんがかなう相手ではないのだということが分かった。

一方の勘十郎さんのお三輪ちゃんは以前観たときよりも、おきゃんで田舎娘な感じがした。前からお三輪ちゃんが一体どういう身分の娘なのか、イマイチ分からなかったが、今回は少し腑に落ちた気がした。というのも、今の感覚からすれば造り酒屋の娘、地酒の酒造メーカーの娘ということになれば、当然、世間的には地元の名士の娘、お嬢様だろう。が、お三輪ちゃんにはおぼこさはあっても、大店の箱入り娘の鷹揚さというのが無く、また、仮に、たとえばお染ちゃんのようにしてしまうと、疑着の相を呈する娘という像から離れてしまう。また井戸替の段で、家主が出てくるが、この家主というのは、お三輪ちゃんの母の対応からして、杉酒屋の店舗の家主ということではないだろうか。お三輪ちゃんの家の杉酒屋は貸し店舗で営業しているということなんだろう。求馬を含め、井戸替で出てくる近所の衆は貸屋に住んでいるらしいので、彼らの家主でもあるのだろう。となると、杉酒屋というのは、貸し店舗で細々と商売を営む酒屋さんということになるのだろうか。

安珍清姫を考えれば、清姫は真砂(まなご)の庄司の娘だから、疑着の相を呈するのに大店の娘じゃいけないということはない。けど、妹背山婦女庭訓では橘姫という第三の登場人物がいて、橘姫と求馬は当時最も勢力を持っていた蘇我入鹿の妹と藤原鎌足の子だ。この二人との対比でお三輪ちゃんの恋が求馬との身分違いの恋という形をとるのであれば、作者としては、お三輪ちゃんをどこにでもいそうな、小さな町の小さな酒屋の娘という役どころにしたいと考えるだろう。

道行恋苧環は、今まで観た中で最高の恋苧環でした。床に太夫が呂勢さん、芳穂さん、靖さん、小住さん、亘さん。三味線に清治師匠、清志郎さん、龍爾さん、清さん、清允さん。私の中では2013年の夏休み公演で聴いた道行が最高だったのですが、さらに進化していて、本当に楽しかった。しかも、舞台上では和生さんの謎めいて麗しい橘姫と、玉男さんの求馬、さらにその間に割って入る勘十郎さんのおきゃんなお三輪ちゃん。私はこの夢のような、たぶん二度と味わうことの出来ない瞬間の時間を止めてくれない神様に非情を感じ、草食動物のように広い視野で床と舞台を両方を視野に納める形の眼を持つに至らなかった人類の進化の過程を呪いました。とゆーか、たぶん、文楽は盆廻しという機構が出来た頃から舞台と床を両方観ることが出来ないという不便をずーっと観客に強い続けていると思うのですが、なぜ、途中で両方観られるようにする画期的な進歩がなかったのか…残念です!

というわけで、その2に続く予定です。