文雀師匠の引退

文雀師匠が引退されたと知って、とうとうそんな日が来てしまったことに非常にショックを受けています。

私は文雀師匠の玉手御前の妖艶さと可憐さ、一本筋の通った心根に衝撃を受けて文楽を観始めました。どの舞台もとても印象に残っています。あまりに文雀師匠のお人形が好きすぎるからか、文雀師匠が演じたお役は他の方で観ていても、つい、「文雀師匠はこの場面ではこうやってらっしゃったな」と思い出してしまいます。
どの役も、心根の美しさ、優しさがにじみでていて、それゆえ悲しさ、愛おしさを覚えずにはいられないお人形でした。中将姫をはじめとして、葛の葉、お柳、おさん、錦祥女、お弓、千代、渚の方、定高、お紺さん、お里、おしゅん…。かと思うと、おきゃんで男勝りな女の子や女性も面白かった。『碁太平記白石噺』のおのぶちゃんや、『加賀見山旧錦絵』のお初ちゃん。休演が続いた後に久々に演じられた2013年4月の『先代萩』の栄御前も素晴らしかったです。金欄の打掛の裾をとって、自信に満ちあふれた栄御前が舞台に登場すると、その光輝く存在感に圧倒されました。他にも武士の母や女性の数々、覚寿、微妙、浜夕、皐月、典侍局…。

そんな中でも、私にとって最も大事な思い出の文雀師匠のお役は、『花競四季寿』の「関寺小町」の小町。文楽は長大な物語こそ、その真髄とされがちだけど、この「関寺小町」は、小品ながらも名作と言われる段に負けない、文楽の精華といっていいと思う。その関寺小町を2009年正月に初めて観たとき、私は打ちのめされました。あれ以上の衝撃は、まだ他の作品では受けたことはありません。そして、文楽師匠の最後のお役となった2015年正月の関寺小町も同様に、胸打たれました。そのとき、文雀師匠も、床の清治師匠や呂勢さんも、2009年よりもずっと表現がより深く変わり、観ている私も変わりました。もし願いが叶うなら、あの舞台をもう一度観たい。

ここで叫んでも文雀師匠には届かないことは分かっているけれども、それでも、文雀師匠、ありがとうございました。私を文楽という素晴らしい世界に導いてくださり、たくさんの感動を与えていただきました。