赤坂区民ホール 赤坂文楽


千穐楽翌日の赤坂文楽。昨年までは2月の赤坂文楽は勘十郎さんと玉男さんのコンビでしたが、玉男さんはのお出ましはなしでした。


第一部

第一部は勘十郎さんのお話。行く前は、勘十郎さんお一人でお話ではそんなに長くはお話しにならないだろうし、奥庭狐火の段もそんな長い段ではないので、1時間もたたずに終演になってしまうのではと思っていましたが、危惧でした。狐火で使われる狐の遣い方からかっぱまで、幅広く動物の人形のお話が1時間にも及びました。勘十郎さんの人形愛をひしひしと感じさせるお話でした。


狐に関しては、犬との遣い方の違いなど。狐は日常で見かけることはないので、天王寺動物園に観察に行ったのだそうですが、お父上に言われたことは、「動物園の動物は餌を食べたら後は寝てしまうので、朝、行くこと!」とのことでした。動物園の動物、うらやましい…。


それから、赤坂文楽当日の日中は、NHKの「にほんごであそぼ」のロケが千葉であったそうで、そこで使われた、たぬき、かっぱ、犬などの人形も特別ゲスト(?)として持ってこられていました。かっぱは紋十郎さんがかつてお座敷での余興で使っていたものが文楽劇場の地下にあり、それを発掘したものを修繕したとか。このかっぱは私も夏公演の第一部で観たことがある気がします。勘十郎さんは説明しながら、唄に合わせて、かっぱがススキを1本、肩に担いで歩く振りをちょっとだけ見せてくださいました。舞台でやるようなものとは別に、そういうお座敷用の出し物が色々あったのでしょうね。かっぱもいいけど、地唄の「雪」みたいな感じの語りに老女形の人形とかを合わせたのとかあったら、観てみたいなあ。それに清治師匠のCD「鶴澤清治の世界」の「奏」 &「 弾」にあった呂太夫さん&清治師匠の一連の日舞用の創作曲も人形で観てみたい。


ところで、今回のゲスト(?)で一番衝撃的だったのは、犬の人形です。イソップ物語の「よくばり犬」のお話のための犬だそうで、勘十郎さんが作られたと言っていました。そして、あの橋の上から水面に映る肉をくわえた自分を見た犬が思わず口をかぱっと開く瞬間の表情だけ、さらっとやってみて下さったのですが、もうその表情が傑作!口から戦利品の肉が落ちた瞬間の驚愕と失望、悲しみとがない交ぜとなった、えもいわれぬ表情なのです。あれはきっとTVで見た子供の心にも衝撃を与えるのでは。さすが、勘十郎さんです。


子供といえば、勘十郎さんが初めて作った新作は、池のなまずのお話で、幼稚園生向けだったとのこと。幼稚園の先生から、幼稚園生向けの新作の条件として、1. 15分以内、2. 動物が出てくる.3. 座って話し出すとだめで、常に動いている、というものだったそう。3は分かる。私もかつて、お園ちゃんの「今頃は半七様」とか、文楽口説きの場面になると強烈な睡魔に襲われた。3の、常に人形が(はじっこでも)動いているというのは、過去の夏休み公演の第一部の新作でも生かされていたように思う。勘十郎さんは新作の必要性についても力説していて、古典を演じる上でも新作を作る力、演出する力というのは大切だとおっしゃっていた。


文楽劇場には、今回紹介されたもの以外にも、よく写真だけは見る蝶々夫人やピンカートンをはじめとして、まだまだたくさんの人形がまだ倉庫に眠っているそう。人形は見てもらってなんぼのものだから、機会があればそういったものも遣ってみたいというお話でした。


また、最近勘十郎さんが上梓された「一日一字学べば…」からのお話もありました。私は早々に購入したものの、そのまま積ん読状態になっていました。反省。紹介して下さったエピソードとしては、勘十郎さんの寺子屋のデビューは文楽ではなく、歌舞伎の子役だったそうで、松王丸の首実検の時に草履を履いて飛び出していくところ、草履を履き忘れて戻り、「草履なんて履かなくていい!」と大目玉を食らったとか。


そんな楽しいお話が満載の一時間。勘十郎さんは本当に人形が好きなんだなあと、ほのぼしたトークでした。


第二部 本朝廿四孝 奥庭狐火の段


勘十郎さん、呂勢さん、藤蔵さんとくれば、この演目。お琴は寛太郎さんでした。「十種香」が文楽の華の部分を緻密かつ繊細にちりばめた「静」の曲だとすれば、「奥庭狐火」はその華を解き放つ「動」の曲。今回は「十種香の段」が前にあった正月公演と違い、「奥庭狐火」のみの演奏のためか、床も人形もいつも以上にノリノリなアップテンポでした。2月の本公演は近松特集でしたが、本公演がこってりとした本格的なフルコースだとしたら、「奥庭狐火」は華やかで甘いデザートのよう。今、最も旬の方々の乗りに乗ったパフォーマンスで、本当に楽しいひとときでした。


ただ、終わった後の拍手が私が思ったより少なかったのが、ちょっと意外でした。大道具の関係で床が完全に下手舞台袖を向いていたので、客席の場所によっては、せっかくの床の迫力が薄れてしまっていたのかも。やはり床の音が聞こえないと公演の満足度が著しく下がってしまうので、勘十郎さんの「奥庭狐火」という人形主体の公演であっても、床の位置どりはもっと優先順位を上げていただきたいなと思いました。