国立能楽堂 3月特別企画公演 復興と文化 特別編 老女の祈り(その1)

国立能楽堂東日本大震災の翌年から続けてきた「復興と文化」の企画。今回は、毛越寺の延年の舞のうち、「老女」と、明治以前に廃曲となった「護法」を元にして復曲した「名取ノ老女」が25日(金)と26日(土)に開催された。私は26日にお伺いしました。

延年の舞 老女  毛越寺

開演すると、何の解説もなく、蔓幕の中から僧侶が小さな黒い漆塗りの台を携えて現れる。彼はその台を正先に置くと、去っていく。入れ替わりに蔓幕から、黒い面の老女が現れる。乱れた白髪に二重腰の彼女は重い足取りで、一歩一歩、正先の方に向かうと、台の前に座る。何度か天に向かい拝んだ後、ふと思いついたように髪を削り、また何度か拝む。次に、台の上にある鈴と扇を持って、舞始める。

2009年、同じく国立能楽堂の企画で毛越寺の延年の舞を観た。その時は「若女」という演目だった。その清楚な若女は微笑んだ若い娘の面をしていて、鈴をシャン、シャン、シャンと鳴らしながら、下方向に鈴を下げていくという動作をしながら、軽やかに舞っていた。今回の老女も鈴を同じようにシャン、シャン、シャンと鳴らすのだが、腰は直角に折れ曲がり、足取りも重く、舞うのも苦し気だ。

けれども、私はその姿に心を奪われた。2009年、まだ東北は無事だった。その後、私たちは東日本大震災を経験した。何もかも変わってしまったのだ。東日本大震災で失われた多くの命や今も大変な生活を送られている被災者の方を思うとき、この老女の苦しそうな舞と重い歩み、そこからにじみ出る長く生きてしまった哀しみこそ、祈りにふさわしい気がした。

老女は言葉にならない苦しみと怒りと哀しみを抱えながら、祈り、舞う。彼女の祈りは言葉にするには重すぎるから、ただ無言で舞う。彼女が気付いているかわからないけど、シャン、シャンという鈴の音と、時折翻す白い水干の袖が、その重苦しい空気を一瞬だけ、清浄にする。その一瞬だけ、私たちも息をつくことができる。

彼女は舞い終わると重い足取りで蔓幕の中に戻って行った。舞は終わったけど、彼女はきっと、いつまでも、いつまでも、誰も観ていない東北のどこかで、鎮魂の舞を舞っているに違いない。