世田谷パブリックシアター 杉本文楽 女殺油地獄

杉本文楽第二弾は、『女殺油地獄』でした。初日に拝見しました。


冒頭は近松門左衛門の人形が出てきて、口上を言い立てます。この口上の声の主は杉本博司さんのようです。一瞬、三谷文楽の『其礼成心中』を観ているような錯覚を覚えましたが、三谷文楽のパクリ…じゃあ、断じてありません!杉本文楽なりの必要があって、口上人形が出てくるんです。


というのも、ここで近松人形が語る話は、今回の『女殺油地獄』の「豊嶋屋の段」に至るまでのあらすじから、演出意図にまで及びます。ここでの口上を聞くことで、今回の『女殺油地獄』を観る心構えが出来るわけで、これを聞くことで、これからの観劇を十分に楽しむことが出来るのです。


さらにこの口上の中では、杉本氏による義太夫節のさわりが、さりげなく何度も披露されます。つい、エア大阪人になって、「おっちゃん、ホンマはそれやりたかっただけちゃうんかぁ?」という心の突っ込みを入れたくなるのですが、それではいけないのです。後でご利益があるので、ちゃんと心して聴きましょう。


それに続く「序曲」では、一昨年の『三茶三味』以来の清治師匠オリジナル曲を聴くことが出来ました。清治師匠ファンとしては大満足です。


清治師匠、清志郎さん、清馗さんの三本の三味線の音色は本当に多彩。冒頭は琵琶のような音色で始まったと思いきや、そのうちに、三味線本来の音になったかと思えば、シタールのような音色にも、胡弓のような音色にも、箏のような音色にも、クラッシック・ギターのような音色すらします。義太夫三味線の底知れぬ可能性を実感させる音です。


三味線が奏でるアルペジオ義太夫音楽とはずいぶん異なる印象を与えます。同時代の音楽である義太夫節バロックがが美しく融合し、東洋的でありながら西洋的でもある、複雑で奥行きのあるハーモニーを生み出します。それを義太夫三味線特有の切っ先の鋭さで引き締めるのが、清治師匠流。素敵です。

また、上質な音楽を奏でる清治師匠の背後には、俵屋宗達風の美しい日本画の描かれた屏風。目にもうれしい演出でした。


序曲が終わると、「豊嶋屋の段」の前の素浄瑠璃が始まります。素浄瑠璃文楽ファンの中でも敷居が高いと感じる人が多いと思います。さすがに初心者の人には敷居が高いのでは。ここの場面は人形を使わないなら、せめて字幕はあってもよかったかも。すくなくとも、『女殺油地獄』の簡単なあらすじや人物相関図だけでも配布してもよかったのでは。そういう意味で、口上では実はここの素浄瑠璃の部分の理解の助けになるような話も出てくるのですが、あれだけではストーリーを知らない人にはちょっと厳しい気がします。でも、もともと素浄瑠璃というのは、よっぽどの名演でないかぎり、途中で話にはぐれて上の空で聞いたり、全然関係ないところを見たり、帰りにどこに寄り道して帰るか考えたり、眠ったり…とフリーダムな時間になりがちなので、そういう意味ではこれが正しい素浄瑠璃のあり方かも。


床は千歳さんと藤蔵さんの組み合わせです。冒頭、千歳さんの声が全然出ないので、焦りました。途中からはいつもに近い感じに戻ったのはさすがプロです。また三味線は、小雨が降ったりやんだりの湿気の高い日だったので、音が吸収されてしまって、三味線を聴くにはコンディションの良くない日でした。ちょっと残念。曲は清治師匠の新曲らしく、元の豊嶋屋の段よりも古風で素朴に聴こえます。私は元の曲も捨てがたいですが、新たに作曲するなら、近松の味わい深い詞章を生かすべく、古風で素朴な曲にするというアプローチは納得です。


「豊嶋屋の段」の奥は、人形入りです。まさにここが見どころ…なんですが、私の席の位置の問題だったのか、人形の動きが人形遣いの方や大道具に隠れてよく見えず、何をやろうとしているのか、イマイチ理解しにくい状況でした。今後、今日の結果を踏まえて、滑る動きは整理されるのではないでしょうか。


そして、『女殺油地獄』を観たことのある人にとっては、今回のお吉の人物造形も見どころだと思います。口上の時にも、演出意図としてお吉という人物に対する杉本氏のオリジナルの解釈が語られます。わたし的には、女性として、「120%、ありえん!それは誤解による妄想です」と、きっぱり言ってあげたくなりますが、芸術の解釈というのは本来自由であるはずですので、そういう見方をする人もいるということで、納得することにしました。というわけで、今回のお吉は、通常の『女殺油地獄』に出てくるお吉とは異なる性格付けになっています。何とも言えない色香があり(うらやましい)、これはこれで目で見る分にはこういう趣向も興味深いです。


床は与平衛が呂勢さん、清治師匠、清馗さん。お吉が靖さんと清志觔さん。床は何と両床です!両床なだけで、ワクワク度が5割増しです。両床は大阪の文楽劇場ぐらいに横に長くないとできないかと思いましたが、世田谷パブリックシアターぐらいのコンパクトな舞台でも、意外にいけますね。これなら、東京の国立劇場でも妹山背山の段をやってほしいな。文楽劇場に比べたらせせこましい舞台になっちゃうかもしれないけど…。


呂勢さん、靖さんの語りはやはり迫力があって良いです。お吉の演出が新工夫なので、靖さんが儲け役という感じでしょうか。義太夫を楽しむという意味では、もうちょっと長さがほしかった気がします。初日は若干物足りなさが残りました。また、曲はこちらも新曲で、最初はオーソドックスな曲調ですが、殺しのあたりから、『序曲』の曲調に展開していきます。特に油桶が倒れた時の油がどくどくとこぼれる様子を三味線で表したところは圧巻。「覆水盆に返らず」という言葉を連想させるように、どくどくどく…というメロディがどこまでも続きます。油が床に広がっていく様子と与平衛が狂気に染まっていく様子が同時に、不気味に表現されていて、舞台が不穏な空気に満たされていきます。必聴です。


人形は、与平衛が幸助さんで、お吉が一輔さん。文楽をよく観る人にとっては、与平衛という名が一つ出れば勘十郎さんという名が三つ出る…というくらい、勘十郎さんの与平衛の印象が強いですが、その次に近い場所にいるのが、幸助さんではないでしょうか。また、お吉は、よく観る和生さんのお吉とはあまりに異なるお吉像なのですが、(わたし的には)この場面だけで閉じた世界であれば、趣向として非常に面白かったです。