国立小劇場 9月文楽公演 第二部 玉藻前曦袂

とにかく期待以上の面白さでした!

玉藻前曦袂』は、勘十郎さんに演じてもらうために作られたのではないかと思うほどの演目でした。勘十郎さんの狐好き、文楽随一のケレンの担い手、どんな人物でも動物でもその特徴を巧みに捉えて遣えてしまう万能さなどがあればこその面白さだと思います。


きっと、そういう希有な遣い手がいないと成立しない演目だから、自ずと上演頻度が低かったのではないかと思います。勘十郎さんがいて下さって、本当によかったです。今月のパンフレットの勘十郎さんのインタビューでは、「自分が七化けを演じるのは今回が最後」といういう趣旨の言葉がありましたが、是非是非、さらに二度でも三度でも、勘十郎さんで観たいお役です。


清水寺の段、道春館の段

公演記録を見ると、この二つの段のみの上演という公演がいくつかあるようです。清水寺の段は、鳥羽院の兄に薄雲皇子という皇子がおり、日食の日に生まれたために弟に奪われた皇位を奪い返そうとする企みをするという筋の段です。そして、道春館の段は、その邪悪な薄雲皇子が、藤原道春の息女、桂姫を自分の妻にしようするものの、思い通りにならない桂姫に業を煮やし、金藤次を使者におくって、盗まれた伝家の重宝、獅子王の剣か、桂姫の首か、いずれかを差し出すよう迫るという段です。


道春館の段は、語り物として義太夫節らしい特徴を備え、聞き応えのある段でした。特に千歳さんと富助さんの熱演に圧倒されました。以前から千歳さん・富助さんといえば、熱演というイメージだったけど、ここのところ、更にそのレベルが増しています。このまま突き抜けて行っていただきたいです。


物語的には、若干、唐突なところも。段切り近くに、桂姫が首を討たれたり、突如自刃した藤金次が自分が桂姫の父親であることを明かしたりと、悲劇的な展開は頂点を迎え、語りも最高潮になります。が、その直後に帝からの初花姫に宮仕えをするようにとの勅諚があり、母娘で「有難涙」したり、采女之助も「桂姫の首を利用して紛失の剣を取り返に行く」とか勇んで宣言したりして、観てる方は内心、「みんな、桂姫と金藤次の死からの立ち直りが早すぎでしょ!」とつっこみたい気がしてしてきます。結局、生真面目なのは桂姫と金藤次親子だけに見えて、若干かわいそう。が、千歳さん、富助さんの熱演があまりに素晴らしく、まあ、そんな細かいことは結局のところ、気にならないくらい、圧倒される床の演奏なのでした。


それから、桂姫と初花姫が勝負する、バックギャモン式双六も興味深かったです。秋草のような蒔絵が綺麗な双六盤です。サイコロの扱い方も、意外でした。漆塗りの筒型の入れ物(賽筒)があるのですが、それに2つのサイコロを入れて、振りながら双六の盤の上にサイコロを落とすのですね。あの形の双六盤は東京国立博物館でたまに出てますが、賽筒はサイコロを仕舞うための入れ物だとばっかり思っていました。手で直接サイコロを持って振らないで、筒に入れて振る姿は何ともお上品。やはり上朧のお姫様の遊びということでしょうか。


神泉苑の段、訴訟の段、祈りの段

神泉苑の段では、帝の寵妃となった、かつての初花姫、現在の玉藻前がいるのですが、その玉藻前を見た薄雲皇子が今度は玉藻前を手にいれようとします。ところが、玉藻前を狙っていたのは薄雲皇子だけではありませんでした。金色に輝く九つの尾を持つ狐が玉藻前に現れます。ここでやっと勘十郎さんが登場したので、観客は大喜びで拍手喝采です。そして、勘十郎さん…でなかった、妖狐は挨拶代わりにカーッと大きく口を開けて玉藻前を威嚇します。おお、昔飼ってた猫は、ちょうどあんな感じでムカつく相手にカーッと威嚇してたわ。そして、哀れ、玉藻前は妖狐に襲われてしまうのでした。


玉藻前に化けた妖狐の前に、薄雲皇子が現れます。彼が自分の野望を語ると、玉藻前になった妖狐も自分は、天地開闢から生き続ける狐で、現世を魔道にすべく、天竺では斑足王の后、花陽婦人、中国では殷の紂王の后、妲己に化け、今は玉藻前に化けている、三国を遍歴する妖狐であることを告げます。このスケールの大きさ、見た目の華麗さが他の文楽作品には無い玉藻前の魅力です。今回、省略されている部分も読みたくなってしまいます。


