国立劇場 文楽2月公演 第二部

嶋大夫師匠の引退公演初日にお伺いしました。

桜鍔恨鮫鞘 鰻谷の段

2015年の11月公演で観たときは、全然納得できず、どういう見方をすれば面白く感じるのか、よく分かりませんでした。今回も本当のところ、納得できませんでした。でも、この段の主人公は八郎兵衛かもしれないけれども、お妻の視点から観る方が私としては、共感できる気がしました。
お妻の気持ちの流れはこんなような感じだと思います。八郎兵衛がお主のために金の工面をしようとしているが、手だてが無い。一方、お妻と結婚したがっており敷金を出すという大金持ちの商人である弥兵衛がいる。八郎兵衛を勝手に離縁して弥兵衛と結婚すれば八郎兵衛は怒るだろう。(江戸時代なら)夫に殺されても仕方ないでしょうけれども、このようなことになった事情を娘に託し夫に伝えたい…という、すべてはお妻が八郎兵衛を想ってのことなのだと思います。だから、お妻の方の考えだけを追う限りは、今の時代でも納得できます。

けれども、八郎兵衛の気持ちに関しては、お妻を殺してしまうが故に、その後、事情を知った後の悔恨にも、なかなか同情する気持ちになれません。この浄瑠璃は長い歴史を経て社会常識が変わることで、人の心に訴えかける力が半減してしまった、ある意味、不幸な浄瑠璃なのかもしれません。

床は松香さん、喜一朗さんの中、呂勢さん、清治さんの、前、切の咲師匠、燕三さん。好きな太夫さんと三味線さんのリレーで、そういう楽しさはあります。人形はお妻の勘十郎さんが以前見た簑助師匠のお妻とは違う個性で興味深く拝見しました。

関取千両幟 猪名川より相撲場の段

15分の休憩はさんで、引退披露の口上です。大きな拍手の中、床には嶋大夫師匠、寛治師匠、寛治師匠の隣に呂勢さんが並び、呂勢さんが一門を代表して嶋師匠の来歴などを披露し、引退に対する門弟の心情を「大樹を失った小鳥」のよう、と述べます。その間、嶋師匠と寛治師匠はずっとお辞儀をしています。口上が終わると再度、大きな拍手があり、物語が始まります。

今回の引退狂言は、掛け合いになっています。せめて、お一人で通して語っていただければ良かったのに。でも、予想外なことに、嶋さんのおとわと英さんの猪名川の掛け合いは、嶋師匠の味を引き出し、とても面白かったのでした。

私にとって嶋師匠は、住師匠や源大夫師匠、咲師匠の緻密で理知的な語りとは対極の、情や情趣を描き出す浄瑠璃というイメージです。桂川連理柵の帯屋の段とか、伊賀越の岡崎の段、碁太平記白石噺の新吉原揚屋の段とか、本朝廿四孝の十種香の段を思い出します。理屈では理解できない長右衛門の苦悩や、岡崎の段の吹雪の寒さと凍えるお谷と政右衛門の夫婦の情、たおやかな宮城野と気丈なおのぶちゃん、粋で情の厚い惣六、そして十種香の香りが立ち上ってくるような八重垣姫。

今後は理知的な浄瑠璃の咲師匠と情の嶋師匠のお二人の時代が来るのかと思っていたけれども、そうはならず、残念です。私自身、仕事が忙しく、最近は文楽を観ても仕事のことを頭から離れずお芝居に没入できない状況が続いています。今こそ、嶋師匠のような心に直接訴える語りを聞きたいと思っています。今回の嶋師匠の語りはまだまだ全然現役でいけるのではと思わせるもので、今後も後進の指導もさることながら、ご自身も何らかの形で語りを続けていただきたいなと思ってしまいました。

なお、この関取千両幟には櫓太鼓の三味線の曲弾きがありますが、今回は寛太郎さんでした。お正月も観ましたが、さらに上達されていました。でも、以前観た藤蔵さん、清志郎さんの曲弾きと比較すればまだまだかな?今後の仕上がりが楽しみです。