神奈川県立青少年センター 文楽地方公演

【昼の部】

団子売

のっけから清治師匠、呂勢さんがシンの超豪華な団子売。たとえて言うなら、名店の菓子職人が、素朴なお団子をテーマに一流の技を惜しみなく発揮して作った小さな上生菓子、という雰囲気。曲の構成は、最初はおめでたく、その後、ゆったりとした曲調となり、最後は楽しく華やかに、と場面場面の曲調の変化が楽しい曲。その佳作を、床の素晴らしい演奏が、より一層引き立てます。

これを聴くだけでも紅葉坂を上って来た甲斐がありました。素晴らしい景事の演奏を聴くと気持ちが晴れ晴れとします。

人形は玉勢さんと簑紫郎さん。簑紫郎さんの人形が最後、おふくちゃんのお面をしながら、ひょうきんに肩をすぼめる動作を繰り返すのですが、あれがチャーミングで可愛い!

心中天網島 天満紙屋内の段 大和屋の段 道行名残の橋づくし

紙屋内の段の奥は、なんと津駒さんが休演ということで、呂勢さんが代演でした。その後の道行名残の橋づくしも呂勢さんがシンで、昼の部は呂勢さんの奮闘公演でした。何をやっても一定レベル以上の結果を出すことが出来るというのは本当にすごいとしか言いようがないです。

今回の『心中天網島』は紙屋内の場面から始まり、その前の河庄の段でのエピソードがありませんでした。そのため、炬燵で寝込む治兵衛(玉男さん)や、彼が空元気で起請文を書く場面、その後、炬燵で再度寝込む彼の布団をおさんがはがすと涙の滝を流している治兵衛などの場面が利かず、せっかくの治兵衛を遣う玉男さんの演技が生きなくて、ちょっともったいなかったかも。

今回印象的だったのは、舅五左衛門の存在。以前、『心中天網島』を観た時は、治兵衛とおさんに感情移入して観てしまっていたので、五左衛門は一度は上手くいきかけた夫婦仲を引き裂いた冷酷な人という印象を持っていた。けれども今回は、「河庄の段」が無かったが故に、五左衛門という人はおさんのことを心配しているが故のあのような行動をとっていたのだということが分かった。

五左衛門は孫右衛門やおさんの母からの報告を受け、男親として、いったん小春に熱をあげてしまった治兵衛が、このままおさんと元の鞘に収まるはずがないと察したのだ。そうであれば、今後、三人がさらなる修羅場に陥ることは明らかだ。しかも、五右衛門が紙屋に来てみれば、治兵衛は今まさに着飾って小春のところに向かうところ。葛籠や長持の中をみれば、すでにどれもこれも空殻。さらになけなしの衣類は質屋に持ち込もうと風呂敷包みの中。五右衛門が有無をいわさず強引におさんを連れ戻ったのは、親として当然の行動だろう。

治兵衛やおさんと同じ地平の視点で観れば、思いもよらない冷酷な行動をとった父だ。一方、この場面を一歩引いて観れば、五右衛門は男親として当然のことをしている。そう考えたとき、近松は、個々の登場人物を描くだけでなく、登場人物達から一定の距離をとって、人物同士の静的な関係性や動的な相互作用を描くことに腐心したのではないかという気がした。

そういう近松にとっては物語の登場人物は人格者でなくてもいいのだと思う。たとえば治兵衛といい、忠兵衛といい、徳兵衛といい、どこにでもいそうな、けれども没個性的ではない、いかにも実在しそうな個性を持ちあわせた人物だ。そいういう人物が他者との関係性や相互作用の中で見せる顔や行動がどのような過程を辿っていくかということを、丹念に描くことに文学的意義を見いだしていたのではないだろうか。まるで科学者がケージの中のラットにある刺激を与え、その行動を記録することでその刺激の作用メカニズムを明らかにしていくように、彼は物語を書いたのではないだろうか。

それはお能とも説経節とも幸若舞とも違う視点から描いた物語を作るということだ。彼が一時身をおいていた役者中心の歌舞伎では十分に表現することが難しい、人形芝居でしか表現できない、新たな文学的境地だったのだと思う。

心中天網島』は、初演当時、特に大ヒットわけではないようだ。だが、長い年月かけて浄瑠璃を書いてきた近松には、当時の観客にこの手の芝居が熱狂的に受け入れられる可能性が低いことはある程度予測できたはずだと思う。大ヒットは難しくとも、浄瑠璃作者の第一人者の衿持をもって、彼の文学的な到達点をさらに押し広げるものを執筆することを、近松は選んだのではないだろうか。

「大和屋の段」は、咲師匠と燕三さんの力強くかつ繊細な表現で圧巻でした。また、「道行名残の橋づくし」も、床も人形も

勘十郎さんの小春の後ろ姿は本当に美しかった。本当に9月に万野を遣った人と同一人物でしょうか…?


【夜の部】

絵本太功記 夕顔棚の段、尼崎の段

今回は特に尼崎の藤蔵さん、團七師匠と続く三味線が、印象に残りました。どちらも攻める三味線で、文楽ならではの表現でした。

また、幸助さんの十次郎と一輔さんの初菊は初々しさを感じさせるものでした。現在は玉男さんと勘十郎さんが光秀と操を遣っているように、将来はこのお二人の光秀と操を観ることが出来るのでしょう。


日高川入相花王 渡し場の段

清五郎さんの清姫が全力疾走でよかった。日高川はもういい加減見慣れてしまって新鮮味を感じないけど、今回はものすごい勢いで日高川を泳ぐ清姫に、眼を奪われました。