廊下の段、訴訟の段、祈りの段

廊下の段では、局達が帝の寵愛を独り占めする玉藻前に対して嫉妬し、玉藻前を陥れる謀議が誰からともなく始まります。『源氏物語』の「桐壺」で、後ろ盾が無いままに帝の寵愛を受けた桐壺に嫉妬して、桐壺が通る打橋や渡殿に数々の嫌がらせの仕掛けをした、という話を思い出します。宮中の廊下には、女性同士の陰湿なイジメが行われる場所というイメージがあるのかもしれません。桐壺は廊下での数々の陰湿な嫌がらせのせいで病に冒されてしまいますが、妖狐の玉藻前にそんなものは通じません。玉藻前が、今度は全身光を放って局達を威嚇し、局達は恐怖におののくのでした。


訴訟の段では、薄雲皇子が離宮の水無瀬宮で見初めて連れ帰った亀菊という傾城が出てきて、傾城が次々と訴訟の采配を振るいます。水無瀬というと私は後鳥羽院離宮のイメージしかありませんでしたが、先日、たまたま谷崎潤一郎の小説「蘆刈」を読んでいたら、水無瀬の横を流れる淀川を渡ったところに橋本(『双蝶々曲輪日記』の「橋本の段」の橋本)があり、その橋本は昔から遊郭なのだという話や、昔の遊女はお能の「江口」に出てくる江口の君のように、船を漕ぐ女性と傘を担ぐ女性を率いて船で川を移動していたという話が出てきました。

また、この段に出てくる亀菊という傾城の名前は、承久の乱の発端となった後鳥羽上皇の寵愛を受けた白拍子の名前と同じです。この史実の亀菊は、この物語の亀菊と同様、水無瀬にいたとのこと。荘園を持っていて、その荘園の地頭を解任するよう後鳥羽上皇に求め、それを上皇鎌倉幕府に命じたことが承久の乱の発端の一因となりました。「訴訟の段」という、唐突なネーミングに見える段も、亀菊が荘園の地頭を解任するよう訴えたから、それに因んで、ということでしょうか。この段の訴訟の内容と亀菊の裁定は、どちらかといえば人生相談とその回答みたいで、三谷文楽に出てくる登場人物で、若者の恋愛相談をてきぱき捌いていく、「曾根崎の母」こと「おかつ」を思い出させます。


ところでこの『玉藻前』に出てくる「帝」は鳥羽院のことなのに、亀菊の逸話に絡むのは後鳥羽上皇は、第二次安倍内閣とかいうのと違って、鳥羽院とは別人。二人を一緒くたにしているのが面白いです。それとも上演されていない段で時代が移っているのでしょうか。そういえば『卅三間堂棟由来』でも、白河院後白河院のエピソードが混ざっていました。江戸時代の人達は現代人より過去の天皇のことをよく知っているかと思いきや、意外にいい加減です。あまりに神のように縁遠い人々なので、あまり関心がなかったのかな?


「祈りの段」では、幕が開くと、舞台中央に、地鎮祭のように竹を四方に立て、紙垂で飾り付けたしめ縄で四方を囲んだ中に祭壇のようなものがある。そして勘十郎さん…でなかった、妖狐ちゃんの立ち位置と思われるところに、天井からワイヤーが二本、下がっている。こ、これはひょっとして…とワクワクして見ていると、果たして、勘十郎さん…でなかった、妖狐ちゃんが、天に舞うのでした。もう、観客は驚喜して拍手喝采です。このあたりから観ている方も物語の展開はどーでもよくなり、勘十郎さんの魔力に客席中が魅了されてしまうのでした。


化粧七変化の段

殺生石となった妖狐が夜な夜な様々なものに化けて遊んでいるという設定の景事。お能殺生石に当たる部分です。パンフレットの児玉竜一先生の「上演作品への招待」では、化粧七変化の段は淡路からの移植で、淡路では、「玉藻前→座頭→花笠の娘→雷→奴→女郎→奴」という組み合わせが、文楽では「座頭→在所娘→雷→いなせな男→夜鷹→女郎→奴」となるとありました。先日淡路人形座を観たとき、いなせな男が入っていた気がしたのだけど、私の記憶違いか、はたまた東京公演スペシャルバージョンだったのか…?今となっては確認しようがありません。このいなせな男は歌舞伎舞踊の「お祭り」に出てくる三社祭の男衆の扮装をしています。

しかし、しかし。そんなことはどうでも良いのです。この段はとにかく勘十郎さんの独壇場。出てくる度に違う人形を持ち、ふと気がつくと、裃が違っていて、ここから出ると思えば全く別のところから出てきて…と、目が離せません。

藤蔵さんをシンとする三味線も、揃ったノリノリの演奏で、勘十郎さんの妖狐のパフォーマンスに華を添えました。