国立能楽堂 9月定例公演

狂言「狐塚」(きつねづか:大蔵流
能「阿漕」(あこぎ:観世流

本当は同じ9月の「俊寛」か「三井寺」か「安宅」が見たかったのだけど、チケット争奪戦に惨敗した結果がこれ。にもかかわらず、なかなか面白かった!

「狐塚」は、まずは昔の風俗に目から鱗田圃の鳥を追い払う仕事は、子供の役目だったらしい。それから、鳥を追い払うための道具が面白い。鳴子といって、絵馬様の五角形の板に細い板切れを沢山括りつけたものがあり、それがペンダントヘッドのようになるような形に紐に結び付けた道具なのだ。それをどうするかというと、二人掛かりで縄跳びの「大波小波」の要領で振り回し、掛け声と共に絵馬様の板と細い板切れをぶつけてカタカタいわせて鳥を追い払っていた。あんな道具が昔はあったのだろうか?…と思ってよく確認してみると、どうも本来は据付型?のもので、風に吹かれて音が出るような装置らしい。
見ている途中から、役者さん達の息のあった絶妙な間あいのせいで、何だかお笑い芸人のコントを見ている気がしてしてきた。ちょっとアレンジしてオンエアバトルとかに出たら絶対オンエアされそう。少なくとも、その辺の中途半端なお笑い芸人よりは絶対に面白い内容だった。

「阿漕」の方は、前シテが浦島太郎の玉手箱開封後のスタイルで登場。浦島太郎のコスチュームは浦島太郎オリジナル・デザインではなく、昔の一般的な漁師の姿なんだと改めて思い出した。で、案の定、居眠りをしてしまった。軽く10分は気を失っていたと思うのだが、幸い、前半は全くといっていいほどシテの動きが無かったため(多分…)、気を失った時と目が覚めた時では舞台上の変化は全く無く(!)、話の筋を見失うことも無かった(と思う)。かえって、すっきり爽快な気分で観劇を続けられた。
密漁をして殺された阿漕の亡霊である後ジテになってからは、舞自体は面白かったが、ふと、阿漕は何故そこまで漁なんぞに執着するのかという疑問がわいてきてしまった。「禁猟だったのだから、ルールはルールってことで」とか「もうええやん」などと声をかけてあげたいが、どうもそういう話ではないらしい。恐らく、狩猟本能とかその手のプリミティブな本能に突き動かされて本人でさえも止められない苦悩こそが共感のポイントなのだろう。歌舞伎や文楽と比較すると非常に抽象度の高い演劇・舞踊なのに、扱うテーマはかなりプリミティブであるところが面白い。
そうそう、アイが阿漕ヶ浦は別名二見ヶ浦と言っていた。伊勢音頭恋寝刃だ!

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1127.html